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現在位置

令和6年度第1回社会教育委員会議会議録

  • ID:14422

開催日時

令和6年5月31日(金曜日)    午後2時30分から同4時00分まで

開催場所

長岡京市立図書館 大会議室


出席者

社会教育委員

島袋委員長、河原副委員長、内山委員、谷井委員、瀧川委員、浅田委員、神谷委員、延尾委員、奥本委員、鵜野委員


行政側

教育長、教育部長、生涯学習課主幹、社会教育指導員


会議公開の可否

公開

傍聴者

会議次第

自己紹介

開 会

あいさつ

案 件

 (1)役員・委員等の選出について

 (2)令和6年度 社会教育委員関連事業の年間計画について

 (3)令和5年度 社会教育関係事業報告について

 (4)令和6年度 社会教育関係事業計画について

 (5)「社会教育を推進するために」について

 (6)市民向け冊子「社会教育って?」について

 (7)若年世代の社会教育への関わりについて

 (8)その他

閉 会


開会

自己紹介

教育長あいさつ

・公私ご多用の中、ご出席をいただき誠にありがとうございます。

・会議に先立ち、新たに社会教育委員に就かれた方に委嘱状をお渡しした。1年間よろしくお願いする。

・お手許に、令和6年度版の「社会教育を推進するために」をお配りしている。作成に当たっては、委員の皆様からご意見をいただきありがとうございました。

・このリーフレットは毎年作成し、社会教育推進にかかる担当課や関係施設で内容を共有するとともに、本市の社会教育の方向性や取組内容を知っていただくため社会教育委員さんや文化財保護審議会委員さん、社会教育関係団体、学校、PTAなどの方々にお配りしてきた。

・これに加えて、昨年度には「社会教育って?」という市民啓発冊子も作成し、HPに掲載したり、関係機関に配架したりして、市民の皆様に手に取っていただけるようにしている。市民の皆様に社会教育・生涯学習について知っていただき、社会教育活動や生涯学習の場に参加いただくきっかけになればと考えている。

・昨年末、中央公民館に他市より視察に来られたが、その際には、本市の丁寧な対応と本市の取組が参考になったと大変喜んでおられた。加えて、この「社会教育って?」の冊子に大層興味を示されていたと、対応に当たった職員より聞いている。社会教育と生涯学習の違いや、本市の教育の方向性や具体的に取り組んでいく事業などについて、冊子全体が市民目線で作成され、とてもやさしくわかりやすいとの感想をいただいたそうだ。今後も、市民の方々に様々な情報をわかりやすく発信していければと思う。

・話は変わるが、今年7月に紙幣のデザインが20年ぶりに一新される。今回のデザイン一新には、偽造を防止するための技術が施されているようだ。世界で初めてとなる最先端のホログラム技術で、紙幣を斜めに傾けると肖像が立体的に動いて見えたり、高精細な透かしの模様や、紫外線を当てると発光するインキなども使われたりしているのだそうだ。

・今回の肖像は、1万円札が「日本の資本主義の父」と呼ばれる実業家の渋沢栄一、5千円札は、津田塾大学の創設者である女子教育家の津田梅子、1千円札が破傷風の予防・治療法を開発した医学者北里柴三郎が描かれる。

・1万円の肖像となる渋沢栄一は、幕末から明治を駆け抜け、日本資本主義の礎を築いた人物として、2021年の大河ドラマ「晴天を衝け」で、その生涯が描かれていた。渋沢栄一は日本初の銀行を設立しただけでなく、様々な種類の会社設立にも携わり、近代日本の経済を支え、明治財界のリーダーとして活躍された方である。

・そんな渋沢栄一の「夢七訓」という言葉がある。

・「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。幸福を求める者は夢なかるべからず。」

・ウエルビーイングの実現が求められる今、私たちも夢を持って、社会教育を進めていきたいものである。

・最後に、渋沢栄一の言葉をもう一つ。

・「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。」

・人生百年時代と言われる現在、私たちもこういう気概をもって百歳になっても元気で夢を追いかけたいものである。

・委員の皆様におかれては、ウエルビーイングの実現に向け、より一層のお力添えをよろしくお願いしたい。

・簡単ではあるが、開会のご挨拶とさせていただく。


会議の成立条件について

半数以上の出席により、本日の会議は成立

案件

・案件1 役員・委員等の選出について

  長岡京市社会教育委員会議委員長:島袋委員

  同             副委員長:河原委員

  乙訓社会教育委員等連絡協議会副会長:島袋委員

  同           理 事:神谷委員、奥本委員

  同           監 事:河原委員

  長岡京市図書館協議会委員:浅田委員

(生涯学習課主幹)

本年度の体制をご承認いただいたところではあるが、河原副委員長の選出団体であるスポーツ協会より、6月に役員改選されるとのご連絡があり、河原委員は社会教育委員を退任され、新たな方が選出されることになる。ついては、本会議の副委員長が空席となることから、その後の副委員長を現在の委員の中から選出させていただきたいと思う。どなたも立候補がなければ、どなたか推薦いただければと思うが、いかがか。

(委員長)

 奥本委員にお願いするのがよいと思うが、いかがか。

(委員)

異議なし。

(生涯学習課主幹)

それでは、奥本委員に、次回会議よりよろしくお願いする。

尚、奥本委員は、現在乙訓社会教育委員等連絡協議会の理事であるが、副委員長就任後は、監事として乙訓社会教育委員等連絡協議会の役員会にご出席いただくことになる。乙社教の理事としては、スポーツ協会選出の新社会教育委員にお願いしたいと考えているので、第2回社会教育委員会議で皆様に報告させていただく。


委員長あいさつ

・皆様、本日はご多用の中、本委員会へご出席くださいまして、誠にありがとうございます。平素より社会教育の推進にご尽力いただいておられることに大変感謝申し上げる。

・本日の会議で、「若年世代の社会教育への関わりについて」と題して、案件の7番目に入っていることに注目したそれについて、私なりに感じたことをお話させていただく。

・昨今、全国的に「少子高齢化」の波が押し寄せ、それとともに人口減少、コロナ禍など社会の大きな変化の中にあって、それぞれの市町村における社会教育をどのように進めていくかが、大きな課題となっている。

・その中でも、特に今後の社会を担う若者達がそれぞれの地域づくりに、いかに関わっていくのかは、どの地域の社会教育の面からも大きな課題になっていることは事実である。

・長岡京市のホームページによると、令和6年3月1日現在の人口は、82,295名である。その中で若者世代と考えられる18歳から30歳までの人数が10,161名と報告されている。

・社会教育の地域活性化に必要なこととして、①高齢者層から若年層まで、多様な年齢層が活動に参加していること。②次世代へのつながりを可能にする人材の育成が上げられる。

・本市の社会教育の推進に関しての基本目標の中に「子どもを中心に、つながる地域の学びの推進」が挙げられている。それはとても大切な事だと思っている。そこで育った子どもたちが、やがて社会教育に関心を持ち、そして、いずれは若者世代のリーダー格になれるような継続的なつながりができることを願っている。

・本市においても、若者の地域参加を促進し、若者の力を活かせるように、地域づくりを支える組織・団体間の連携体制、そして支援方策の整備がさらに望まれる。

・社会教育と社会教育行政、社会教育施設等が地域の人々と同様に若者にとっても身近な学習・活動の拠点になるための支援方策が、より必要となってきているのは、否定できない。

・高齢者層から、跡継ぎ世代である中高年層に加え、もうひとつ下の層である若者層が連携し、つながっていくこと、それこそが持続可能(SDGs)な社会教育といえる。

・先日、本市の現状はどうなのかを参考にするために、バンビオの6階にある「生涯学習団体交流室」を訪れた。

・私自身、中央公民館とは、講座や京都西山短期大学との連絡調整会議等でお世話になっており、およその現状は知っている。しかし、生涯学習団体交流室の存在は前から知っていたものの、私自身、具体的な内容は今一つ把握できていなかった面があり、それが訪れた理由であった。

・職員からの説明に、中央公民館同様に多種多様な企画をされ、実施されていることがわかった。

・社会教育委員のお仕事をさせていただいて感じていることは、長岡京市の行政は、社会教育の分野において、それぞれが市民のために真摯に頑張り、成果を出されておられることである。本日の資料を読ませていただいても、そのように感じさせていただいている。

・職員の方に、現在若者を対象にした企画講座の状況等はどうなのか、聞かせていただいた。それによると、「わくわく講座」等の講座は、どうしても時間的にゆとりのある高齢者の方の参加が大多数であり、若者の参加はかなり少ない様である。若者を対象にした企画をしようにも,現実に、その世代、すなわち大学生は授業やアルバイト、就職している人は、新人で仕事に追われっぱなし、結婚している若い母親は子育て中で忙しい等で、曜日や時間設定がかなり難しい面があり、なかなかうまく行かず課題のままの状況であるとのことであった。しかしだからといって、あきらめているわけではなく、今後も模索していきたいとのことであった。   

・ここでも、職員が市民のために、いろいろと頑張っておられる姿が見えて、心強く思った。

・そこで私自身が感じたことは、中央公民館と生涯学習団体交流室は、内容的には重なる部分が多くあるが、それぞれが独立した形で仕事をされていることである。特に若年層への取り組みは、企画、実施をさらにお互い連携して進めて行く部分があっても良いのではないかと思った。若年層への取り組み、連携は、行政の区切りの面で難しい面はあるかも知れないが、持続可能な長岡京市の社会教育面を考える時、高齢者層から若年層まで、多様な年齢層が活動に参加していることは絶対条件であると考える。それならば、特に若年層世代の社会教育への関わりを大きな課題としている今、ぜひ行政がいろんな面において、リードして進めていただけたらと、私個人では感じた。

・インターネット等で、他府県の市町村の実態を調べてみた。参考になったものをいくつかまとめてみる。

・若者世代の受講者が少ない要因として、つぎに上げるような課題が考えられる。

① 現役世代のニーズにあった講座が少ない。

② 申し込み方法や講座実施時間などの講座実施体制が若者世代の実情に合わず、若者にとっては利便性が良くない。

③ 若者世代に講座の実施情報が伝わっていない。また、若者世代は生涯学習そのものには興味・関心はあるものの、地元で行っている生涯学習に目が向いていない。

④ 若者世代が求めている、生涯学習で学んだ成果に対する評価をあらわす制度がない。

⑤ 学んだことを生かす手段が整えられていない。

・若者世代の受講率向上のための取り組みとして、

① 夜間時間帯(午後6時以降)における講座の実施

② 土、日曜日、休日における講座の実施など、若者世代の受講者が参加しやすい環境の整備を推進している。

・以上のことが、事例として多くあげられ、若者世代の受講者を増加させていくためには、上記のような課題を解決する方策を検討し、今後の生涯学習センター等の企画・実施に導入していく必要がある。と、その様なことが、それぞれの地域の、およそのまとめであった。

・今回、本日の案件(7)「若年世代の社会教育への関わりについて」討議されることは、社会教育の面からも、大変意義のある、そして当を得たテーマだと思っている。

・どうかその件について、本日は、それぞれの委員の皆様方の、忌憚のないご意見を賜りますようお願いして、挨拶に代えさせていただく。


案件

案件2 令和6年度 社会教育委員関連事業の年間計画について

 生涯学習課より説明

案件3 令和5年度 社会教育関係事業報告について

  生涯学習課より説明

案件4 令和6年度社会教育関係事業計画について

        生涯学習課より説明

案件5 「社会教育を推進するために」について

        生涯学習課より説明

案件6 市民向け啓発冊子「社会教育って?」について

  生涯学習課より説明

案件7 若年世代の社会教育への関わりについて

  生涯学習課より説明

(島袋委員長より報告)

・「これまで大学教員として、若い世代である学生と関わってきた経験から、最近の学生と社会教育活動との関わりの現状」を話してほしいとの依頼を受けた。私なりにその時々において、授業や行事等で学生たちに発してきた言動などを中心にお話しさせていただく。現在の学生の姿が垣間見えると幸いである。

・まず、社会教育面において、京都西山短期大学と長岡京市との関わりについて、お話しさせていただく。長岡京市教育委員会と京都西山短期大学は、長岡京市における生涯学習・地域学習について連携・協力するために、令和3年に、協定を締結している。

・この協定は、両機関が連携のもと、生涯学習・地域学習の分野で相互に協力し、長岡京市における教育の充実と発展、豊かな地域社会の形成に寄与することを目的としている。

・連携事項として

  ⑴ 生涯学習の振興に関すること

  ⑵ 地域学習の発展及び人材育成に関すること

  ⑶ 社会課題に、教育の視点から取り組むこと

として連携を深めてきた。

・提携が決まる令和3年以前は、京都西山短期大学の教員が、中央公民館の講座での講師として協力してきた。令和元年以降は、「協同プログラム」と称し、本学の学生が、学びを兼ねた講師役を引き受けて講座を実施してきた。

・令和3年の提携後の中央公民館と学生の関わりのある講座としては、

  ①「緘黙のお子さんへの支援講座」

  ②「パネルシアター養成講座」

③「京都西山短期大学の学生と運動遊びを楽しもう」

④「親子体操を楽しもう」

 等がある。

・連携までの経緯を少しお話しさせていただく。現在私は京都西山短期大学を退職しているが、私が大学にお世話になった頃、今は亡き、小田元長岡京市長とのご縁があった。

・長岡京市にある唯一の短大であるにも関わらず、本学は長岡京市との連携が希薄であったことは否めなかった。その頃は、新たに保育コースが設置され、大学としても慌ただしい日々の連続であった。やっと軌道に乗りはじめたとき、「長岡京市唯一の大学として、地域に根ざした大学を目指す必要がある」との思いで、小田元市長にそのことをお話しした。さすがに行動力のある方で、早速、労を取ってくださったのが、長岡京市との本格的な連携の始まりになったと記憶している。

・教員の関わりとは別に、若い世代である保育専攻学生と中央公民館との関わりは、学生自身の学びの場にもなり、結果的には長岡京市民のためにもなりうると考えた。そのきっかけを作って下さったのが、小田元市長であり、今でも心から感謝の念を感じている。

・以上のことが、本学の若者世代である学生達が、長岡京市における社会教育面での連携に 関わってきた経緯である。

・次に、実際に授業や大学生活の場で、学生と関ってきたお話をいくつかご紹介する。

・私は、入学式・卒業式等の節目々で、必ず学生に話す言葉がある。まず入学式においては、「勉強と学ぶことの違い」について話す。学生たちに向かって「皆さんは、これまで一生懸命勉強してきたと思います。でもそれは大学の学びとは違います。大学は勉強する場ではなく、学びの場です。高校までの皆さんは勉強に頑張ってきたと思います。勉強の「強」は、「しいる」と読みます。すなわち一方的に、先生から教わったことを皆さんはこれまで学習してきました。それは高校までは、大変必要な事です。しかし、大学で学ぶということとは、違います。自らの専門分野に向かって、主体的に取り組むことが、学びにつながるのです」そして、「いろんな面において、まだまだ見えていない部分がいっぱいあることに気が付いてください。これからの大学で専門分野を学ぶ事において、現在、見えていない部分が多々あることを自覚し、それを探し出して下さい。探し出したら、それを自分のものにできるように頑張ってください。それが学ぶことです」と話す。

・学びは、大学のことだけでなく、社会教育の面からも、言えるのではないかと思っている。中央公民館での学生たちの活動は、今思えば学生自らの主体的な行動ではなく、こちらサイドのお膳立ての結果であり、学生自身が、社会教育を意識した学びではなかった。私自身、それに気づかずに、そのことを意識させる機会を無駄にした気がして反省している。

・学生が見えていなかった社会教育の面を、学生自身が見ようとする方向へ導くことが、若年層の社会教育へのスタートにつながるものだと思った。

・授業の中で、学生にある問いかけを行うことがある。それは「みんな、チャンスの神様っていると思う?」。学生たちは悩みながら、どちらかに手を上げる。4,5年前であれば、「チャンスの神様はいる」と信じている学生が割に多くいたが、現在の学生は「いないと思う」の方へ、答えを出す傾向が多くなってきている。それは何を意味しているのだろうか?現実の社会に、夢を持てなくなってきたのか、はたまた、現実に形として現れないものは信じられないとの思いが、強くなってきたのであろうか。理由はとかくも、それが現在の若者の意識のようである。

・そこで私は学生に向かって「内緒やで!みんなにだけ教えてあげる!チャンスの神様はホンマは、いるんや!しかし、チャンスの神様は、かわいそうにほとんど髪の毛がないんや、つるっ禿げで、頭の前に3本くらいの髪の毛しかないんや!だからチャンスの神様をつかもうと思ったら、後ろからは、はげているから、手がすべってつかめへん!どうしたらいいか? そう!神様の前に回り込んで、わずか3本くらいしかない髪の毛を、前向きに掴むんや!前向きやで!そこから前向きと言う言葉が生まれたんやということを、皆知っていたか?」・学生たちはその言葉に、「なるほど、そうだったのか!前向きと言う言葉は、そこから生まれたんや!知らなかった!」と、ほとんどの学生が納得する。しかし、それには落ちがあり、学生たちのあまりにも良すぎる反応に、つい私は懺悔する気持ちになった。「ごめん!申し訳ない!これは先生の作り話や!」と言うと、その反動はすごいブーイングであった。純粋に信じたのに、見事に裏切られた気持ちになったのであろう。理由はどうであれ「なにごとも前向きに」というその言葉は、学生たちにとってかなりインパクトがあったようである。

・私は40年以上前から指導している女声合唱団がある。もう平均年齢も80歳前後の合唱団である。高齢になってくると少し気をつけねばいけないことがある。それは、コーラスの練習中、無意識に指につばをつけて、楽譜をめくってしまうことである。本番でそれをやられたらたまらない。大学でのコーラス指導の時、学生にその話をして、「気をつけなさいよ」と言った。すかさず、ある学生が大きな声で返事した。「先生、私たちは大丈夫です」「なぜ?」「私たちは若いので、全員まだ指に、油があります」と!ニコッと言う。皆も「そうだ そうだ」と言わんばかりの顔をしている!私は、返す言葉がなく、大笑いするしか、術がなかった。

・その様なことがあってから、私は毎年、授業の初めにプリントを配布するとき、学生に問いかける。「先生、最近指が乾ききって、プリントがすべってめくれない!だから指にツバを付けてめくっていいか?」、とたんに学生は「きゃー、先生それやめて、プリントは私たちが配ります!」毎年、その手を使うと、学生たちが自主的にプリントを配ってくれて楽である。

・このことで、若者に学ばせてもらったことがある。それは高齢者の私が若者の現実を考 えきれず、同じ立場の意識でもって話してしまったこと。世代と世代のギャップを認識していなかったことにある。何事も年配者である私自身の認識が正しいとは限らないことにあった。

・現在、社会教育面での課題となっている若年層とのつながりを、どうしたらよいか、ということを考えた場合、いろんな面において、高齢者の私たちと現在の若者との価値観にはギャップがあることを自覚することから、始めるべきではないかと思っている。そしてそれを少しでもなくすためには、若い世代とのコミュニケションの機会を、少しでも多く持つことが必要であるような気がする。

・高校30年、大学20年近く、約50年前後の教師生活で最終的に学んだことは、「教育」という言葉である。「教育」とは、字のとおり、若者を教え育てることにあると思っていた。しかし、そうではなく「私が教え、私が育てられること」だと、人生の終着点に近づいている私が、やっと理解した言葉である。

・本日の案件である「若年世代の社会教育への関わりについて」、私自身が思うことは、まず、私たち自身が、機会あるごとに、若者たちとのコミニュケーション作りを意識し、行動に移すこと。そして社会教育は、年配者からの上から目線でなく、「お互いが教え、教えられる」関係であることを念頭に、若年層とのつながりを意識することだと思っている。

・私自身も社会教委員の一人として、若者に学ばさせていただこうと言う気持ちを持って今後、若年層の一人一人と接していきたいと思っている。

・ご静聴ありがとうございました。


(内山委員より報告)

・今年度の長岡京市社会教育委員会議では「若年世代の社会教育」をテーマにされるということで、青少年の社会教育についてお話しするようご依頼をいただいた。本日は昨今の青少年社会教育のニーズと、ここに至るまでの経緯をスライドを使ってお話ししたいと思う。歴史は簡単な流れになるので、詳しくは、お手元にお配りしている参考資料を後ほどご覧いただければ幸いである。

・はじめに、社会教育とは社会教育法によれば「学校教育を除いた組織的な教育」と定義されている。そのため、範囲は大変広くなる。近年の青少年の社会問題として、自然体験の不足や、メディア接触の低年齢化、いじめ、不登校、離職率の高さなどが挙げられるが、このように問題が多様化することで、従来よりも青少年に向けた社会教育は複雑化して、社会教育の独自性というよりは、福祉、労働の部局や、学校教育などと連携して進めることが多くなっている。

・日ごろ大学生と会う中で、現在の若年世代の社会教育に対するニーズをキーワードとしてまとめると、「体験」「コミュニケーション」「役に立ちたい」ではないかと思う。ここに至る青少年社会教育の歴史を簡単にご紹介する。

・社会教育はよく学校教育と対比されるが、学校教育がまだなかった江戸期には、家での仕事見習いや、寺子屋、藩校、また青年の社会教育のルーツとも言われる若者組などがあった。地域社会の中に青少年が大人になる節目、いわゆる通過儀礼があって、教育といえば社会教育しかなかった時代と考えることもできる。

・国による学校教育が登場するのは明治期で、ヨーロッパの学校をモデルとした学校制度ができたが、この時代の学校教育は複線型で誰もが同じ学校教育を受けたのではない。学歴をつけて社会上昇の手段とする若者はほんの一部のエリート青年であった。農村などでは自主的な青年会や夜学会ができて、後に青年団になっていく。国による社会教育もはじまり、通俗教育と呼ばれていた。

・次に、第二次世界大戦中の社会教育であるが、地域の青年団はそのまとまりの良さから戦争のために利用され、婦人会もそうだが、いわゆる国のための教化政策に動員される時期があった。戦後、新憲法ができて教育が民主化されると、教育基本法や社会教育法が公布されて、現在の社会教育の形になっていく。学校教育は義務教育となって誰でも9年間は学校に行くようになるが、まだ高校への進学率は低くて、中学卒業後の青年が参加する「青年学級」という話し合いや勉強会が、地域の公民館を使って盛んに開かれた。

・ここで興味深いのは、当時の青年たちはこの青年学級のための法律を国が作ることに反対したのである。これは、若者の活動がまた戦時中のように国によって統制されはしないかと心配したためだが、結局国の補助を受けて青年学級は増えていく。資料によると1959年の青年学級は1万3千ヵ所あり、地域青年団は全国に2万7千団もあったそうである。これは高校の数が、全日制定時制合わせて約6千校だったのに比べて、大変多い数ということが分かる。

・このように盛んになった青年の社会教育であるが、1960年代の高度経済成長期になると農村の青年たちが都市に出ていくにつれて、都市の青年や学校へ通う青少年に方向が変わっていくことになる。皆さんも「青年の家」という名前をご存知かと思うが、これは泊まることができない青少年施設で、この時代に都市に出てきた勤労青年の居場所になった。「居場所」というのは、今でも青少年社会教育のニーズになっている。また、1975年には、初めて国立少年の家が室戸にできた。これは、子どもたちに自然に親しんでもらうことを目的としていた。

・このように日本の青少年は学校教育が中心になってきたが、1980年代になると、学歴社会に疑問を出した臨時教育審議会という会議が開かれて、ここから生涯学習がクローズアップされてくる。その後は皆様もよくご存じと思う。2002年に学校が週5日制になり生きる力やゆとり教育が言われるようになる。

・そんな中で2006年に教育基本法が改正されて、新しく第13条には、学校、家庭、地域住民が協力して教育を行っていくよう謳われた。この流れで、現在自治体ではコミュニティスクールや地域学校協働活動が推進されている。

・さて、このようなことがこれまでの若年世代の社会教育の流れである。ここで初めに戻って、現在の若年世代の社会教育について考えると、若者自身からの個人のニーズ、要望としては「社会体験」「コミュニケーション」「居場所」「キャリア教育」が挙げられる。そして、社会から若者への要請は「学校、地域支援」や「多世代交流」ではないだろうか。そのどちらをも満たすのがボランティアで、大学生の社会教育ではボランティア活動が大変盛んになっている。今の若者は面と向かうとおとなしい印象であるが、役に立ちたいという思いが強いと思う。

・青少年の社会教育の事例はファイルの中にまとめているが、今の若年世代の社会教育を分類すると、学校や施設での「学習支援ボランティア」、キャンプやスポーツイベント支援などの「野外活動ボランティア」、地域おこしや防災などの「地域ボランティア」が多く見られる。後ほどご覧いただきたい。また、一昨日の新聞記事によれば、大阪万博のボランティアの応募者は10代と20代が最も多くなっているそうである。これは20年前の愛知万博ボランティアでは、60代が最多応募だったのとは大きな変化である。その一方で大学生の就活は年々前倒しになっているという記事もあり、大学生は選択を急かされている感じもしている。

・長岡京市や各団体で行われる若年世代の社会教育にも、お話しさせていただいたような、体験、キャリア、ボランティアといった若者のニーズを取り込みながら、地域での役割を担ってもらうプログラムを組まれると良いのではないかと考える。

・ご清聴ありがとうございました。


以下、委員よりご意見

(委員)

 次は、社会教育に関わっている若者の具体例をお聞きしたい。


事務連絡等

・委員謝礼について


閉会

副委員長あいさつ

・長時間、ありがとうございました。

・昨年度コロナが5類に移行したことで、様々なことがコロナ以前に戻ってきたが、まだまだ戻り切らないこともある。また、中身が変わってきたものもある。しかし、続けていくことが大事である。社会教育は広い範囲であるが、粛々と進めていくことだと思う。

・私事ではあるが、6月10日で社会教育委員を退任する。皆様には引き続き委員としてよろしくお願いしたい。

・本日は、島袋委員長と内山委員のお話を聞いて学ぶミニフォーラムとなった。なかなか聞くことのできない内容であり、大変ありがたかった。


会議資料

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