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寄せられたご意見(平成21年度以降)

  • ID:9168

寄せられたご意見(平成21年度以降)

令和元年度(平成31年度)

■ 西京区を中心に、乙訓郡の町村は幾つかが京都市内に編入されています。今の乙訓市郡を形成する2市1町も京都市に合流する形で、現在既に京都市を構成する地域(西京区・南区・伏見区内の旧乙訓郡地域)も含めて再編するのが良いかと思います。

(平成31年4月:男性、その他)

平成30年度

■ 乙訓2市1町の合併に賛成です。

現状では財政難の大山崎があるがゆえにどこも引き受けたくない感じはありますが、それはそれで仕方ないことだと思います。合併することにより、無駄な公務員や議員数の削減を図り、それによって少数精鋭化して効率の良い自治体運営を目指すべきです。そのためにはまずは大山崎から身を削る努力(議員定数12を5くらいにする)は必要だろうと思います。要は合併はショック療法だと思います。

(平成30年9月:40代男性、その他)

平成28年度

■ 乙訓地域分科会だよりについて

ただいま11号以降配信が停止になっています。休会したのかどうなっているのか、公式見解がありません。乙訓地域分科会事務局への公開質問状を下記に記述します。

「初夏の候 ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は乙訓の行政に格別のご配慮を賜り、厚く御礼申し上げます。さて、京都南部地域行政推進会議乙訓地域分科会が平成14年1月に結成されて14年になります。その間、2市1町の首長が委員になって市町村合併について「みんなで考えよう 未来のまちづくり」が議論、検討されて来ました。然し、平成26年、2市1町の首長が一斉に交代するやいなやvol.11を最後に、ホームページも中断されています。

振り返れば、乙訓合併論議の歴史は昭和47年10月に遡り、昭和53年に凍結、平成14年1月に再開と繰り返され、その後の12年間の歳月で、平成14年以来、毎年、乙訓市民各戸に約5万冊、合計約60万冊の「乙訓地域分科会だより」が配布されて来ました。その間に調査研究・情報提供に関わった経費は如何ばかりかと推察致します。

乙訓市民15万人は「乙訓の未来のまちづくり」について、「乙訓地域分科会だより」の調査研究・情報に接し、その結果がどうなるのか、大変関心を持ち、注目してまいりました。ここで行政改革推進会議を解散するのであれば、今までの啓発活動は何のためだったのか、ウヤムヤに解散するのではなく、結果並びに今後の広域行財政の在り方を精査、総括して具体的成果を、乙訓市民に公表する説明責任があります。今や、2市1町がばらばらになって町おこしを行っていては近隣大都市に勝てる訳がありません。乙訓地域が一丸となって町の魅力を高めることが求められています。
つきましては、公務ご多忙のところ恐縮ですが、上記のことについて、事務局の公式見解を求めます」

(平成28年7月:70歳以上男性、大山崎町)

 
〈上記意見に対する乙訓地域分科会幹事会回答〉

● ご意見ありがとうございます。
「乙訓地域分科会だより」につきましては、発行形態等の事務を見直しておりますが、事業の廃止・休止といったことではございません。 現在、地方創生を始めとする地方分権の流れから、地方自治体の自主性と広域的課題に対応する圏域としての連携や協力がこれまで以上に求められております。こういった流れも受け、これまでの「合併に関する情報を中立的な立場から提供する」から一段抜け出し、今後の乙訓地域の有り方、連携や協力のあり方を検討し、国からの情報や検討も含めて一定お知らせできる段階になった際に、各市町の住民に適切な方法で伝えることが必要と考えております。 なお、「乙訓地域分科会ホームページ」については、これまでと同様、維持・管理等を行っております。必要に応じて、その都度更新いたします。

平成26年度

■ 2市1町(向日市、長岡京市、大山崎町)の合併に向けた協議を加速させ、一つの自治体としてまとめられるように制度設計をお願い致します。

(平成26年4月:20代男性、その他)

平成24年度

■ 京都府内でも他では合併が進んでるのに、なぜ乙訓では進まないのか?大原野などの京都市に編入されてる地域は別にしても、同じ乙訓地域でまとまることが、効率化の上でもベターなのではないか。長岡、向日、大山崎といった地名を乙訓市の下に残す工夫をすればいい。

(平成25年1月:20代男性、その他)


■ 長岡京市と大山崎町の合併は、ここに投稿されている方にその意見が多いと感じたので、現実的だと思います。

(平成24年5月:20代男性、その他)


■ ネーミングはどのような名前が多いのでしょうか。「乙訓市」ですかね。

1市1町でもよいのでは、大山崎町の人口と面積は小さすぎるでしょう。人口あたりの議員数の適正な数を研究するべきですね。財政のため少なすぎると、代表者である議員への少数意見がとおりにくく独裁になりやすいと影の部分も検討余地あると思います。

(平成24年5月:40代男性、大山崎町)

 

■「乙訓地域分科会」に3市町合併に関する私見をご紹介いただいたが、匿名であるためか、何も反応が得られなかったことを残念に思っている。多くの方がご意見を述べられていて、ほとんどの方が合併を希望され、それが一向に進展しないことを嘆かれている。今後、投書者の氏名を記載すること、投書意見に対する「分科会」のご意見をつけていただくことを提案します。なお、メールをされてない方には広報誌が配布されているのでしょうか。以上に関し、分科会のご意見をメールでお聞かせ下されば幸いです。
(平成24年4月:70歳以上男性:長岡京市)

平成23年度

■乙訓地域3市町の合併についての私見
「乙訓地域分科会だより」Vol.08 2頁の京都府の地図をみて、同地域の向日市、長岡京市、大山崎町のあまりに狭小であることに驚かされる。また、友人などをこの地域に案内するとき、長岡京の大極殿址が長岡京市に無く、向日市にあることに違和感を與える。
この小さな市町のそれぞれに行政組織があり、それぞれに施策が行われていることの不合理さ、不経済さは誰しも感じることでありましょう。道路網整備、バス路線改善、観光行政などについて、この地域を一体化することの意義は非常に大きいと考えられる。
京都府下でも、多くの市町村が合併して、大きく纏まったが、合併の意義が最も大きいと思われる乙訓3市町が合併できなかったのは何故であろうか。
3市町の現地名に対する愛着、合併により周辺地域となる地域の利便性低下、3地域に経済格差があることによる問題、市町会議員の思惑などが考えられるが、これらの問題について、次ぎのような対策を考えたら如何であろうか。
合併後の新市名については、国内で数少ない旧都であることの意義を考えて、「長岡京市」を新市名にも採用する。このことによって、知名度がさらに向上するとともに、大極殿址があった向日市が、大極殿所在地である名誉を回復することができる。向日町、大山崎町という矢張り由緒ある名称は、然るべき地域に長岡京市向日町、長岡京市大山崎町として温存させる。
3市町にまたがるバス網を整備し、バス運行間隔を合理化するとともに、向日市および大山崎町の役場は支所として合併後も残すほか、図書館、保健所などの公共施設も現状のままとすれば、合併による不便性は無くなる。現在、JR長岡京駅には快速急行列車が停車し、阪急「長岡天神駅」には特急列車が停車する。従って、この両駅から新市域に対するバス網を整備することの利便性の向上は歓迎されるべきことであろう。さらに、合併によって、JR長岡京駅に新快速列車を停車させることにも大きな力になることであろう。
3市町の経済格差がどの程度のものかは知らないが、それほどのものではなかろうし、合併による経済効果を考えれば、メリットの方が大きいと思われる。
合併により、新市会議員数は将来方向としては減員すべきことは言うまでも無いが、 当面、例えば10年間は現在の定員数を維持することにすれば、現議員の賛意も得られるのではなかろうか。
以上、乙訓地域3市町の合併について私見を述べたが、これまでの経緯を知らないので、あるいは現実に合わないことも多々含まれていると危惧している。これらの点について御批判をいただき、問題点をよりクリアにして、衆知を集めることによって、乙訓3市町の合併が実現に向けて一層進展することを期待してやまない。
追記:近年、JR長岡京駅周辺の道路が整備され、駅前の面目が一新されたことを嬉しく思っている。今後とも長期的、合理的な構想のもとに3市町の枠を越えて、道路が整備されることを望んでいる。
この場合、極力、長岡京時代の坊条名を残すようにし、例えば、現在の伏見柳谷高槻線は「アゼリア通り」と通称されているが、この道路はほぼ長岡京の五条通りと一致しているので、「五条通り」と改めたら如何でしょうか。この場合、八条の宮に因んだ「八条池」は紛らわしいので、「天神池」とい改称することも提案したい。
現在、大幅な拡幅が行われているJR駅から長岡天神に至る道路は「六条通り」に、長岡天神前を縦貫する道路を「西三坊大路」と改めることも提案したい。
道路整備は合併を待たずに、3市町が協力して後世に悔いを 残さないものにしていただきたいと願っている。
中山修一記念館、長岡京市埋蔵文化財調査センターは市の中心部を離れた位置にあり、市民や観光客に十分に利用されていないように思える。阪急・長岡天神駅付近を整備することに併せて、その付近に両所を移転し、長岡天神への観光客が容易に訪れることができるようにしたら中山先生の顕彰に大いに役立つと思うが如何であろうか。場合によっては両所を合併して、「中山修一記念文化財センター」とすることも考えられる。
以上、乙訓地域3市町の合併ならびに道路整備などに関する私見を纏めたが、これらのことが早期に実現することを願ってやまない。

(平成23年12月:80代男性:長岡京市)
 
■リーダーは決断を先送りするな
前回意見書で合併問題が進まないのは行政にも、住民にも一半の責任があると述べた。しかし、行政トップや議員がこの町の行く末を読み取り、先ずは舵取りするのが先決です。議会には保身党が合併に後ろ向きで党派を超えて団結している。行政トップ、議員の怠慢は月給ドロボーと言われても致し方ないだろう。
噂によると東の町がプライドが高くて、合併に前向きでない、否、当町が断ったなどと言われているが、「乙訓地域分科会だより」に掲載されている「乙訓2市1町合併に関する過去の経過」によると昭和51年1月に行政側の組織として「乙訓合併研究協議会」、議会側の組織として「乙訓合併対策合同会議」が設置され、乙訓地域の町づくりについて協議。しかし、意見の相違などで協議は進展せず、昭和52年2月に「乙訓合併研究協議会」が、次いで昭和53年8月に「乙訓合併対策合同協議会」が各々解散となった経過がある。どこに意見の相違があったのか判らないが、僅か2年で解散。30年以上も前の話である。現在ある9年間の調査、研究、検討資料と比べくもない
京都南部地域行政改革推進会議乙訓地域分科会による「みんなで考えよう未来のまちづくり」が2002年に各市町広報に掲載され、2005年3月に合併特集号が、そして乙訓地域分科会だよりVol.1が2007年7月に発行され、現在Vol.8までが発行されている。この分科会だよりは人材センターにより各戸に配布されてきたが一体、何人の人が読んで、意見書を出してくれたのか。議論を深めていくための資料と云うが、今までに30通の意見書が、そしてこの1年で1通の意見書しか出ていないのでは、この分科会だよりが十分に機能(住民の無関心を喚起する)していないのではないか。この乙訓分科会だよりは2002年からすると、9年間の調査、検討資料である。合併問題を拙速に取り扱うのは良くないが、30年以上も前の経過に拘り、9年間の調査、研究、検討資料をそのままにして、市民の議論へと導かないのは、行政の怠慢、住民の意志をないがしろにしていると言われても致し方ないのではなかろうか。
その間、行政側で行ったことは2006年「乙訓地域のあり方を考えるシンポジウム」を開催、2007年「乙訓地域分科会事務局」を設置、ホームページを開設、事務事業現況調査の実施をしている。事務局は各市町が持ち回るそうである。年数回の会議には首長も出席しているそうだが、どんな会話をしてきたのか。小田原評定ばかりしているのだろうか。他国に乗っ取られることはないが、じり貧になり北海道夕張のようにならないように、リーダーは奮起してもらいたい。
2006年の「乙訓地域のあり方を考えるシンポジウム」は長岡京市中央公民館・市民ホールにて開催されたが、恐らく数百人の満員御礼であったと記憶している。私も聴講したが、同志社大学大学院教授新川 達郎先生による基調講演「これからのまちづくりと市町村」は多くの示唆に富んだ講演であった。基調講演20項、パネルディスカッション36項、アンケート9項をここで纏めるのは紙面が足りないので控え、次回に回すが、是非とも皆さんも分科会だよりホームページhttp://www.otokuni-cbk.jp/を参照されたし。過去30年の間に国内的にはバブル崩壊、地域分権化がそして少子高齢化、情報革命の進展、グローバル化など地殻変動が起きている時にいつまでも小田原評定をやっている暇などないだろう。大局的な見地から対立を乗り越えて、行政改革を断行するリーダーシップが求められている。市民も目先の事にとらわれず小異を残して大同につく度量が必要だ。

(平成23年12月:60代男性:大山崎町)
 

■前々町長の町政の時から、私は思っておりました。お話も町長にしました。そのままで前町長(真鍋)に変わり、「水問題」でもちきりになった4年間でした。「財政が悪い」「お金がないから出来ない」と何回も聞いて来ました。こちらがもう言わなくなって何年にもなります。町が寂れています。町民の方々も同じだと思います。
「乙訓は一つ」合併
江下町長の公約、マニュフェストに「乙訓は一つ」と言って、当選されました。私も友人、知人にもようやく小さな光が見えると期待と希望を膨らませ尊い一票一票を入れた重みは、はかり知れません。また、心に刻み一年が過ぎ去っています。町民は、町政、役場、議員さんで進めてくれると心から思っています。期待もしています。小さな町で考えないで大きな市、まずは、長岡京市と一緒になって考えてください。きっと良い考えが浮かんでくるはずです。一歩一歩前に進んで、夢と希望の町、この町に住んで良かったと一生を終えることでしょう。子ども、孫の世代までが目を輝かしながら、「任せて」と言える町づくりをお願いしたい。旧町役場を見ただけで、この町は進んでいません。悲しいです。恥ずかしいです。どうか「乙訓は一つ」まずは、長岡京市との合併を宜しくお願いします。

(平成23年11月:60代女性:大山崎町)


■「合併」という言葉を聞いて幾久しい。もうその言葉も「水問題」で目くらましを食って、かき消されて死語に近くなっている。前町政で町の行政改革が停滞してしまったことは周知の通り。新町長は「乙訓は1つ」とマニフェストに表明しているのでもう一度「合併問題」について振り返り、なぜ合併が推進されないのかその原因を探って見たい。
10年を経ても会議、検討、調査ばかりで、アンケート結果では「合併するべきである」が46.8%と「合併するべきでない」19.8%を大幅に凌駕しているにも拘らず、協議会を設置しない理由がどこにあるのか、頭の中を整理、整頓しなければ、モヤモヤがたまる。Everybody,Somebody,Anybody,Nobodyの話をご存知ですか(訳:誰もが思った、誰かがやってくれると思った、誰でもできると思った、でも誰もやらなかった)。現在はそんな状態です。船が港に停泊して、エンジンを吹かしているが一向に前に進まない。皆さんがその船に乗り込んで、新しい未来に向かって出帆を待っている時に、10年も待たされている。そんな状態の時、皆さんどうしますか。このままだと、船はボロボロになって船長もろとも沈没するが、それでも良いのですか。
平成13年8月に「京都府南部地域行政改革推進会議」が設置された。そしてその下に平成14年1月、乙訓分科会が設置され、平成15年3月合併特集広報誌「みんなで考えよう!未来のまちづくり~市町村合併について」が発行され、乙訓市民全戸に配布された。
この時に「ご意見をお寄せください」とあるので、2市1町市民が意見書を出した。概ね、合併に肯定的であった。これで何かが始まると期待したが、その後10年なんの進展もない。その後、「乙訓地域分科会だより」が毎年発行されて現在Vol.7になっている。良く読んでみると、「京都南部地域行政改革推進会議」は合併を推進することを目標にしているのではなく、「2市1町の行財政のあり方や合併問題などについて検討し、住民の皆さまの議論が一層高まるよう、広報などを通じて情報提供などに取り組んでいる」となっています。役所でよく使う「検討」と云うのは「推進」を意味するのではないのです。行政が推進してくれるものだと思っていた。ここの所に住民の思い違いがあるようです。それではどのようにして「推進」するのか。二つあります。行政主導か住民発議です。
2市1町の首長がその承認の基に、任意協議会を開き、議会の議決により法定協議会を開くことです(住民の署名活動は必要ありません)。しかし、乙訓地区ではこの4年間首町間の仲が悪かったので、前に進まなかったようです。もう一つは住民発議制度です。有効投票者数の1/50の署名を集め(大山崎町の場合約250名)、行政に直接請求して、議会で合併協議会設置を議決してもらうことです。「乙訓地域分科会だより」には合併を推進するための方便がどこにも書いてありません。これでは住民は合併を推進する術を知りません。インターネットでいくらでもこんな情報は溢れているが、行政頼りと与えられる情報に依存している住民に情報(お遊び情報は別にして)を取りに行く習慣がありません。それとも自分の事だけで市、町益のことに無関心なのか。乙訓地域分科会だよりに届けられた「意見書」は8年間で僅か30通(その内、大山崎町5通)です。寄せられた意見書の日時を入れるべきだ。時間軸のない管理は住民の発意を無視していることになる!

(平成23年10月:60代男性:大山崎町)
 

■乙訓地域は、乙訓区として、京都市に編入してもいいのでは。住所表示は、長岡京市の地域は「京都市乙訓区長岡〇〇町」、向日市の地域は、「京都市乙訓区向日〇〇町」大山崎町の地域は「京都市乙訓区大山崎〇〇町」とする。 その際は、自治を確保するために、区内の小学校区ごとに地域自治区を設置する。

(平成23年7月:20代男性)

平成22年度

■私は、人件費や事務費を含む行政コストを減らし、使える予算を増やし、それによる市民生活の向上という意味で、2市1町合併に賛成です。
ところで、これを実現するためには、各市町の議会での議決が必要なはずです。その議員たちの立場が、まったく見えてきません。いたずらに、市民の意見を聴く振りをしているが、市民のために考え、賛成なのか反対なのかの態度さえ見えないというのはいかがなものでしょうか。
私たちの意見は、議会で黙殺されればそれでおしまい。ならば、私は合併賛成派の議員、首長に投票したい。議員、首長よ。意見を隠してないで、自分の意見を表明してもらいたい。そして選挙に臨みなさい。それが民主主義ではないですか?!

(平成23年1月:40代男性:向日市)


■12月14日に届いた、乙訓地域分科会だよりに一言(同時に届いた広報長岡京も同じ)…デザイン優先なのか文字が小さい。老人社会はご承知のとおり、ルーペを出してまで読む気になれません。ポイントを上げてください。ページが増えてコストアップするでしょうが、せっかく作っても、読まずにゴミ箱へポイよりはいいではありませんか。

(平成22年12月:70歳以上男性:長岡京市)


■大山崎町は財政面や人口増加率のどちらを見ても規模の小さな自治体です。だから、乙訓2市1町で力を合わせてがんばってください。お願いします。本当に1日でも早く合併してください。お願いします。

(平成22年4月:20歳未満男性:大山崎町)

平成21年度

■乙訓地域分科会だよりVol.06、9ページ「歴史からみる乙訓の地」をみますと「異なる文化をもつ地域同士が合併する際、しばしばそれぞれの地域の文化や伝統が損なわれてしまうのではというデメリットが議論されます。乙訓地域の場合はどうなのでしょうか」として長岡京時代以降の乙訓地域の歴史が紹介されています。これを読んで思います。乙訓地域合併の問題は、ここでの指摘とは全く逆です。つまり、「歴史・文化的に一体的な乙訓地域(長岡京文化圏)が三つの行政区に分かれている不幸」を問題にすべきです。もし平安京(京都)が三つの行政区に分かれていたら市民(国民)は納得するでしょうか。長岡京文化圏の現状(三つの行政区)は、地域住民のみならず国民にとって本当に不幸なことです。不幸を解消して一つの行政区になれば、長岡京(地域)の保存、国民への紹介がしやすくなり、地域住民が居住・生活に誇りをもちます。こうなると文化・観光・交通行政等に新たな展開が、また、行政費の節約やサービス向上等が期待できます。なかでも「長岡京」を観光資源として生かすことによって地域は確実に活性化されると思います。長岡京「大極殿」等主要施設が存在する向日市が、過去のいきさつやしがらみにとらわれず、乙訓市実現に向けて積極的に行動するよう強く求めるものです。

(平成21年12月:70歳代男性:向日市)
 
■乙訓地域分科会だよりVol.06を拝読、当市もいよいよ市町村合併の決断の時が近付いているなと痛切に感じさせられました。向日市、長岡京市、大山崎町の合併問題については、早くからアンケート調査などで、住民の意見調査をされておられたことで関心を持っておりましたが、メリットとデメリットからは即断できない思いでありました。行政間でも自分たちの立場の主張や執着で、広域行政自体合併の気運は今一つであったと理解しております。しかし、今、われわれのおかれている立場は誠に深刻であることを知るべきでありましょう。景気の後退で、税収入がこれほど落ち込むことを誰が予測し得たでしょう。政権は交代し、地方分権化は一層の拍車がかかることが予測される中にあって、厳しい財政運営の時代に突入いたします。一方、行政機関が抱える住民の年齢構成は、少子・高齢化という社会保障費が増大する異常な状況にあります。今までの長岡京市は、財政運営が比較的うまく運営されてきていると機会あるごとに自負をしておられますが、20年度単年度決算では赤字の状態ではありませんか。住民に安心・安全を叫ばれても、財政に可能な持続性が見られない現状は誠に憂慮すべき問題と言えましょう。当市においては、行財政改革大綱、アクションプランなどを策定され、人件費削減には「定員管理」を事務には細かい「環境マネジメントマニュアル」を策定、実行するなど涙ぐましいご努力に敬服すら覚えます。これも財源不足を補う一助として頑張っておられるのでしょう。しかしこうした経費の削減は、職員の精神面にも大きな負担がかかり、年に数名の職員が「心の病」で休職に追い込まれていること自体、人事政策にも大きな欠陥が出ていると思われても仕方のないことであり、恥ずかしいことであります。住民ニーズの多様化、複雑化が対応にも難しくなっていることもありましょうが、住民の窓口を無造作に委託したり、嘱託採用者が現職なみの羽振りを利かし、若手のやる気を失わせる人間関係では、もはや仕事をする土壌すら失われていると言えましょう。これも財源不足と長い伝統につかっている役所の閉鎖的な体質がもたらすものではないかと推測いたします。「危機への対応力が求められる時代」「変革の時代は無限の可能性の時代」「前例主義は通用しない」のすばらしい言葉は、当市の立派な行財政改革の基本理念ではありませんか。歴史的にも一つの地域であった乙訓が、今は2市1町に区分はされてはおりますが、年々住宅は増え道路一つで他の行政になっているのも実状です。既に地区では「環境衛生」「福祉施設」「消防組合」は広域行政としての利点を発揮しております。「水道事業」も当然そうなることが望まれますが、なまじ当市が「地下水」に捉われておれば、イニシャティブもとれないのではないでしょうか。 

広域行政対策特別委員会報告書を拝読いたしましたが、「合併の重要性は認めるが、議会としてよりよい自治体のあり方、よりよい行政施策の進め方を提言していく努力が求められる。」がまとめの言葉であります。合併問題が終局に及んでいる今、まだこんな結論しか言えないのは、委員会自身、全く合併を避けているからではないですか。何故?合併で議員数が減らされるから?委員長の党意に反するから?とにかく「わがまち意識」、個人の損得を考えての実現は不可能でしょう。住民を幸せに導くためにも、全職員の熱意と小田市長の決断力が求められます。合言葉は、「乙訓は一つ 新しい地区の創造へ!」中途半端な行政の行き詰まり、古い体質からの脱皮、合併は2市1町にとっても新しい地域行政として命をつなぐものと信じます。立ち上がってください。

 (平成21年12月:70歳代男性:長岡京市)

 
■乙訓地域(2市1町)の合併を早く進めてもらいたい。合併のメリット・デメリットを整理して問題を解決すべきだ。合併マニュフェストを作成し、やれること・やれないことを明確にし、問題を先送りしないで、毎日でも2市1町で会議を行い、合併に取り組むべきである。甲賀市は、半年で合併をまとめたと聞いている。先進事例(合併市及び合併をやめたところ)へどんどん行って勉強しなければならない。勉強不足である。2市1町でお互い吸収しなければならないことは吸収して、高めていく必要がある。にそと道路の完成が遅いのも、合併協議が遅いのと関係がある。合併をして大きな力となって、計画の早期終結を要望しないといけない。

(平成21年8月:男性:長岡京市)


■平成の大合併も半数の市町村が良きにつけ悪しきに付け合併を推進しました。ここ乙訓では南部地域行政改革推進会議が設置され、分科会便りが配られるようになって3年以上になっていますが法定会議も合併協議会も設立されていない。
前町長時代に一番先輩市長ということで分科会の主管として旧庁舎に専任職員を配置して事業を行っていましたがそれも廃止され、それぞれの幹事会が各市町村で事務を引き継いでいますが実質、事業の推進はトーンダウンしている。
合併の直接的な理由は将来の少子高齢化に備えて、行政のスリム化を行うことです。団塊の世代が一挙に増えてくればなおさらです。この2市1町の合併の規模は人口から言うと、京都北部の広域地の市町村の合併とはその密集度と言い、比べものになりません。この2市1町は今や一つの経済圏です。地政学的にも独立して行政を行う必要性はない。
環境的にも片や西山に抱かれ、京都の母なる桂川を前面に配した地勢は未来の乙訓を考える時、規模と言い、環境と言い理想的な地形です。ドイツの世界的に有名なフライブルク市とも相通ずる所がある。
もっと重要なことは、古に出来た幻の長岡京の都を考える時、向日町に始まる北苑、宮城、大極殿、朱雀大路、そして大山崎で終わる羅城門の都市構造(向日市埋蔵文化財センター作成)は今でも通用するのではないか。2市1町合併は行政のスリム化だけでなく、乙訓の都市作りに関して市民に夢を与えてくれると思う。各市長がまちまちに都市作りを行うからいつまで経っても、統一感のないゴチャゴチャした町で、住んでいても一つもすっきりしない。箱庭的都市には魅力がありません。ここがヨーロッパとの都市作りの違いである。
それに私見であるが華美な商業主義に毒された東山文化に対し、もっと古の西山文化を再認識して京都に対抗するのは無理としても、広く日本中に喧伝して観光都市として、また環境都市として未来の子供たちに残していってあげることこそ、明日の京都を作っていくビジョンではなかろうか。言葉の理念だけでは都市は出来ない。
2市1町の首長の党派や、過去のわだかまりやエゴに拘って、合併問題を市民の発意だけに頼っているといつまで経っても前進しない。文化と経済と環境を考慮して乙訓の都市としてのグランドデザインを考えていくには、どうしても行政の特に上位の行政のリーダシップを必要とする。京都府として一肌脱いでもらい、2市1町をまとめてもらいたい。議員も、首長も自分のポストに執着していては夢のある未来は生まれない。50分の1の署名を集めて合併協議会結成の申請書を出すのはそんなに難しいことではない。ただ片思いではどうにも成らない。
ここ大山崎は秀吉の頃から、小椋干拓地問題で土地を収用され、近代に至っては東海道線、新幹線、阪急電車、国道171号線、名神高速そして現在、「にそと」により町内の大半がお上に収奪されてズタズタになっています。この状態で町は最善の経営努力をして改善につとめているが、所l栓は魚や鳥の尻尾の先に当たる部分では都市としての魅力は将来ともありません。大山崎、長岡京市、向日市が一体(鳥、魚の形)となって都市の住み分けを行えば良い町が出来ると思う。

(平成21年4月:男性:大山崎町)
 

■乙訓地域(2市1町)を発展させていくためには合併は必要であり、できる限り早く進めることが良い。地域の核になる人材を募り、確実に合併を前進させる。合併には、以下のメリットがあると考える。
(1)各市長の吏員・首長・議員の省人化
(2)広域的な政策企画
(3)事業拠点の適正配置(介護施設など)
(4)住民サービスを現2市1町の中で最も効率的な方式に統合し、さらに改善を図る。
(5)人材の供給活用
(6)予算計画

(平成21年4月:男性:長岡京市)

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