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平成27年7月31日 認知症特別講演会「突然、家族が行方不明になったら」~家族の無事を願った日々~

[2015年8月26日]

ID:5115

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講演の様子

7月31日、中央公民館で認知症が原因の行方不明で夫を亡くした森糸子さんの講演会がありました。
定員200人の会場はほぼ満席。認知症と診断される前に、行方不明となってしまった経緯や、行方不明の間どんな気持ちだったか、どんな捜索をしたかを語られました。

森糸子さんの写真

森糸子さんの夫である重夫さんは、高槻で高校教師をしていました。定年後も山登りなど、活発に趣味を楽しんでいたそうです。しかし、平成25年の夏に突然行方不明となり、7カ月後の翌3月に遺体となって発見されました。

森糸子さんの講演内容

夫は、教師として働き、退職してこれからしたいことがたくさんあるという段階でした。しかし、平成26年3月28日に、白骨化して見つかりました。

発見から1年たち、この講演をするにあたって、自分の気持ちを整理したり、まとめたりしようと思いました。でも、涙が出てきてまとめられませんでした。

あくまでも、2年前の経験談として聞いてください。

 

夫の異変に最初に気がついたのは、平成25年のお盆でした。私が関東旅行に行ってる間、メールを送っても返事がありませんでした。でもマメに返す人ではなかったので、帰宅したらまた返事を聞こうと思っていました。すると突然、八幡署の警察官から「重夫さんを保護している」と連絡がありました。

とても驚きました。

八幡署のすぐそばでずっと立ち尽くしていたため、どなたかが声をかけたところ、「帰り道がわからない」と言ったそうです。住所や家族構成、自分の名前は完璧に言えたそうですが、妻である私の連絡先は言えなかったそうです。ですので、仲の良いご近所さんに連絡して、そこからわたしの携帯電話を聞いたそうです。

夫の母親も、当時、アルツハイマーで入院中でした。

看護師の友人に相談すると、まくしたてたり、病院行きを強要してはいけないと言われました。興奮させてはいけない、と。

その後、40時間後に再び行方不明となってしまうのですが、その40時間の間に、ありとあらゆる認知症の症状が出ていました。

 

まず、そうめんを作ったのですが、「つゆにつけて食べる」という食べ方がわからなくなっていました。パンにバターを塗る、ということも忘れていました。関東旅行に行く前までは、普通にできていたことです。洗濯もできなくなっていましたし、食器も洗えませんでした。

実は、この旅行の前から症状は出ていたようです。自転車の鍵が開けられなくなっていたそうです。前から何度も、自転車屋に「鍵が壊れた」といって通っていたそうです。そのたびに見てもらい、でも、壊れていないので、自転車屋さんも「おかしいな」とは感じていたそうです。

また、電話をかけたいのに、使い方がわからなくなっていたようです。電話の前で立ちすくんで、「糸子に電話をかけたい」と言われて、わたしはここにいるのに、と困惑しました。

夜ご飯のあと、「しんどいから、早く寝るわ」と夫は寝室に向かいました。それが、最期でした。

 

私は深夜0時ごろに寝て、午前5時に起きたら、もう夫は居なくなっていました。

6時までひとりで探しながら待ってみましたが、帰ってきませんでした。

警察署に相談したら「正午まで待ってみて」と言われ待ってみましたが帰ってきませんでしたので、捜索届を出しました。

「戻ったときに家に誰もいないとパニックなるかもしれないから待機して」と言われて一晩待ちました。何もできませんでした。

 

次の日(8月16日)、市役所に相談しました。市役所のかたの対応がとても早く、すぐに捜索ポスターを作って町に貼ることになりました。

 

8月17日、公開捜査となりました。夫の趣味である山登りの友人たちも集まって、協力してくださいました。川も捜索しました。

包括支援センターのかたが、西友の駐輪場に夫の自転車がとまっているのを見つけてくださいました。監視カメラをみてみると、夜中の2時頃に西友の駐輪場に来たようです。次の日、西友周辺で情報を集めてみましたが、何も得られませんでした。

 

一週間たち、新聞の記事で「かなり遠くで見つかる行方不明者がいる」というのを見て、新聞折り込みチラシを作りました。計3回、西京区の配布分にもチラシを入れましたが、情報はありませんでした。しかし、それを見た教え子たちが心配してくれて、交番などに問い合わせが多くきていると、警察が連絡をくださいました。

 

8月20日に、夫の引き出しを調べると、診察券が出てきて、私が知らない間に病院に行っていたことがわかりました。かかりつけの胃腸科のお医者さんに、自分が認知症じゃないかどうか聞いていたそうです。私は全く知りませんでした。その頃、私が入院などしていたので心配かけさせまいとしたのでしょう。

胃腸科のお医者さんは、「心配ならば一回きちんと、脳外科に行ったほうが良い」と伝えてくれたそうです。お話を伺いに行ったとき、私の心配もしてくださり、「あなたも疲れてるでしょうし、心配。認知症の専門家である野々下先生のところに行ってみたらどうですか」と先生を紹介してくださいました。

 

野々下先生にすぐに連絡し、話を聞いてもらいました。「捜索のポスターに認知症と書いていないけれど、なぜ?」と聞かれました。病院で診断されていないこともありますが、当時はまだ「認知症」という単語が使いづらかったのです。親戚の間でも使いにくかった。先生は「認知症と入っていないから、なぜ行方不明なのかわからないよ。家族のイザコザ程度と思われたら誰も連絡くれないよ」と言ってくださいました。

「見つかったらどうすればいいのでしょう」と聞くと、「いつでも私に電話して。一緒に考えよう」と言ってくださいました。

 野々下先生に会って、はじめて、現状が科学的に頭のなかに入ってきました。ずいぶん気持ちが変わりました。

 

愛媛県の松山市内で似た人を見たという情報があったので確認しに行きましたが、別人でした。

12月下旬までは活発に動きました。

8月下旬には西成のあいりん地区にポスターを貼りました。貧困ビジネスに引っかかっていないかわかるように、住民票を誰かが発行すれば連絡がくるように申請しました。

 

冬になり、夫の母が亡くなりました。相続者である夫が行方不明のままでしたので、相続の手続きが大変でした。

どんどんやること、できることが減っていき、市役所や地域包括支援センターとも疎遠になりました。

翌年の2月・3月にはただ待っている状態でした。月に一度、野々下先生のところへ行っていました。

 

京都市の若年性認知症介護家族の会にも参加させてもらいました。

夫が帰ってきたときのために、若年性認知症について勉強しようと思ったからです。

 

そして3月28日、警察から電話がかかってきました。

「白骨化している遺体をやぶで発見した。DNA鑑定をしたい」ということだったので、夫の兄と姉に来てもらい、口内の粘膜を採取してもらいました。

鑑定だけでなく、事件性が無いかどうかを調べている時間も、とても長かったです。

 

4月15日に、やっと帰ってきました。

99パーセント白骨化していたそうです。

遺体は見ていません。警察の人が「見ない方が良い」とおっしゃったので、自分の精神状態も考えて、言われた通りにしました。

 

遺骨は石垣島の海に散骨しました。

 

野々下靖子医師の講演内容

ソーラン節を踊る生徒たち

森糸子さんの講演のあと、重夫さんの行方不明後、ずっと糸子さんの相談に乗っていたという認知症専門の野々下靖子医師が講演しました。

森さんは友人とともに多くの活動をされました。しかし、現実にここまで友人を巻き込んでいける人は少ないはずです。

 

老年性認知症で体が弱いと、行方不明というのはあまりありません。しかし、若年性認知症の人は体力がある。

治療法もなく、理由もわかりません。

 

認知症の人というのはこれから確実に増えます。しかし、施設はその勢いでは増えません。

それぞれの地域でどうすればいいか、よく考えてほしいのです。

今回の講演の感想を書くアンケートに、何でもいいから思いついた方法を書いてほしいです。

 

私が提案していることを紹介します。高台自治会では月に一度、勉強会を開いています。

実用的な地域内での“助力”の方法を勉強しています。

行方不明者が出たらまず、自分の家の敷地内・家の周りだけ探して、誰かとりまとめ役に連絡をしようと提案しています。

 

森さんの次に亡くなったかたも、やぶで見つかりました。いま、農家のみなさんに、自分のやぶだけでいいから見てくださいとお願いをしています。もちろん自分のところだけと言っても広いので、簡単なお願いではありません。

そして探してもらうために、農家にもきちんと情報を伝えるシステムを作ろうとしています。

しかし行政がシステムをいくら作っても、動くのは住民ひとりひとりです。

 

またほかの地域では、「徘徊」を「散歩」として一緒に歩いて帰ろうという動きがあります。家にきちんと帰れば、「徘徊」はただの散歩なのです。

 

ちょっとでも何かがおかしいと思ったら、プロに聞いてください。

認知症になったな、と感じたら、みんなを誘ってワイワイ楽しんでください。そうすると、徘徊しなくなるという専門家もいるのです。

 

また、家族が認知症になったら、ご近所さんに紹介してください。

「うちの人、認知症みたい。よろしくね」と言っておいてください。

閉じ込めてしまってはだめです。ワイワイがやがや、楽しいことに連れて行ってください。

 

認知症になっても、安心して暮らせる長岡京にしましょう。

認知症の人は、何したかを忘れるが、「楽しかった」「嬉しかった」という気持ちは残ります。

楽しいまちにしましょう。

 

認知症は恥ずかしくありません。誰でもかかる病気だと認識されるようになってほしいんです。

 

みなさん、年に一度、顔写真と全身写真を残す習慣をつけてください。

万が一行方不明となったときに、できるだけ新しい顔写真が必要なんです。

 

7月から、市と乙訓医師会で、若年性認知症の早期発見のための検診をしています。

45歳~70歳が対象です。対象者には郵送で送っているので、必ず返信してください。

 

保健センターで月に一度、認知症相談もあります。

ぜひ気軽に相談してください。

 

(7月31日、中央公民館で)

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約10問の簡単な質問に対して、あてはまる項目を選ぶだけで、認知症かどうか家族やご自身の状態を確認することができます。結果はレベルと点数で表示され、地域にある相談窓口も確認することができます。

ご家族が対象の「これって認知症?」と、ご本人が対象の「わたしも認知症?」の2種類があります。

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