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国史跡恵解山古墳(いげのやまこふん)

  • ID:1139

恵解山古墳とは

 恵解山古墳は、古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大の前方後円墳です。
 桂川右岸の標高わずか16メートルの台地端につくられており、全長約128メートル、後円部の直径約78.6メートル、高さ10.4メートル、前方部の幅約 78.6メートル、高さ約7.6メートルと推定されています。周囲に幅約30メートルの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は約180メートルに及びます。古墳の表面には砂岩やチャートなどの葺石がふかれ、埴輪が並べられていました。死者を埋葬した施設は古くから墓地があるため明らかになっていませんが、後円部に竪穴式石室があったとみられます。

国史跡恵解山古墳

整備前(平成16年撮影)

国史跡恵解山古墳

整備後(平成26年撮影)

 昭和55年(1980)の発掘調査で、約700点にもおよぶ鉄製武器(直刀146点、鉄剣11点、短剣52点、短刀1点、ヤス状鉄製品5点、蕨手刀子(わらびてとうす)10点、鉄鏃472点)を納めた副葬品埋納施設が見つかりました。このような多量の鉄製武器が出土した例は山城地方ではもちろんのこと全国的にも珍しいものです。こうしたことから、この古墳は5世紀前半頃に桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられます。
 古墳は昭和56年(1981)に国指定史跡(指定面積19,496平方メートル)として、鉄製武器などの出土品は平成11年(1999)に京都府指定有形文化財としてそれぞれ指定されました。

そして、平成28年には、恵解山古墳をはじめとする首長墓群が「乙訓古墳群」として国の史跡に指定されることになりました。

副葬品埋納施設の出土状況

水鳥形埴輪

恵解山古墳リーフレット

リーフレット(日本語)

恵解山古墳リーフレット(日本語)

リーフレット(English)

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