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市役所の工事バリケードに長岡京が出現!?

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市役所前に長岡京想像図が出現!

長岡京創造図の画像

長岡京想像図

 この図はかつて長岡京市にあった、「長岡京」という都を描いたものです。延暦3年(784)11月11日に桓武天皇により、奈良の平城京からこの地へ遷都が行われました。

 この図を見ると、市役所や長岡天満宮、そして線路など、現代のものが長岡京の中にあるということがおわかりかになるかと思います。いまみなさんが住んでいるところ、歩いている道、通っている学校などもすっぽり都の中にありますね。まずは、「いま、自分は都の中にいるんだ~」と想像してみてください。

都の形

 都の中央をひときわ大きい道路が走っていますね。これは朱雀大路という幅が54mもある都のメインストリートです。この朱雀大路より西を「右京」、東を「左京」と呼びます。右京と左京にはそれぞれ「市」と呼ばれる商業施設がもうけられ、ここには全国から人やモノが集まったことでしょう。さて、道路を見てみると、いまの京都のように碁盤の目になっていますね。このような形を「条坊制」といいます。「条」とは横の通り、「坊」とは縦の通りを意味します。

幻の都「長岡京」と中山修一

 この「長岡京」という都は、少し前までは「幻の都」と言われておりました。当時、長岡京は文字資料でしかその存在が見つかっておらず、その存続期間も10年と短かったため、その存在を信じる人はおりませんでした。しかし、当時京都市内で教員をしていた中山修一さんは、地名や文献、そして現地の聞き込みなどを通して長岡京を探し、昭和29年(1954)終わり頃から翌年にかけて行った発掘調査で、長岡宮の朝堂院中門を発見しました。この瞬間、長岡京は幻から実在のものになりました。

修一先生の条坊ゲーム!

 さあ、ここでひとつゲームをしましょう。いま、長岡京市内にある学校の位置は、長岡京風にいうと、どうなると思いますか。修一先生からのヒントを頼りにして、考えてみよう!わかったら各学校のところにあるQRコードを読み込んでみよう!

ホームページからは、こちらで答え合わせができます。