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『長岡京市の未来を考えるシンポジウム』を開催しました

  • ID:5175

平成27年6月27日(土曜日)、バンビオにおいて「長岡京市の未来を考えるシンポジウム」を開催したところ、大変多くの皆さまにご来場いただきました。

ご来場くださいました皆様、並びに、当日ご協力くださいました皆様に、心より御礼申し上げます。

当日の「基調講演」と「パネルディスカッション」の概要をお知らせいたします。

基調講演 『住みたい 住みつづけたい 長岡京市の未来』

講師:石垣泰輔さん(長岡京市総合計画審議会会長/関西大学環境都市工学部教授)

基調講演 内容

講演の様子

 関西大学の石垣です。宜しくお願いします。今日は、総合計画審議会25名を代表して、今議論しています総合計画について概略をお話しさせていただきます。

 私は長岡京市に移ってきて約30年です。なぜ長岡京市を選んだかというと、まず交通、京都にも大阪にも近くて非常に便利です。それから環境も、非常に水がおいしいし、更に空気も良く、景観も良いということで、子どもの教育にも良いだろうと、ここを選びました。但し、私の専門は水害ですが、地形を見ると水害地形です。

 第4次総合計画ですが、まず見ていただきたいのは、日本の人口の変遷です。平安京ができた頃はまだ500万人程度、江戸幕府の時で1,500万人程度、明治維新の時で3,000万人、それ以降、百数十年の間に4倍になった訳です。

 この様に人口が急激に増えた訳ですが、長岡京市だけを見ますと、縄文遺跡があり、更に古墳がたくさんある。この様に古くから多くの人が住んでいたという事は、この地が非常に安全で住みやすかったという事を証明しています。

 その後、長岡京ができますが、わずか10年で平安京に遷ったのは、中山修一先生の本に拠りますと、小畑川の氾濫と疫病に因ると言われています。今も同じ問題を抱えていますが、やはり水害が一つのきっかけになって平安京に遷った、そういう所であります。

 では、最近はというと、1947年に桂川より東側の田畑であった所にも住宅地が広がっています。川の氾濫によって形成された平野に人が住んでいる。小畑川や小泉川の氾濫原(はんらんげん)、谷底平野と言われるような所に人が住み出したという事です。

 長岡京市の人口、世帯数の変化で特徴的なのは、1960年から70年代に急激に人口が増えた事です。以降、1980年位から約8万人を持続しています。ほぼ男女の割合が等しい変化をし、世帯数も人口増加に伴って徐々に増えていった。世帯数の変化と人口の変化はある程度関係があるという事です。

 元に戻りまして、第3次総合計画は人口がそれほど変わらない間の計画でしたが、第4次総合計画の期間は、どうなるかという事がまず問題になりました。

 ご存知のように、『地方消滅』という増田寛也さんの本がセンセーショナルな話題を提供しましたが、日本の人口は、2000年を超えてピークに達し、2040年には全国平均で16%減ると言われています。ただ、救いと言いますか、長岡京市は2040年の減少率は10%位と言われています。そういった中で長岡京市の未来をどう考えていくかという事が、今回の総合計画審議会で議論されました。

 第4次総合計画のキャッチフレーズを「住みたい 住みつづけたい 悠久の都 長岡京」としたのは、殆どの人は好きな人と好きな所に住み続けたいというご希望をお持ちだと思いますので、住みたい所として長岡京を選んでほしいという意味があります。更に、悠久の土地として発展してきた長岡京市だとの思いで、これを今後15年のキャッチフレーズにしております。

 このキャッチフレーズだけでは分かりにくいので、「うるおい」「にぎわい」「あんしん」という三つの大きな柱を立て、基本計画を立てていこうというのが大綱です。

 一つ目の「うるおいに満ちた、“良質の住み心地”をつくる」は、文化、環境、教育です。これは立命館大学の小幡先生にまとめていただいている分科会で議論されたものです。

 二つ目の「まちの魅力を高め、“多彩なにぎわい”をつくる」は、産業、交通、都市形成、そういった分野を明致委員にまとめていただいております。

 三つ目は「人・地域の絆に根ざした、“ゆるぎない安心”をつくる」で、安全・安心なまちという事がメインですが、防災、市民活動、福祉等を軸に京都府立大学の川勝先生にまとめていただき、私も参加しています。ここでは、どちらかというと計画を守るしくみといったところを中心に議論しております。

 人の生活を支えているのが基盤であり、しくみでありますが、別の言い方をしますと、しくみは知恵であって、基盤はモノである、知恵とモノが我々の生活を支え、生活にうるおい、にぎわい、あんしんを与えるというのが基本構想であります。

 この中で、議論の中心になったキーワードが四つ程ありました。一つ目は「子ども」、次に「ご近所づきあい」、「まちづくり、中心市街地整備」、最後の「安全・安心」は主に防災について話し合われました。

 私の専門は水害なので、ここから水害の話をさせていただきます。

 長岡京市の地形を考えますと、想定できる災害は浸水災害です。これはゲリラ豪雨、河川の氾濫による浸水です。それから土砂災害、地震でも土砂災害は起きます。更に、20年前の阪神淡路大震災の様に、地震も考えられます。

 100万年前というのはどれ位の長さかというと、地球誕生から現在までを人生80年とすると大体1週間位、1日で考えるとわずか20秒位です。そのわずか100万年前には、琵琶湖、山城湖、亀岡湖がつながっていて、我々が今住んでいる所はこういう時代を経て河川が作った平野なのです。元々水に浸かる低平地だった訳ですから、当然水害が起これば浸かる可能性は十分にあるという事です。

 小泉川、小畑川の周りに段丘というのがあります。これは地殻変動、地震に因ってできたものですが、縄文時代の集落、古墳等が発達していて、古くから人が住んでいたと考えられます。他は、小泉川や小畑川、桂川が作った平野に人が住んでいるという事です。古墳がある所は比較的周りより高い所になりますので、こういう地形が水害時の浸水深に関係してきます。

 そういったものをもう少し具体的な数値に示したのがハザードマップです。各戸に配られていると思いますが、皆様がお住まいの場所でどういう災害が発生する可能性があるかを知っていただくことができます。必ずしもこうなる訳ではないのですけれど、可能性があるという事です。

 土砂災害についてみますと、長岡京はかなり長い年月の間に削られて、それが溜まった崖錐(がいすい)という地形で、台地に集落が成立しています。広島市のようなまさ土(ど)ではないので、それほど大規模な土砂災害はあまり考えなくてもいいかなと思います。ただ、沢沿いは土砂だけではなくて倒木も流れてきますので、集中的な雨が降った時は、注意して、なるべく早く避難していただくのがいいかなと思います。

 その中で、ひょっとすると皆様も経験されるかもわからないのが、車に乗っている時に水に浸かるということです。例えばJRの下を、アンダーパスといって低くなっている所がありますけれど、きつい雨が降ると一気に水位が上がって車が立ち往生します。水深30センチメートル位になるとマフラーに水が入ってきてエンジンが止まります。その時点で車を降りて逃げれば大丈夫ですが、しばらく経ちますと、車が浮いて、一番深い所に流されてしまいます。そうするとドアが開かなくなる危険性があります。数年前に向日市のアンダーパスで幼稚園のバスが立ち往生した事があります。今はゲリラ豪雨といって短時間に降る雨でこういう事態に遭遇される可能性もあるので、そういう時はなるべく早く逃げて下さい。最悪の場合は、ヘッドレストを抜いて金属部分をガラスとドアの間に差し込むとガラスが割れますので、そんな方法でなるべく早く脱出していただきたいと思います。

 命を守る為には、「時機を得た判断」の為に「的確な情報」が必要で、それには「正しい知識」が必要です。行政なり大学は正しい知識、的確な情報を住民に知らせるのが義務です。これはマスコミでもやっていますが、ローカルな情報は中々出ないので、市から発信される情報を見て、時機を得た判断をする。

 浸水の場合は周りの流れが速いと足下をすくわれて流される可能性がありますので、そういう時は寧ろ家の中にとどまっておく方が良いと言われています。兵庫県佐用町でそういう事がありましたので、自分の所はどうなのかというのをハザードマップで確認し、時機を得た判断をして、なるべく被害が少なくなるように行動していただきたいと思います。

 30分経ちましたので、以上を私の基調講演に代えさせていただきます。

 ご清聴ありがとうございました。

会場の様子

パネルディスカッション 『住みたい 住みつづけたい まちをつくる』

パネリスト

  • 小幡 範雄 さん (長岡京市総合計画審議会副会長/立命館大学政策科学部教授)
  • 山口 勲 さん (長岡京市バンビオ広場公園等にぎわい創出実行委員会会長)
  • 中小路 健吾 (長岡京市長)

進行

  • 石垣泰輔さん(基調講演 講師)

パネルディスカッション 内容

パネリスト1

 ●石垣 

 最初に「温故知新」と言いますか、山口さんから、再開発事業を通して苦労された事や、それを今後どう活かしていったら良いか、思いの丈を語っていただければと思います。

●山口 

 皆さん、こんにちは。今、ご紹介いただきました山口でございます。

 実は再開発の取組は昭和63年からスタートしております。この時には、皆さんご存じないかと思いますが、長岡天神駅前のプランが出ておりました。しかし、長岡天神駅前は人も多く賑わいもあるから、まずJR神足駅前を先に、と。ただ、神足駅の開発が頓挫してしまい大変時間がかかりました。

 なぜ時間がかかったかというと、阪神淡路大震災で計画を見直しました。更に、地権者が家を手放さないと開発はできません。その話し合いに大変な時間がかかったのです。それを一生懸命やって下さったのが、市の職員さんです。そういう過程があって開発はできるわけです。17年、生まれた子が高校3年になるまでかかっているのですよ。どれだけ長い時間か、これを分かって欲しいなと思います。

 マイカルが手を引いて2年中断した時に、偶然、近鉄不動産と平和堂がJR沿線で組みました。そこで我々もお願いに行き、それでどんどん前へ進んだのは事実です。三転、四転、五転しまして、今この状態です。結果は、この方が市民としても使いやすい、いつも満員です。

 そこで皆さん、お願いします。若い方に「住むのなら長岡京市」と言って欲しいのです。人口減になると大変です。将来若い方に長岡京市は良いと、住んでいただけるように、宜しくお願いします。

●石垣 

 もう一言だけ、成功の秘訣を簡単な言葉でお願いできますか。今後の若い人たちのために。

●山口 

 熱意を持つこと、まちを愛すること、それが一番です。そして細かい事を言わないで、大きい目で見る。将来の長岡京市が良くなるのなら私は犠牲になっても構わないというようにならないと。

 皆さんもどこでどう関わるか分かりません。だから協力するようにお願いします。将来、孫の時代にはその街がもっと良くなるのですから。

●石垣 

 成功の秘訣は、山口さんがおられたからだと思います。

 長岡京市で生まれ育った中小路市長さん、まちに対する思いを語っていただければと思います。

●中小路 

 ありがとうございます。記念式典に引き続きまして、宜しくお願い致します。

 私は今42歳、42年間この長岡京市以外を知らずに育ってまいりました。

 完成に至るまでの17年、様々なご苦労があったかと思います。そして完成してから10年、今の駅が当たり前になって、なかなか以前の風景が思い出せなくなる位が、多分10年という時間軸なのかなと思います。

 私は長岡京市下海印寺で生まれ育ちました。一昨年には第二外環状道路が供用開始になって、西山天王山駅もできました。ちょうど第二外環状道路の話を聞いたのは、中学生の頃だと記憶しています。その時は、「できひんのやろな・・・」と思っていたのが、今年完成します。

 そんな風に、長期にわたる投資、先行きへの道筋、これを15年後、場合によっては20年後に向けて、絵を描いて一歩踏み出していく、それが第4次総合計画の一つの大きな役割かなと思っております。

●石垣 

 ありがとうございました。市長さんは42年間長岡京市にお住まいという事ですが、バンビオの開発についてはどの様にお考えですか。

●中小路 

 前職で府議会議員をさせていただいておりましたので、全国色々なまちづくりを見に行きました。

 バンビオで他の街と大分違うかなと思うのは、人がこれだけ行き交い、使っていただいて、公共空間というのは、やはりハードとそこで暮らす私達とセットのものだと思うのです。その両面を兼ね備えているという意味では全国の中でも誇りに思える、そんなまちになってきているのだなと思います。

●石垣  

 それでは総合計画審議会の副会長として参加されています小幡さんから、議論された事、或いは小幡さんが考えられた事を少しお話いただければと思います。

●小幡 

 私は長岡京市に来て、もう20年弱位になります。本当に、緑豊かで、駅が三つもあって、非常に便利な所だと感じています。私はずっとここに住み続けたいと思っています。

 第4次総合計画の審議の経緯とか、そこで感じた事をお話ししますと、まず始めに、これは第4次の計画で、それまでの計画がありますので、アンケートで確認したのですが、8割近い方が住みやすいと答えておられるという事です。計画というのは、住みやすい所をいかに伸ばすかという事になるのですが、それは合格点がついているわけです。ただ、審議会の中でも住みにくいと言うか、ちょっと難しいなと思う所、そういう事も含めて議論したいという事がありましたので、良い所を伸ばし、課題を克服していく計画を立てていくという事を確認しました。

 基本構想とか基本計画は、計画的にはバックキャスティングという方法で、15年先の目標を書いて、そこから戻って現在どうするかというものなので、目標を決めるのが非常に難しい議論でした。

 分科会を振り返りますと、人口がこれから少なくなる中で、どんな風に子どもを育てていくか議論になりました。

 スポーツでも、和気あいあいとやればいいという一方で、オリンピック選手も出ていますので、アスリート育成・強化はどうするのかとか、その辺はパブリックコメントで皆さんのご意見も伺いたいと思います。

 審議会では、日常の感覚の中で議論してきた感じがありますので、その辺りもここで申しあげておきたいと思います。

●石垣  

 中小路市長さんは他の場でも長岡京市について議論されたと思うのですが、その中で感じた事を少しお話いただければと思います。

●中小路 

 今、パブリックコメントをいただいている基本構想と基本計画は、審議会で議論を重ねていただきました。私が市長に就任するまで1年近く小田前市長の下で作業が進められましたので、総合計画には市長のカラーは入っていないでしょうと指摘される事があります。

 実は私はそれで良いと思っています。市民の皆さんが積み上げてこられた議論だという事です。私はそうしたものを尊重したいと思うし、目指すべき方向は異存は全くないという事です。

 寧ろ基本構想と基本計画は、長岡京市長の立場から言うと、「15年後にこんな姿にしなさいね」という市民からの要請だと思っております。では具体的に毎年の予算や事業の中でどういう施策ができるのか、このことが次に問われていると私自身は思っております。

 もう一方で、15年後、この15年間が良かったか悪かったか、或いは5年間の繰り返しがうまくいっているのか、分かりやすい形でお示ししていく必要がある、今、市役所の中で議論しているのは、一つの判断基準となる様な指標を設けてみましょうと。指標があれば、コミュニケーションツールとして非常に分かりやすいと思うのです。なんとなく元気なお年寄りを増やしましょうと言うよりも、はっきりと長岡京市は他の市に比べて介護にかかる年齢が高いですと、こういうものを示していくのが、次の作業になってくると思っております。

●石垣  

 先程示しました様に、基本構想は15年ですけれど、基本計画は5年ごとに見直す、実施計画では前後期で見直すという事で、15年後の長岡京市のあるべき姿を常にチェックしていく形でこの計画は立てられております。

 基本構想はあくまでもこうしたい、こうなりたいという目標です。それに対して、計画がまちを作るのではなくて、当然市民が作るわけですから、その為に何をすべきかというのをこの計画の中で話をしていくという事です。

 もし具体的な方針みたいなものがあれば、市長さんから説明していただきたいと思います。

●中小路 

 これからの15年、石垣先生のご講演の中でもありましたけれど、大きく変わってくるのは、人の数が日本全体として減り始めていくという事です。

 本市の場合は1960年位から80年位の20年間で、1万5千人位の人口が7万人近くまで一気に増えました。この事をまず皆さんと共有しておかなければならない。

 1960年からちょうど50年経ったのが今です。当然ながら、その頃にお住まいになった皆さんが50年分、歳を取ります。その頃に都市化した建物が老朽化し始めてくる。

 単に人口が減るだけではなくて、高齢者の数が圧倒的に増えていき、生産年齢人口の数は縮小していきます。この中で15年先のまちづくりをしなければならないわけです。

 これから総合計画を実施していく上で一つの大きな課題は、増えていく高齢者の安心・安全の基盤をどう作っていくのか。人口フレームは、15年後の平成43年でも8万人の市民が暮らせるまちを作っていきますという方針を掲げています。人口減少そのものをなだらかにしていく為には、働く世代の、まさに子育て世代の方に長岡京市を選んでもらうための施策が当然求められますし、そういう施策によって、先ほど申し上げた15年後の長岡京市の姿を実現していく、そういう具体的な検討をしていくのが我々の仕事だと思っております。

●石垣  

 ありがとうございます。人口問題もあるのですけれど、長岡京市は阪急長岡天神駅、西山天王山駅、JR長岡京駅、三つの拠点がある訳ですが、その一つがバンビオです。15年先を見て、これからどうしていくのが良いか、アイデアがありましたらお願いします。

●山口 

 夏になると金曜日の晩にサマーナイトカフェというのをやっているのですが、10年近くなりまして、いつも満杯です。大盛況です。「暑いのに、そんなとこに行くかいな」ではなしに、そういう開放的なところでわいわいがやがやと、日本の事、また地域の事、近所の事を語り合うのが一番良いのです。ですから、ここにおられる方はまた寄って下さい。私がいつもおりますから、酒の相手はさせてもらいます。

 立命館高等学校にも生徒が沢山いるし、乙訓高等学校も、西乙訓高等学校もあります。光明寺に京都西山短期大学がございます。そういう若い方に将来長岡京市に住んでいただけるように、仲良くすることが大事です。これは市がやるのと違いますよ。何でもかんでも市がやるのではなくて、これは地域で生きている方がやるべきだと思いますので、宜しくお願いします。

●石垣  

 ありがとうございます。市長、一言いただけますか。

●中小路 

 長岡京市にとって一番大きな宿題は、お話のあった阪急長岡天神駅周辺だと思っております。15年先のまちづくりを考えた時に、私のイメージとしては、バンビオ、JR長岡京駅周辺は完成して10年を迎え、多くの人が集う場になってきた。ある意味成熟期に入ってくる。そして、一昨年に開業致しました西山天王山駅周辺は、京都縦貫自動車道が全線供用開始になり、交流の拠点として周辺の地域づくりが割と短期間で進み、5年、10年位で大きくあの地域が変わっていく。

 そうすると、阪急長岡天神駅をこれからどうしていきましょうか、という議論がスタートして、この7月には、まちづくり協議会が、設立の段階に入って参りました。まちづくりを考えるには、まずはしっかりと議論し、将来の姿について一定のコンセンサスを作っていかなければならない。山口さんもそういうところで相当なご苦労があったと思います。

 いずれにしても、そこの一歩を踏み出さないと、ゴールは絶対にやってこないので、その議論の中で、長岡天神駅周辺の皆さんが将来を具体的に描いていける大きなチャンスに来ているのではないか。市としていくらやりたいと言っても、地権者、地域の皆さんが本当にやろうという、先程の山口さんのお言葉をお借りすれば熱意、それが無ければ進まないので、我々行政としてもそういう皆さんの思いや熱意を支えていきたいなと思っています。

●石垣 

 ありがとうございます。大分時間が迫ってきましたが、小幡先生に「これから起こる社会の変化」などについてお話しいただければと思います。

●小幡 

 最後に少し将来の展望と指標の話をさせていただきます。

 長岡京市は東西6.5キロメートル、南北4.3キロメートル、この中に全部が入っているのです。農地あり、西山あり、駅が三つある、これだけある街はまず無いと思いますし、これをどう大切にしていくかという事です。

 それと縮小というか、人口減少に向かう中でいかに楽しく暮らすか、公共交通或いは自転車によるスローライフ、お年寄りが増えるのであればスピードも落とすという事もできるし、片方で、これまで通りの、という所がありますので、この辺りの選択をしながら、計画を進めていただきたいと思います。

 もう一つは指標というお話もありました。幸福、happinessという事が東京都荒川区とか新潟市で研究されて、取り組まれていますし、元々ブータンという国では憲法に国民の幸福を追求するということが規定されて、87%の人が幸福と感じているという事です。長岡京市も89.5%の人がここに住みたいと考えておられますので、住みたいとか住み続けたいというものを幸福という事で考えてみたらどうかなと、今、思っているところです。

●石垣 

 基調講演の時に言いましたけれど、好きな人と好きな所に住み続けたいというのは共通する望みだと思います。その住み続けたい所が長岡京市である、そう思って審議会の皆さんは審議していただいています。

 それに対して、計画でまちが変わる訳ではなくて、市民が変えていくという事、先程山口さんも言われましたけれど長岡京市を良くするのだと、このまちを愛する方に意見をいただければと思います。

 それでは、ちょうど時間になりましたので、これでパネルディスカッションを終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

パネリスト2

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