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国史跡乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)

  • ID:5668

乙訓古墳群とは

乙訓地域(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市の一部)に所在する古墳時代(3世紀~7世紀)の首長の古墳です。一つの地域で首長の古墳が継続して築造された事例は日本列島において稀なものです。これらの古墳の動向は、畿内中枢部(大和政権)の大王陵の動向と軌を一にしており、古墳時代における政治的動向を示す縮図ともいえます。

本市では、京都府をはじめ京都市、向日市、大山崎町と協力し、乙訓古墳群の保存に向けて史跡指定を目指してきました。平成28年3月1日には、恵解山古墳をはじめとする11基の古墳が【国指定史跡 乙訓古墳群】として指定されました。また、平成30年2月13日には、長法寺南原古墳と芝古墳(京都市)が新たに追加指定され、現在では13基の古墳が国の史跡として保存されています。



◀乙訓古墳群の分布図

 
 <国史跡に指定されている古墳>
 (京都市)
   天皇の杜古墳、芝古墳(芝1号墳)
 (向日市)
   五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳、
   南条古墳、物集女車塚古墳
 (長岡京市)
   長法寺南原古墳、恵解山古墳、井ノ内車塚古墳、
   井ノ内稲荷塚古墳、今里大塚古墳
 (大山崎町)
   鳥居前古墳

長岡京市内の乙訓古墳群

長岡京市内では、長法寺南原古墳、恵解山古墳、井ノ内車塚古墳、井ノ内稲荷塚古墳、今里大塚古墳の合計5基の古墳が乙訓古墳群に指定されています。

長法寺南原古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 長法寺南原古墳)

長法寺南原古墳の概要

 立地

標高:145m(丘陵地)
 墳形前方後方墳(段築:前方部:2段、後方部:3段)
 墳長60m(後方部:1辺40m、前方部長:20m)
 外表施設葺石:無し、埴輪列:有り
 埋葬施設後方部:竪穴式石槨、前方部:小竪穴石室
 主な副葬品銅鏡、玉類、石製品、銅鏃、鉄製武器、鉄製農工具

長法寺南原(ちょうほうじみなみはらこふん)とは

長法寺南原古墳 埋葬施設模式図

長法寺南原古墳は4世紀後半に築造された、前方後方墳です。最初の発掘調査は昭和9年に実施され、後方部の竪穴式石槨から銅鏡、勾玉や管玉などの玉類、鉄製の武器や農具・工具、銅鏃、石臼や石杵など多彩な副葬品が出土しています。銅鏡は6面あり、その内の4面は三角縁神獣鏡です。長法寺南原古墳は、長岡京市では最も古い古墳であり、銅鏡など中央政権とのつながりを示す副葬品を複数有していることなどから、乙訓地域の権力者の盛衰を知るうえで重要な古墳といえます。
※私有地につき、立ち入りはできません。



恵解山古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 恵解山古墳)

恵解山古墳の概要

 立地

標高:16m(低位段丘Ⅰ~氾濫原Ⅰ)
 墳形前方後円墳(段築:前方部:3段、後円部:3段)
 墳長128m(後円部径:78.6m、前方部長:49.4m)
 外表施設葺石:有り、埴輪列:有り
 埋葬施設後円部:竪穴式石槨、前方部:副葬品埋納施設
 主な副葬品鉄製武器類、鉄製農工具類、石製模造品、管玉

恵解山古墳(いげのやまこふん)とは

恵解山古墳出土 鉄製武器類

恵解山古墳は、5世紀前半に築造された乙訓地域最大の古墳です。古墳時代前期(3~4世紀)には向日丘陵(向日市)を中心に小さな地域を首長が治め、古墳をつくっていましたが、古墳時代中期(5世紀)になると、巨大な前方後円墳である恵解山古墳が平野部に誕生します。また、当時貴重であった鉄製の武器類を多量に埋納するなど、強い権力をもっていたことがうかがえ、恵解山古墳の被葬者は、乙訓地域全土を治めた有力な人物の墓ではないかと言われています。

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井ノ内車塚古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 井ノ内車塚古墳)

井ノ内車塚古墳の概要

 立地

標高:48m(低位段丘Ⅰ)
 墳形前方後円墳(段築:無し)
 墳長39m(後円部径:24m、前方部長:17m)
 外表施設葺石:無し、埴輪列:有り
 埋葬施設後円部:不明(横穴式石室か?)、陶棺
 主な副葬品土師器、須恵器、韓式系軟質土器

井ノ内車塚古墳(いのうちくるまづかこふん)とは

井ノ内車塚古墳 造り出し

井ノ内車塚古墳は、6世紀前半に築造された前方後円墳です。この古墳の所在する地域は、古墳時代前期や中期に顕著な古墳が築造されなかった地域ですが、突如として古墳の築造が始まり、終末期(7世紀)まで継続的に造墓活動が進められます。また、井ノ内稲荷塚古墳、芝1号墳などの首長墓を頂点として、周囲に小規模な古墳や墳丘をもたない土壙墓などを伴って分布しており、大小様々な墳墓で構成される極めて階層差が明確な古墳群であると言えます。この地域の古墳は、新たに台頭してきた政治勢力の有力者が葬られていると考えられています。

井ノ内稲荷塚古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 井ノ内稲荷塚古墳)

井ノ内稲荷塚古墳の概要

 立地

標高:42m(低位段丘Ⅰ)
 墳形前方後円墳(段築:無し)
 墳長46m(後円部径:29.4m、前方部長:16.6m)
 外表施設葺石:無し、埴輪列:無し
 埋葬施設後円部:横穴式石室、前方部:木棺直葬
 主な副葬品鉄製武器類、鉄製武具、鉄製工具、馬具、玉類、土師器、須恵器

井ノ内稲荷塚古墳(いのうちいなりづかこふん)とは

井ノ内稲荷塚古墳 後円部 横穴式石室

井ノ内稲荷塚古墳は、井ノ内車塚古墳に続いて築造された6世紀前半の前方後円墳です。後円部に横穴式石室、前方部に木棺直葬の埋葬施設がつくられており、横穴式石室は古式の畿内型横穴式石室が採用されています。副葬品は、鉄製武器類、金製刀装具、金銅張胡禄(ころく)、金銅張馬具、装身具などが見つかっています。芝古墳、車塚古墳、稲荷塚古墳は、この時期の最上位に位置する墳形・規模を有するとともに、当時先端技術であった横穴式石室や金銅製品を導入するなど、重要な地位を占める首長の墓と考えられます。
※私有地につき、立ち入りはできません。

今里大塚古墳(指定名称:史跡 乙訓古墳群 今里大塚古墳)

今里大塚古墳の概要

 立地

標高:35m(扇状地)
 墳形円墳(段築:無し)
 墳長径45m
 外表施設葺石:無し、埴輪列:無し
 埋葬施設横穴式石室(組合せ式家形石棺)
 主な副葬品耳環、短刀、刀子、須恵器 

今里大塚古墳(いまさとおおつかこふん)とは

今里大塚古墳 横穴式石室

今里大塚古墳は、終末期(7世紀)に築造された最後の大型古墳です。埋葬施設は、巨石墳に分類される大型横穴式石室で、その規模は乙訓地域最大です。平面プランや石室壁面の構成は、石舞台古墳(奈良県明日香村)や山城最大の横穴式石室である蛇塚古墳(京都市右京区)と類似しており、畿内中枢部(大和政権)の直接的な影響下に成立した古墳といえます。

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