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令和3年度第1回総合教育会議会議録

  • ID:12279

日時

令和3年10月20日(水曜日)午後4時から

場所

長岡京市役所 会議室7

出席者

中小路市長、山本教育長、福澤教育委員、

京樂教育委員、大下教育委員、盛永教育委員

事務局

〔教育部〕

教育部長、教育総務課長、

教育部次長兼学校教育課長、学校教育課総括指導主事、学校教育課主幹、

教育支援センター所長、

教育総務課課長補佐

 

〔総合政策部〕

総合政策部長、総合計画推進課長

傍聴者

なし

議事

(市長あいさつ)

今年度第1回の総合教育会議である。前回は、今年2月に開催。4月に新たに西村教育長を迎えての1回目となる。

昨年に引き続き、むしろ今年の方が新型コロナウイルス感染症への対応が求められている。特に学校現場では、教職員の皆さんに感染防止に神経を使いながら学校運営をしていただいている。タブレットが導入された学校現場を見たいと思っていたが、外部の人間の入校は控えるべき状況が続き、ようやくこの時期に視察することができた。

感染状況は、全国的に第5波がおさまり、本市も落ち着いている。ワクチン接種も順調に進んでおり、現在1回目接種を済ませた方が7割超、2回目も済ませた方が6割超。11月の前半で、全市民の75%強が接種する見込みで、ここまでで希望者への接種は終了すると思っている。また、強制ではないが、12歳以上の子どもたちへの接種も進めている。いったん集団接種は終わるが、毎月12歳に達する児童がいるので、その子どもたちへの対応や、3回目接種の話も出ているので、しっかりすすめていきたい。

感染防止対策は引き続き必要だが、一方で、ワクチン接種が進んだことで、感染や重症化は一定の抑止ができている。もちろん医療の状況を見定めながらであるが、これだけ長期にわたっているので、日常生活をとりもどす時期になりつつあると思っている。なんとか今年は修学旅行に行けそうな見通しだと報告をうけ、胸をなでおろしている。当面は感染対策を続けながらだが、子どもたちの日常や学びをしっかり確保するよう、みなさまには引き続きご尽力たまわりたい。

午前中、久しぶりに学校で子どもたちの元気な姿を見て、非常に嬉しかった。ぜひ今後の活用の参考となるよう、有意義なご議論をお願いしたい。

 

(教育長あいさつ)

今年度の上半期は、その期間の半分以上に緊急事態宣言が発令されており、学校生活においても多くの活動制限があった。宣言が解除となっても引き続き感染症対策は必要であり、コロナ以前と全く同じとはいかないが、子どもたちにとっては今しかない学校生活において可能な限り様々な経験ができるよう、学校現場と教育委員会事務局が連携をとって教育活動を進めているところである。

さて、GIGAスクール構想によるICT環境の整備については、令和2年度末で機器の納入が完了し、今年度に入ってから、各校での持ち帰りも含め、少しずつ活用が図られているところである。また、全国的にもオンライン会議システムが普及し、オンラインを通じた外部との交流も進みつつある。

本日の午前に見ていただいた学校の状況を踏まえ、より学びを深めるためのICT活用について協議してまいりたい。

ICTを活用した学校教育の推進について

長岡京市総合教育会議運営要綱の第2条第3項の規定により、議長を市長が務める。

(市長)

今日の午前中に、小中学校のICTを活用した授業を見ていただいた。早速だが、感想や今後の活用方法や課題も含めて、ご発言いただきたい。

(委員)

久しぶりに学校訪問をさせていただき感謝する。子どもたちの元気はつらつとした姿に、こちらが元気をもらった。タブレットで調べものをする子や、考えをまとめる子もいて、非常に楽しそうに使っていた。教育支援センター通信にアンケート結果が掲載されているが、「iPadを活用したことで勉強が楽しくできた」などプラスの意見が多く出ており、良かったと思う。

子どもたちがそれぞれ書いた考えの全員分が、教員用端末などに表示される使用方法は、以前大阪市立本田小学校でも視察したが、良いやり方だと思う。教室で挙手して発表する子は限られているが、ああいったアプリケーションを活用して、教師がユニークな発想、おもしろい考えを見つけ、その児童・生徒に発表をうながすことで、日頃人前であまり自分から発言しない子どもも、いろいろ意見を述べてほしいと思う。

今回の授業ではプレゼンテーションはなかったが、以前企業に勤めていたときの会議での、欧米の人々のプレゼンテーションの上手さが印象に残っている。プレゼンテーション能力の差は個人差がとても大きい。プレゼンテーションのスキルだけを学ぶというわけでなく、自分の表現力を高めることが大事である。プレゼンテーションをするためには、深く調べものをし、意見をまとめることが必要である。その作業を通じてスキルを上げていってほしい。

また、ICTの活用には、教員の格差が大きく生じるのではないだろうか。特にアナログの時代に育った教員には、活用に格差が出ることが予想されるので、研修を長期的スパンでうまく進めていっていただきたい。そのために、教材の標準化、共通化をすすめてほしい。教員には、ある面そういうことも大事なのだろうが、匠の世界、職人的なかたちで仕事をされているところがある。ICTの時代には、授業の資料などを、共有化・標準化して蓄積し、優れたものに磨き上げていってほしいし、教職員で情報交換し、良いものは積極的に取り入れていってほしい。

最後に、気になることとしては、タブレットで調べものをすると簡単に答えが出てきてしまう。英語で言えば、紙の辞書で単語を引き赤線を引く、次にその同じ単語を引くと、既に学習したものだとわかり、自分を戒めることで身につくということを経験してきた。簡単に調べられるのはプラスだが、考えることが少なくなることを危惧している。私自身もそうだが、手で漢字が書けなくなってくる、というマイナス面もある。デジタルとアナログのハイブリッドで授業をしていくことが必要ではないか。試行錯誤し、焦らずに良いものを作ってほしい。

(委員)

直に授業を見るのは初めてで、とても興味深かった。中学3年生の授業では、5年後にこの生徒たちが大学に入学する頃には大学の研究環境も変わるのだろうかと感じた。

私も、タブレットに頼りすぎると漢字が書けなくなるだろうとは感じた。中学1年生の竹取物語の「くらもちの皇子」、「皇子」の漢字が変換候補のうちどれなのかわからずに教科書と見比べており、この方法だと覚えられないだろうと感じた。タブレットでできる分野・得意な分野と、できない分野・苦手な分野はきれいに分かれる。漢字の書き取りはタブレットに向かないので、別のやり方が必要だと思う。

また、情報をどのように正確であると判断するか、ということも課題である。中学3年生の和歌集の授業では、ウイキペディアで情報を集めていた。大学では、学生にはウイキペディアの内容を鵜呑みにしないよう伝えている。中学生では真偽を議論することは難しく、信じるところから始まるだろうが、「情報の確からしさ」というものがあるのだ、ということをどのように教えていくのか課題だと感じた。間違った情報から調べものをした場合、そのフォローをしていくことは大変である。

教員間の格差もだが、生徒の個性による格差も出てくる。成績の良し悪しの問題ではなく、性格がICTの慣れに影響を与えるように思う。物事をゆっくり考える人にはあまり向いていないが、考える速度が速い人には次々と新しい情報から新しい課題を考えることができ、向いているのだろう。小学校の算数の授業で、ゆっくりと時間をかけて考えて正解にたどりついている子がいた。ほかの生徒児童とのスピードの差を、どうサポートしていくかが課題だと感じた。ICTが広がるからこそ、出てくる問題もあるし、解決する問題もある。ぜひ教員の方々には細かいサポートをお願いしたい。

(委員)

初めて授業を見て、とても新鮮だった。当初、ICTはなかなか進展しないのでは、と否定的な印象を持っていたが、いい意味で裏切られた。しっかり進んでいるという印象をもった。

中学校では、考えさせ、自分の意見を述べ、表現する媒体として使われていた。

小学校では、算数の授業で先生が非常に工夫していた。iPadだけに頼らず、板書もしながら進めており、特に低学年ではこういう手法が重要だと感じた。これからも持続可能な形で進めていただければと思う。

また、先生方の省力化について、これまでも申し上げているが、学校アンケートやPTA関係の資料も、プリントを印刷して配布し、手書きで回答したものを処理する・・・というこれまでの方法ではなく、アンケートシステム等のツールの活用により、一瞬で対応することにも期待したい。

(委員)

私からは午前中に訪問した「小中学校の印象」と、GIGA端末活用の「これから」について発言する。 

最初に印象だが、小学2年生が端末とクラウド型授業支援アプリを上手く活用した授業で、45分間の授業最後まで集中して取り組んでいたことに、いい意味で驚いた。中学では、参観した教室の子どもたちから、端末を活用した授業は「とっても楽しい」「おもしろい」と聞くことができ、学習のモチベーション向上につながっている実態を強く感じた。なお、小中学校に共通して、授業力の高い教員は、前提である授業のデザイン・構想や教材研究が的確で、その結果、端末の活用も上手いと感じた。このことは、端末活用で授業の効率化や学習意欲向上というメリットが実現するという事実と同時に、あくまでも目的である質の高い授業をつくるための1つの手段として端末を活用することの重要性を示唆している。端末に翻弄されることなく、多くの教員が、アナログとデジタルの二刀流で良質な実践を追究されることを期待したい。

 2つ目の「これから」については、最近、教育関係の研究者などから次のことが指摘されている。例えば、「個別最適な学びにおける練習と学習は、短期記憶にしかならない」「ICTの教育効果に関する実証的研究は意外なほど少なく、OECDのPISA調査では、学校におけるコンピュータの活用時間と学力テストの結果は逆相関を示している(長時間になると、学力が低下する)」、また、「学びの道具(思考と表現の道具、探究と協同の道具)として活用することが重要」や「タブレットこそ最先端という考えは、パンデミックをきっかけに急激に広まっているが、実は、手間のかかるプロセスこそが、脳にとって大切な学び。デジタルはあくまでも補助という基本を変えるべきでない」、さらには、「AIは、問いをくれない。くれるのは答えだけ」など。こうした視点や知見も念頭におきながら実践を深めてほしい。

(教育長)

1学期でここまで進むと思ってなかったのが本音である。前年度に機器が届き、配布するまで、1台1台、出席番号と紐づけ、IDやパスワードの設定を教員がやってくれたのが4月下旬から5月上旬。1学期は慣れることからスタートした。

活用については、まず慣れること、次の段階で個別最適な学び、協働的な学びにつなげること、さらにネットワークも使ってだが、常には繋がれない遠方の人と交流して環境や社会問題を考えていくこと。最初は第1段階で終わるかと思っていたが、教職員の努力により、子どもたちがプレゼンを構想し、発表して、他の子どもが良かった点を評価するという取り組みをした学校もあった。新学習指導要領のポイントとして「主体的・対話的で深い学び」があるが、今までなら恥ずかしがって手を挙げて発言しなかった子にも発表の機会を作ることができ、堂々と発表して評価してもらうことで、自己肯定感を高めたり、対話によって自分の考えを深めたりすることにつながる。

ただ、これだけに頼るのは危険である。文房具は日常的に使う物だが、文房具を使うことが目的なのではなく、学びを深めるための一つの道具として活用するということを教員は常に意識せねばならない。基礎的な、漢字を書く、九九を覚える、辞書を何度も引いて覚える、という経験は大事にせねばならない。

一方で、これまで板書だと時間がかかっていたのを画面に映せるようになることで、浮いた時間を考える時間に充てるなど、授業を変えるチャンスでもある。使うことが目的ではなく、ICTの良い面を十分活用して、ハイブリッドで進めていくことが大切だと思う。

(市長)

小中学校の授業を見て、思った以上に活用されているという感想をもった。この短期間で、意欲的に取り組まれていると嬉しく拝見した、学校現場の努力に敬意を表する。ただ、今日の授業は、特にうまく活用されている現場だと思う。デジタルに関わらず起こり得ることだが、教員によって児童生徒の理解度が変わってくるということが、これまでより明確にでてくるように思う。ICT活用手法の一般化や共有化を、教育委員会や学校がどのように進めていくかということは重要な視点だと思う。

デジタル化というのは、すべてをデジタルに置き換える話でない、アナログとデジタルを融合させながらベストミックスを常に模索する作業だということは皆さんとの共通認識である。すべてをタブレットでやる、ということでなく、今後、活用をどう進めていくか、どう考えていけばいいのかと朝からずっと考えていた。

その時に、デジタルトランスフォーメーション(DX)は大事な視点だと思っているが、どういうことか、なかなか理解しにくい部分もある。まず、デジタル化と、デジタルトランスフォーメーションは何が違うのか。

デジタル化はデジタルに置き換えること。これにはデジタイゼーション、デジタライゼーションという概念がある。前者は情報のデジタル化。紙媒体を電子文書ファイルにしたり、手書き名簿を表計算ソフトで作成したりすること。後者はプロセスの情報化。電子データをメールで送る、手続きそのものをデジタルで行う、といったことで利便性が出てくる、これがICT化といわれる世界である。

今日の授業では、デジタル化が行われていた。これまでなら黒板で板書していた内容が電子画面に表示されたり、プリントの代わりに問題がタブレットに送られたり、デジタイゼーションとデジタライゼーションにより、授業の質をより一層高くしていく。いま、学校現場ではこういうことに慣れていく段階であり、これはうまくいっていると思う。

次に、これらのことができるようになったその先のことである。社会システム全体がデジタル化される、それがデジタルトランスフォーメーションである。例えば、オンラインの授業ができるようになった。そうすると、極端なことを言うと、現行のように1人の教員が40人を教える必要があるのか、という疑問が出てくる。授業のとても上手な教員が全生徒に授業した方がよいのではないか。ライブでは、キャパシティの問題でできなかったようなことが可能になる。これは、そういうことをやれと言っているわけでなく、デジタル技術の進展によっていろんなシステムが変わることを、どう本質的に考え、どう子どもたちの学びの機会を最善のものにしていくか。そのためにデジタル化がすすんできて、次の段階に来つつある、ということを感じている。

今までなしえなかった新たな価値を見出したり差別化を図ったりする、企業は競争的優位性を保つのがデジタルトランスフォーメーション。学校では学力をどうひきあげるか、あるいはデジタルを使うことによって、今まで見えなかった生活の習慣、学習ログと学力との相関関係を生かしながら、どのように次の教育活動につなげるのか。そういうことができるようになりつつあるのがデジタルトランスフォーメーション。そういうことの是非も含めて考えられる時代にきたのか、というのが現場を見ての感想である。

教育委員会として、そういう仕組みをどのように作っていくのかが大きなテーマになると思う。その土台として、まさにこの1年目、一人一台端末が配備されたいま、心強く思った。次の展開を考えていけたらと思う。

(委員)

市長から提起された「社会のデジタルトランスフォーメーション(DX)」とリンクした「教育DXの問題」は今後の大きなテーマかと思う。ICT活用の「これから」をしっかり見通し、長期的視点に立って改革を進めることは、今、OECD (Education 2030 プロジェクト)  を中心に議論されているエージェンシーやウエルビーイングの概念、資質・能力とカリキュラム改革など、教育の近未来とリンクする課題であり大きな宿題をもらった思いだ。

(教育長)

これからの教育の在り方について、しっかり見定めていくことが大切である。教師の指導についても、教え込み型から少しずつ子どもに考えさせるように変わってきた。よく言われているのが、指導者でなく「支援者」。もしかするとAIがもっと進化すれば、タブレットで勉強するだけで、最適な質問がされ、回答し、間違っていればさらに必要な質問や問題を出す、というようなことができ、教えることは完璧になるのかもしれない。その時、教師の役割は「支援」になっていく。こういう考え方をしてみたらどうか、と、教えるのでなく方向性を示す在り方に変わるだろう。学習ログが蓄積されれば、学校の財産となっていく。得られた知見を市として取り入れ、高めていくことになるかと思い、市長の提起を聞いていた。目先だけでなく先を見据えながら、教育の在り方について考えていきたい。

(市長)

今までは物理的に限界だったことも、端末整備により選択肢が増えた。その中でどういう最適解を求めていくのか、教育委員会にも市長部局にも問われる。皆さんの力を借りながら、より良い学びを進めていきたい。

(事務局)

以上で閉会する。

お問い合わせ

長岡京市 教育部 教育総務課 総務・施設整備担当
電話: 075-955-9532 ファクス: 075-951-8400
長岡京市 総合政策部 総合計画推進課 企画総務・行革担当
電話: 075-955-9502 ファクス: 075-951-5410