ページの先頭です
メニューの終端です。

【乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)】が国の史跡に指定されました。

[2016年3月16日]

乙訓古墳群とは

乙訓地域(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市の一部)に所在する古墳時代(3世紀~7世紀)の首長の古墳です。一つの地域で首長の古墳が継続して築造された事例は日本列島において稀なものです。これらの古墳の動向は、畿内中枢部(大和政権)の大王陵の動向と軌を一にしており、古墳時代における政治的動向を示す縮図ともいえます。

本市では、京都府をはじめ京都市、向日市、大山崎町と協力し、乙訓古墳群の保存に向けて史跡指定を目指してきました。このたび、平成28年3月1日に恵解山古墳をはじめ11基の古墳が【国指定史跡 乙訓古墳群】として指定されました。

乙訓古墳群の分布

長岡京市内の乙訓古墳群

長岡京市内では、恵解山古墳、井ノ内車塚古墳、井ノ内稲荷塚古墳、今里大塚古墳の4基の古墳が乙訓古墳群に指定さています。

恵解山古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 恵解山古墳)

恵解山古墳の概要

 立地

標高:16m(低位段丘Ⅰ~氾濫原Ⅰ)
 墳形前方後円墳(段築:前方部:3段、後円部:3段)
 墳長128m(後円部径:78.6m、前方部長:49.4m)
 外表施設葺石:有り、埴輪列:有り
 埋葬施設後円部:竪穴式石槨、前方部:副葬品埋納施設
 主な副葬品鉄製武器類、鉄製農工具類、石製模造品、管玉

恵解山古墳(いげのやまこふん)とは

恵解山古墳出土 鉄製武器類

恵解山古墳は、5世紀前半に築造された乙訓地域最大の古墳です。古墳時代前期(3~4世紀)には向日丘陵(向日市)を中心に小さな地域を首長が治め、古墳をつくっていましたが、古墳時代中期(5世紀)になると、巨大な前方後円墳である恵解山古墳が平野部に誕生します。また、当時貴重であった鉄製の武器類を多量に埋納するなど、強い権力をもっていたことがうかがえ、恵解山古墳の被葬者は、乙訓地域全土を治めた有力な人物の墓ではないかと言われています。

詳細はこちらへ

井ノ内車塚古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 井ノ内車塚古墳)

井ノ内車塚古墳の概要

 立地

標高:48m(低位段丘Ⅰ)
 墳形前方後円墳(段築:無し)
 墳長39m(後円部径:24m、前方部長:17m)
 外表施設葺石:無し、埴輪列:有り
 埋葬施設後円部:不明(横穴式石室か?)、陶棺
 主な副葬品土師器、須恵器、韓式系軟質土器

井ノ内車塚古墳(いのうちくるまづかこふん)とは

井ノ内車塚古墳 造り出し

井ノ内車塚古墳は、6世紀前半に築造された前方後円墳です。この古墳の所在する地域は、古墳時代前期や中期に顕著な古墳が築造されなかった地域ですが、突如として古墳の築造が始まり、終末期(7世紀)まで継続的に造墓活動が進められます。また、井ノ内稲荷塚古墳、芝1号墳などの首長墓を頂点として、周囲に小規模な古墳や墳丘をもたない土壙墓などを伴って分布しており、大小様々な墳墓で構成される極めて階層差が明確な古墳群であると言えます。この地域の古墳は、新たに台頭してきた政治勢力の有力者が葬られていると考えられています。

井ノ内稲荷塚古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 井ノ内稲荷塚古墳)

井ノ内稲荷塚古墳の概要

 立地

標高:42m(低位段丘Ⅰ)
 墳形前方後円墳(段築:無し)
 墳長46m(後円部径:29.4m、前方部長:16.6m)
 外表施設葺石:無し、埴輪列:無し
 埋葬施設後円部:横穴式石室、前方部:木棺直葬
 主な副葬品鉄製武器類、鉄製武具、鉄製工具、馬具、玉類、土師器、須恵器

井ノ内稲荷塚古墳(いのうちいなりづかこふん)とは

井ノ内稲荷塚古墳 後円部 横穴式石室

井ノ内稲荷塚古墳は、井ノ内車塚古墳に続いて築造された6世紀前半の前方後円墳です。後円部に横穴式石室、前方部に木棺直葬の埋葬施設がつくられており、横穴式石室は古式の畿内型横穴式石室が採用されています。副葬品は、鉄製武器類、金製刀装具、金銅張胡籙(ころく)、金銅張馬具、装身具などが見つかっています。芝古墳、車塚古墳、稲荷塚古墳は、この時期の最上位に位置する墳形・規模を有するとともに、乙訓地域で最も早くに横穴式石室を導入するなど、重要な地位を占める首長の墓と考えられます。

今里大塚古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 今里大塚古墳)

今里大塚古墳の概要

 立地

標高:35m(扇状地)
 墳形円墳(段築:無し)
 墳長径45m
 外表施設葺石:無し、埴輪列:無し
 埋葬施設横穴式石室(組合せ式家形石棺)
 主な副葬品耳環、短刀、刀子、須恵器 

今里大塚古墳(いまさとおおつかこふん)とは

今里大塚古墳 横穴式石室

今里大塚古墳は、終末期(7世紀)に築造された最後の大型古墳です。埋葬施設は、巨石墳に分類される大型横穴式石室で、その規模は乙訓地域最大です。平面プランや石室壁面の構成は、石舞台古墳(奈良県明日香村)や山城最大の横穴式石室である蛇塚古墳(京都市右京区)と類似しており、畿内中枢部(大和政権)の直接的な影響下に成立した古墳といえます。

詳細はこちらへ

※上記リンクは「Weblio辞書」のページを別ウィンドウで開きます。

※「用語解説」のリンクに関するご質問・ご要望は、ウェブリオまでお問い合わせください。

お問い合せ

長岡京市教育部生涯学習課(図書館内)生涯学習・文化財係

電話: 075-955-9534(生涯学習)、075-954-3557(文化財) ファクス: 075-954-8500

お問い合せフォーム


【乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)】が国の史跡に指定されました。への別ルート