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市の沿革

[2016年10月20日]

ID:1986

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本市の歴史は古く、約2万~3万年前の後期旧石器時代から人々の活動が確認されています。その後も豊かな水と緑に恵まれ、現在に至るまで連綿と人々の生活の場となってきました。

 

特に古墳時代では各時期の首長墓が築かれ、常に中央王権とつながっていたことがわかっています。また6世紀初めには継体天皇による「弟国宮」が、8世紀末には桓武天皇による「長岡京」と二度にわたって宮都が置かれました。

 

中世には多くの戦禍に巻き込まれますが、人々はたくましく生き抜きます。江戸時代には、村々は皇室・公家・寺社等に細分して領有されますが、平和な農村として、京都の生活を支えつつ、明治に至ります。

 

明治22年、町村制の実施によって江戸時代の村15ヶ村が合併して新神足村、海印寺村、乙訓村の3ヶ村となりました。人々は平たん部では米・麦・茶などの農産物を、西部丘陵地では特産物「たけのこ」を産出する農村として、豊かな土地、大都市の近郊、交通の至便さなどに恵まれて発展を続けてきました。

 

昭和24年には3ヶ村が合併し、長岡町が誕生しました。昭和34年ごろからは日本経済のめざましい成長にともない、京都・大阪の衛星都市という立地条件の良さから人々が流入し、また工場の進出によって急速に都市化が進行しました。

人口は昭和45年には5万人を超え、昭和47年10月1日に市制を施行し「長岡京市」となりました。市名は古代の都「長岡京」から命名したもので、都の名前を市名としているのは全国でもここだけです。その後も人口は増え続け、平成23年5月9日には8万人を突破しています。

 

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