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竹とたけのこの歴史年表

[2013年11月1日]

ID:2039

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乙訓(おとくに)地方と竹・たけのこは、古くから深い関わりがあります。その歴史を年表でたどってみましょう。

竹とたけのこの歴史
年代歴史
延長5(927)年この年完成した古代の法典『延喜式』(えんぎしき)に、朝廷に納める箸用の竹が、「乙訓園」産出と記される。
11世紀初め『枕草子』に「鞆岡(友岡)は笹の生いたるがおかしきなり」とみえる。
応永23(1416)年伏見宮貞成親王の日記『看聞御記』(かんもんぎょき)に西岡の竹商人が登場する。
江戸時代初期乙訓一帯で竹年貢が定められる。
天明2(1782)年桂宮家で、開田産のたけのこを題材に和歌が詠まれる。
寛政12(1800)年頃商品作物としてのたけのこの栽培が、出荷台帳から確認できる。
天保年間(1830~43)孟宗竹のたけのこ栽培が急速に普及。
明治9(1876)年東海道線が開通し、向日町駅と山崎駅が開業。たけのこの輸送手段が淀川舟運から鉄道へと移り、神戸まで販路が伸びる。
明治10年代たけのこの生産が一時衰退するものの、大山崎村の仲買商・三浦芳次郎が販路を拡張し回復。
明治22(1889)年江戸時代の15カ村が合併し、新神足村・海印寺村・乙訓村の3カ村になる。
明治26(1893)年三浦芳次郎顕彰碑が、大山崎村円明寺に建立される。
明治後期たけのこの栽培面積が急増する。
大正7(1918)年皇太子(のちの昭和天皇)が、たけのこ掘りの実演を開田で視察する。
昭和9(1934)年室戸台風で竹林が大被害をうける。
昭和24(1949)年新神足村・海印寺村・乙訓村の3カ村が合併し、長岡町となる。
昭和47(1972)年長岡町が長岡京市となる。
平成24(2012)年寂照院のモウソウチク林が京都府の登録天然記念物となる。(宇治黄檗山の僧が中国から持ち帰り寂照院に贈ったものが、日本における孟宗竹の始まりと伝えられる。)

参考文献『長岡京市文化財調査報告書第40冊京タケノコと鍛冶文化』

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