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西国街道さいごくかいどうコース

  • ID:1057

モデルコース

一文橋(いちもんばし)→一里塚(いちりづか)→神足石仏(こうたりせきぶつ)→与市兵衛の墓(よいちべえのはか)→調子八角(ちょうしはっかく)→馬ノ池(うまのいけ)

全行程:3,200m所要時間:3時間

コース紹介の図

西国街道とは

「山崎街道」ともいわれ、摂津西宮(現西宮市)から茨木、高槻を経て、山崎に入り長岡京市から京都東寺(現南区)に至る街道。古代は山陽道の一部で主要な幹線道路であった。

有料の橋 一文橋(いちもんばし)

西国街道にかかるこの橋は、洪水のたびに流され、かけ替えに大変な費用がいった。そのため、橋のたもとに番人がいて、渡り賃として一文ずつ徴収していたといわれ、一文橋と言われるようになった。

与市兵衛の墓(よいちべえのはか)

江戸時代に作られた歌舞伎芝居や人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』(五段目「山崎街道」の場)に登場するゆかりの地。
この墓には、与市兵衛夫妻の戒名が刻まれているとされ、忠臣蔵の根強い人気とともに花や線香を供える人が絶えない。

極楽往生へ願い 神足石仏(こうたりせきぶつ)

墓地に入ると、珍しい石の仏さんが並んでいる。地獄の裁判官である閻魔大王(えんまだいおう)、地獄から救ってくれるお地蔵さんなどがそれである。
村人たちはお釈迦さんの教えにより死後、極楽浄土に行けることを願い、これらの仏さんを建てた。約250年前ごろの作。

馬ノ池(うまのいけ)

平安時代の終わり頃。関白のお供で四天王寺参りの途中、近衛府の役人下野(しもづけ)武正がこの池のほとりで馬からドサッと落ちた。あわてて馬にまたがり、素知らぬ顔をして大阪に向かった。ところが、大阪から帰る途中、この池のほとりまで来ると、落馬を見ていた関白が、「ここだ。ここだ。武正のところだ」と言って冷やかした。
武正は「そうでございます」と即座に答え、ニヤリと笑った。武正は機転をきかして「関白殿は、ここが武正の所だとおっしゃった。わしの領地だ」といい、池の一帯をそっくり自らの領地にしたという。池はこの話に因んで、馬から落ちて乗った所として「馬乗り池」、のちに「馬ノ池」と呼ばれるようになったといわれる。