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市役所前の発掘調査速報☆

[2020年7月16日]

ID:9930

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ここでは、発掘調査の様子を紹介しています。

現在は、長岡京市役所前で実施している発掘調査の進捗状況をアップしています。

調査の概要

調査は市庁舎建て替えに先立って実施しているものです。

令和元年度の調査期間:2月から3月まで(調査終了)

令和2年度の調査期間:4月から8月まで(予定)※調査中

7月上旬

雨にもマケズ・・・

今年は、6月の後半ごろから長雨が続いていて、少なからず調査にも影響がでました。

発掘調査は、地面に残る遺跡の痕跡を見つけていく調査です。

なので、雨は天敵です。遺跡が水に浸かってしまうと、壊れてしまうこともしばしば・・・

そんな梅雨の時期と格闘しながら、無事に調査を進めることができました。






7月からは埋め戻しがはじまっています。

6月上旬

報道発表しました。

このたび、市庁舎前の発掘調査で発見された成果を6月16日に報道発表させていただきました。

発表内容は下記のとおりです。

<主な調査成果>

 (1)長岡京の五条大路の北側溝が検出されました

  • 推定復元のとおりの位置から道路の跡が見つかり、アゼリア通りが約1200年間続いていることがわかりました。

 (2)平安時代の建物と瓦が見つかりました。

  • 長岡京から平安京へ都が遷った後も、この付近には貴族の別邸などが建てられた可能性があります。
  • また、出土した瓦は、仁和寺で使用されているものと類似しており、「仁和寺開田院」という寺院との関係を思わせます。


<詳細は下記をダウンロードして下さい。>

長岡京跡右京第1205次調査 報道発表資料

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発掘調査速報動画

調査の成果を動画でご紹介しています。

「長岡京市役所前の道路は、1200年前からメインストリートだった!」

再生時間:2分

5月下旬

なぜ?こんな場所に?

長岡京市では、長岡京の時代の様々な文様の瓦が出土します。

今回出土した瓦は、10世紀頃(平安時代中期~後期)の軒平瓦です。

この瓦は、仁和寺(京都市右京区)の屋根にも使用されていることがわかりました。

市役所のある開田地域は、仁和寺の別院である「開田院」という寺院があったとされる場所です。

長岡京廃都後も、この地域には重要な建物が立ち並んでいたのでしょうか?

仁和寺と同じ文様の軒平瓦

この瓦は長岡京市ではじめて発見された文様の瓦で、京都市東山区にある池田瓦窯(いけだがよう)で作られたものです。

5月中旬

昔もアゼリア通りを使っていた⁉

調査区のやや南よりの地点から、直線的にのびる溝が見つかりました。

この場所は、長岡京の五条大路に推定される場所であることから、今回発見された溝は五条大路に関係する溝の可能性がでてきました。長岡京の大路は幅約24mもあり、復元すると現在のアゼリア通りと重なります。

そのため、東西にまっすぐのびるアゼリア通りは、長岡京の時代の五条通の一部が今に残っていると考えられます。

五条大路の北側溝か

長岡京は、条坊(じょうぼう)制と呼ばれる区画割りによって碁盤の目状に整備されていました。

東西の道路は「〇大路・小路」、南北の道路は「〇大路・小路」と呼ばれ、大路(おおじ)は幅24m、小路(こうじ)は幅9mの規格でつくられました。

5月上旬

何これ?

発掘調査を進めていくと、本来の形が失われ、用途不明の遺構・遺物が見つかることがあります。

埋蔵文化財調査または考古学では、出土したものを計測したり、詳細に観察・分析することで、

一部分しか残存していないものから、その用途や機能を考えていきます。

しかし、やっぱりよくわからないものもあります・・・。

ほこらか?墓か?祭祀場か?

石組みの遺構をもつ建物で、南側に庇(ひさし)が付きます。(左写真の上が南)

建物の中に作られた石組みは、石塔や社(やしろ)が置かれていたものかもしれません。

4月下旬

中世の村がここにあった?

この付近は中世から江戸時代に大きく削られています。そのため、様々な時代の遺構が同一面で見つかってきました。

この内、丸く見えるものの大半は、中世(鎌倉~室町時代)の柱穴です。

直線的に並ぶものなどは、建物や柵などの痕跡と考えられます。

中世の掘立柱建物

身舎(もや)は、梁間(はりま)2間、桁行(けたゆき)3間で、南側に庇(ひさし)が付きます


穴の中に土器が入っている!

遺構の中から出土した土器の形で時期を決めています

4月中旬

遺跡が見えてきた!

重機を使った掘削が終了すると、人力による作業が始まります。

調査区の形を整えたり、遺跡面をきれいにしていくと、土の色や質が違うところが見えてきます。

この辺りのベースとなっている地盤は、黄色や褐色の粘質な土です。

そのため、黒っぽく見える土の部分が遺構となります。

調査区の平面をきれいにする作業

江戸時代頃の畑のあと

4月上旬

発掘調査はじまりました。

長岡京市役所のある場所は、長岡京跡右京五条二坊五町にあたり、約1240年前には五条大路という大きな道沿いの宅地でした。

また、周辺の調査では、長岡京の時代よりも古い古墳時代(約1500年前)には、一辺10メートルから15メートル前後の方墳が複数つくられていたこと、それよりも新しい鎌倉時代から室町時代まで(約500年から800年前)の建物跡などが見つかっています。

今回の発掘調査では、どのような成果が出てくるのでしょうか?


調査前の様子

重機をつかって掘削しています