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平成23年 東日本大震災の応援給水活動報告(上下水道部)

[2018年4月25日]

ID:2042

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3月14日から21日まで、岩手県に給水活動に行った上下水道部職員の報告です。

 

長岡京市では、この4月から平均して5%余りを引き下げる水道料金の改定を実施しています。
水道料金の改定には、値下げ・値上げに関わらず、担当している職員に大きな負担がかかります。
3月の最初の月曜日、議会の承認を得て、ホッと一息。
その週末の金曜日、新しい料金体系によりますシステムの運用チェックに掛かろうかなと思っていた時、突然、目まいを感じました。
「しもた!えらいことなった。頭の線、切れたんか?」
3月11日金曜日、午後3時前、私が所謂「東日本大震災」を実際に体験した瞬間でした。

その後の被害状況につきましては、皆さま同様、テレビなどで見守るだけでした。
明けて次の日の土曜日、被害状況が報道されるにつれ、阪神淡路の震災における応援給水の経験から、「こらアカン。応援給水が必要や。東北へ行かないかん!」
上下水道部職員の多くが、そう感じていたと思います。

日曜日には、被災地へ提供する非常用備蓄水5,000本を京都府へ搬入するとともに、給水車と作業車、出発する4名を決め、いつ日本水道協会からの応援給水要請があっても対応できるよう待機していました。
実際には、月曜日、市長はじめ多くの職員の方に見送られ、福島県の郡山に向け、午後1時に市役所を出発しました。

現地までの道路状況が分かりませんでしたので、途中のSAで情報を得ながら、中央道・関越道から東北道をひたすら北上しました。
出発した時は、福島県の郡山市と聞いていましたが、水道協会の応援調整会議の中で、福島県は既にほかの地方支部が担当していたので、関西地方支部は岩手県の盛岡市へ向かうよう指示がありました。
出発してから1,200km、17時間後、ちょうど私の53回目の誕生日。
3月15日の火曜日早朝、ようやく岩手県の盛岡へ到着しました。

雪の盛岡市の写真

弥生半ば、盛岡市はまだまだ寒うございました。

浄水場外観の写真

とりあえずのベースとなった盛岡の新庄浄水場です。

浄水場内部の写真

新庄浄水場の中です。

到着した時には、だれもいませんでしたが、写真を写した時には、いくつかの事業体がお見えでした。
この新庄浄水場では、17日までの3日間寝泊まりしましたが、最後のほうは足の踏み場もない様な状況となっていました。

到着した15日の夕方に、応援派遣先を調整する会議がありました。
この調整会議の時点で、長岡京市は陸前高田市への応援給水が決定しました。

16日はまだガレキなどで陸前高田市への通行ができませんでしたので、冬用のスタッドレスタイヤへの交換をしていました。
作業車のタイヤは直ぐに交換できたものの、給水車のタイヤがなかなかありませんでしたので、タイヤの交換に、一日がかりで青森県との県境まで出向き、ようやく交換することが出来ました。

給食センターの写真

17日、自衛隊の方の道路のガレキ撤去などで通行できるようになりましたので、陸前高田市、災害対策本部の給食センターに備蓄水を搬入したところです。

ボルト水を搬入している写真

最初の支援物資ということで地元テレビ局(朝日系列)の取材も受けています。

被害状況の写真

陸前高田市内の被害状況です。

被害状況の写真
被害状況の写真

今回の災害でよく言われるように、阪神淡路の時とは異なり、地震自体の災害ではなく、津波による被害がほとんどでした。

被害状況の写真

被害状況の見える先に、5階建ての建物が見えています。
一階部分はおそらく被害に遭われたと思いますが、上の階のかたが住んでいました。

給水活動の写真

先ほどの建物の場所での給水活動です。

給水活動の写真

建物の2階部分から、市内をバックに給水活動を写したものです。
後ろのほうの、市内が津波で壊滅状況となっているのが見えます。

給水活動の写真

阪神淡路大震災の経験から、被災直後に水を入れる容器が不足したことから、今回は備蓄水に併せて非常用のポリ袋も500枚提供しています。

竹駒駅の状況の写真
電車のレールの写真

JR竹駒駅の被害状況です。レールが考えられないような状態で放置されています。

小学校の屋上からの写真

広田小学校という小学校の、グランドを屋上から撮ったものでございます。
ちょっと見えにくくなっていますが、到着しました時には、グランドに○の中にHと白く書かれており、HELP、SOSの文字も見られました。

給水活動の写真

校舎を挟んでグランドの反対側から、小学校屋上の高架水槽へ直接給水しているところです。
今回、本市の加圧式給水車が、最も能力を発揮した場面です。

給水活動の写真

屋上の高架水槽の様子です。

給水活動の写真

屋上から下の給水車を見下ろしたところです。

屋上からの写真

小学校の屋上から広田中学を映したところです。

水をもらいます隣町の住田町から、この小学校まで、往復で約2時間かかったので、給水車を待っています間に、この中学の辺りまで歩いたのですが、先ほどと同様の被害状況でした。
車で走っているときや、テレビの報道などでは感じませんでしたが、一人で現地を歩いてみますと、目で見る被害より、全く音のしない不気味さ・寂しさを感じました。
風の音だけです。
今回の活動の中で、最も印象に残った体験でした。

給水活動の写真
給水活動の写真
給水活動の写真

小学校は、一定の目途もつき、他の事業体が容量の大きな加圧式の給水車で応援してくれましたので、私たちは、他の公民館や避難所での給水活動をすることにしました。
行政組織が崩壊するような大きな災害の中で、給水活動を通じて、消防団をはじめとする自治会組織、自主防災組織、隣同士で助け合う「協助」の重要性を、強烈に、実際の現場で体験しました。
今回、長岡京市からは25名の職員が交代で、3月14日から4月29日まで、間に、他の事業体による給水をはさみ、実際の活動としては31日間、応援給水を実施しました。

上下水道部から応援給水に参加した職員のみんなが、避難されているかたとの直接の会話の中で、「来なアカンかった。やっぱり来てよかった。」と思いました。
先月中旬、関西地方支部としての応援給水は終わりましたが、まだまだ陸前高田市の復興・復旧には、多くの時間と労力、ありとあらゆる支援が必要です。
私たちは今直ぐに戦争を止めたり、直接被災地に行って、支援活動をすることはできません。
けれども、今、この場に座っておられる右のかた、左のかた、そして、前のかた、後ろのかたと「認め合い、助け合える」ことはできるはずです。
おうちのかた、ご近所のかた、そして職場のかたと、「認め合い、助け合う」。
そんな輪が大きく広がり、様々な苦難を乗り越え、いつの日か、自然と仲良く調和した、ほんとにきれいな陸前高田市に戻られますよう祈念し、私の活動の報告とさせていただきます。
どうもありがとうございました。

(7月16日、平和を考える市民フォーラムの報告会より)