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千利休生誕500年記念「千利休とめぐる京都・西山」

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千利休生誕500年記念「千利休とめぐる京都・西山」

千利休肖像画(堺市博物館)

千利休肖像画(堺市博物館蔵)

令和4年(2022)、千利休は生誕500年を迎えます。

利休の生まれた町・堺では、利休生誕500年を記念してまち歩きイベントを行いました。

大永2年(1522)、千利休は堺の商家に生まれ、わずか14歳で千家の当主になりました。

利休は当時堺で流行っていた茶の湯に興味を抱き、17歳の時に武野紹鴎について珠光流のわび茶を学びました。

堺が織田信長の直轄地となると、利休は信長に「茶頭(主人に仕えお茶を点てる専門職)」として重用されるようになります。

戦国武将たちに翻弄されながら、茶の湯の美意識を貫いた利休の足跡をたどります。

【モデルコース】タクシーでめぐる千利休と西山

〈スタート〉JR・山崎駅

①大山崎町歴史資料館 【見学(利休の待庵模型) 90分】

↓ 移動 10分(4.5km)

②高野竹工ショールーム 【茶杓づくり体験 90分】

↓ 移動 22分(8.7km)

京都𠮷兆松花堂店 【𠮷兆創始者考案の「松花堂弁当」が味わえる日本料理店で食事 90分】

↓ 移動 徒歩すぐ

③八幡市立 松花堂庭園・美術館 【お茶会参加・千宗旦好みの茶室見学 120分、庭園・美術館見学 90分】

↓ 移動 14分(5.7km)

〈ゴール〉JR・松井山手駅 解散

①大山崎町歴史資料館(国宝・待庵の模型見学)

大山崎町歴史資料館
待庵

待庵(妙喜庵所蔵)※複製厳禁

まずは、利休の作と伝わる国宝茶室、待庵の模型がある大山崎町歴史資料館に行きましょう。

現在国内には「待庵」「如庵」「密庵」と3つの国宝茶室がありますが、利休の作として伝えられる確かなものは「待庵」のみ。この茶室は利休独特の構想で建てられ、数寄屋造りの原型となっています。現存する茶室としては最古の遺構です。待庵の茶室の入り口は茶室特有のにじり口です。茶室に造られたのは待庵が最初といわれています。

利休が考案したといわれるにじり口は、二尺二寸四方(約66cm)の狭い入り口のことで、客人は頭と手を先に入れ、ひざを畳において少しずつ入っていきます。こうした入口を作ることで、俗な世界から聖なる空間へ入ることを意識させたと考えられます。内部はわずか二畳敷きで、それまでの茶室の「四畳半」の概念を打破しています。

また、西山地域は竹が多いので、待庵にも竹がたくさん使われているそうです。

実は、待庵は大山崎町に現存しており、予約をすると見学することができます。予約方法は、待庵ホームページをご覧ください。

【立ち寄りポイント】天王山

天王山「山崎合戦の地」石碑
天王山からの眺め

待庵から徒歩60分、「天下分け目の天王山」で知られる天王山。本能寺の変の知らせを聞いて、中国大返しを果たした羽柴(豊臣)秀吉は、山崎の戦いで明智光秀を破ります。その後、秀吉は天王山山頂で山崎町を築き、大山崎を城下町としました。

場所や年代は定かではありませんが、豊臣秀吉は千利休を山崎に招き、二畳の茶室「待庵」を作らせたといわれています。利休も秀吉と交流するなかで、今までの枠組みにとらわれない自由な発想で茶道に取り組んだといわれています。

②高野竹工ショールーム「竹生園」

高野竹工ショールーム竹生園
体験イメージ

続いて、茶道具販売や竹を使った商品を扱う高野竹工ショールーム「竹生園」に向かいます。

こちらでは、自分で竹を削って茶杓をつくる「My茶杓づくり体験」ができます。

利休の最期は、秀吉の不興を買い、堺へ追放されてしまうのですが、その際に遺品として茶杓をつくり、細川三斎(忠興)と古田織部という2人の優秀な弟子に託しました。堺へと下るとき、他の弟子たちは秀吉を恐れて利休に近づきませんでしたが、細川三斎と古田織部の2人だけは淀の船着き場から師匠である利休を見送ったそうです。2人は利休を助けようと奔走しますが、利休は切腹を受け入れました。

その後、細川三斎は利休の教えを徹底的に守り通します。一方で、古田織部は独自のアイデアを加え、織部の弟子である小堀遠州はさらに優美さを取り入れることでバランスを整えて、「綺麗さび」を生み出しました。利休の遺志は時代に合わせてかたちを変えながら、今もなお受け継がれています。

【立ち寄りポイント】勝龍寺城跡(勝竜寺城公園)

勝龍寺城跡(勝竜寺城公園)
勝龍寺城跡から発見された茶道具

勝龍寺城は、忠興の父・細川藤孝(幽斎)が織田信長の命を受け、「瓦・石垣・天主」を備えた“近世城郭の原点”として改修したお城です。また、利休の高弟の忠興(三斎)と明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)が新婚時代を過ごしました。勝龍寺城の発掘調査では茶道具も確認されており、文化的な交流があったのではないかと考えられています。展示室では勝龍寺城や3人の歴史をパネルや映像で紹介しています。

③八幡市立 松花堂庭園・美術館

松花堂庭園
梅隠でのお茶会

最後に、お茶会の体験ができる松花堂庭園・美術館に行きましょう。

(お茶会の詳細については、松花堂庭園・美術館(別ウインドウで開く)にお問い合わせください TEL:075-981-0010)

こちらには、千利休の孫・千宗旦好みの茶室「梅隠」があります。

宗旦は、祖父・利休流のわび茶をさらに追求しました。利休の最期を知る宗旦は将軍家や大名に仕えず、「わび宗旦」といわれるほど清貧な生活を徹底したそうです。そして社会の情勢に流されることなく利休が追求したわび茶を体現しようとしました。「梅隠」は宗旦の徹底したわびさびを具現化したような茶室になっています。

宗旦には4人の息子がおり、宗守は武者小路千家を、宗左は表千家を、宗室は裏千家を興しました。この3家は「三千家」と呼ばれ、現在まで続いています。