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乙訓寺 おとくにでらコース2

  • ID:1038

新経尼の供養塔(しんきょうにのくようとう)

今から200年まえの出来事。物集女村の崇恩寺住職である新経尼は、庭の柏の大きな葉がはらりと落ちるのを見た。「もしや瀬兵衛さんの身に」と一目散に井ノ内村に向かって走り出した。「日ごろ恩義になっている瀬兵衛さんが死ぬ前に一言お礼を」と念じて走った。瀬兵衛さんの家から程遠くない所で、新経尼はついに力尽きて息をひき取った。それと同じ時刻に瀬兵衛さんも帰らぬ人となった。
この宝筐印塔は石田家の遺族が頭首の瀬兵衛と不思議な縁で結ばれていた新経尼を供養するため、亡くなった的田川わきに建てたものという。的田川はいつしか「燈呂川」と呼ばれるようになった。

角宮神社(すみのみやじんじゃ)

乙訓坐火雷神社(おとくににいますほのいかづちのじんじゃ)ともいわれる。祭神は火雷神で、祈雨に霊験ある神として広く知られる。
「山城国風土記」逸文の賀茂伝説によれば、この神は下賀茂神社に祭る玉依姫の夫神、上賀茂神社に祭る別雷神の父神とされ、社格の高い神社であった。
かつては井ノ内宮山にあり、文明16年(1484)にこの地へ再興されたという。

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