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中小路市長の雑感日記「平成という時代~1995年を境に」

[2018年9月14日]

ID:7592

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9月14日 平成という時代~1995年を境に

平成という時代が終わろうとしている。

 そんな時期に差し掛かり、新聞紙面でも平成という時代を振り返る企画が掲載されている。

 皆さんにとって、平成とはどんな時代であったろうか?

 

私にとっては平成7年、1995年というのが平成という時代を象徴する年だったと感じている。

「それまで」と「それから」を分かつ、大きなメルクマールの年であった。

1月には、阪神淡路大震災が発生。その後、東日本大震災をはじめ様々な災害が起こることとなる。

3月には、オウム真理教による地下鉄サリン事件。平成の終わりに、教祖の死刑が執行されたことが、なおのことこの時代の象徴のように感じる。

そして、「Windows95」の発売を機としたインターネットの急速な普及と拡大。現在の暮らしを取り巻く環境は、ここを機に目まぐるしく変化をしてきたと言っても過言ではない。

 

冷戦の終結により米ロを基軸とした国際情勢が変化し、経済発展を遂げる中国が台頭。

バブル崩壊と長期に渡る日本経済の停滞。社会の閉塞感を感じさせる凶悪事件の数々。

気候変動と異常気象。技術革新。我が国で生産年齢人口が減少し始めたのも1995年だ。

 

まさに不透明さで覆い尽くされた不安の時代。それが一言でいえば平成という時代ではないだろうか。


これから迎える新しい時代。切り拓いていくのは私たち自身である。

 

 

 

 

30年度の雑感日記(ページ内リンク)

9月7日 9月議会開会、台風21号

8月31日。長岡京市議会9月定例会が開会した。

決算議案を中心に、大阪北部地震や7月豪雨への対応のための補正予算案や空き家対策、生産緑地等をめぐる条例案を提案し、およそ1ヶ月にわたる審議が続く予定だ。

 

そんな中で、関西一円を襲った台風21号。

本市においても多数の被害が生じている。今回の台風は雨よりも激烈なる風による被害が大きいものとなった。

民家や事業所などで屋根や家屋等の破損が多数生じているほか、ビニールハウス等での農業被害。また、今回は何よりも停電による影響が非常に大きかった。

 

こうした事態を受け、長岡京市議会では6日(木曜日)、7日(金曜日)に予定をしていた本会議・一般質問の日程を一日延期し、7日(金曜日)、10日(月曜日)へと変更していただいた。

そのおかげもあり、私自身も、被害を受けた様々な箇所の視察もすることができた。

改めて、今回の台風被害の大きさを感じている。

しかし一方、徐々にではあるが、復旧への道のりを一歩は踏み出せていることも感じた。

多くの市民や事業者の方々の努力の結果に心から敬意を表したいと思う。

市役所としても全力で復旧に努めていく決意だ。
台風21号による被害状況視察のようす










台風21号による被害状況視察のようす
(9月6日長岡第六小にて)

8月31日 夏の終わりの思い出

長岡京音頭が響き渡る。目の前には、立ち並ぶ夜店に行列をつくる人々。たこ焼きやとうもろこしを焼くこうばしい香りが立ち込める。りんご飴の懐かしい味。そして、熱気で汗ばむほどの人いきれ。

 五感をフルに稼働させながら、子どもの頃の楽しかった記憶を思い出す。

 

8月25日。恒例の長岡天満宮の夏祭りが行われた。

今年は土曜日に重なり、子どもたちにとっても夏休み最後の週末。天満宮の境内はすごい数の人や親子連れで埋まった。

 

子どもの頃、天満宮の夏祭りは夏の終わりを感じさせる風物詩だった。

宿題などの不安を抱えながらも、夏休みを満喫し尽くそうと、もらった小遣いを握りしめ、何を食べようか、それとも射的や当てものをしようかと思い悩んだものだ。

 

そんな記憶を振り返りながら、当時と今とで大きく変わったことに気づく。

「暑さ」だ。

今年は猛暑ということもあるが、近年の夏祭りは毎年のように汗まみれ。

確かに、当時も暑かった。

それでも、祭の帰り、天神さんから自宅へと帰る坂道で夜風にあたると、ほんの少しだけ秋の気配を感じていたし、暑さの度合いも質ももっと違った気がしてならない。

 

そういえばもう一つ、変わったこと。

夏祭りで涼を取る手段も、子どもの頃はかき氷だった。今は、もちろん生ビール。

そんなことを考えながら、残った生ビールを一気に飲み干す。

大人になっても祭は楽しいものだ。それだけは決して変わらない。









長岡天満宮夏祭りのようす
(8月25日長岡天満宮にて)

8月24日 父、逝く

8月14日。私事ながら、父・克爾が亡くなった。

食道がんの手術から8年。最後は苦しむこともなく病院で穏やかに息をひきとった。

葬儀に際しては、多くの方にご弔問・ご弔意を賜り多くの方に送っていただいた。この場をお借りして感謝申し上げるとともに、不行き届きも多々あったかもしれない。お詫び申し上げたい。

 

享年76歳。少し早い気もする。

ただ、息子の私から見ても、父は多くの友人に囲まれ愉快で楽しい人生を過ごしたと思う。

自由奔放で豪放磊落な人だった。

家族や家庭をあまり顧みることもなく、自分自身の気の向くままに生きたが故に、きっと母は苦労したと思う。

それでも、背中で教えてくれたことも多い。

豪快な面もありつつ、取り分け人付き合いに関してはとても繊細で気遣いのできる人でもあった。

私自身が政治の世界を志すと決めた際も、何も言わず、一生懸命背中を押してくれた。

今の私があるのは父のおかげであると言っても過言ではない。

 

正直、まだ父がいなくなった実感を持てずにいる。

家に帰ると「おう、」と声をかけてきそうな。

しかし、その父はもういない。

自身の肩にまた一つ、大きな責任という名の荷をかつぐ。そのことをしっかりと胸に刻み、これからも父の名に恥じないように生きていきたい。

本当にありがとう。そして、お疲れ様でした。

8月10日 残された宿題~長岡天神駅周辺のまちづくり②

7月15日。バンビオ・メインホールにおいて『どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神』と題し、まちづくりを考えるシンポジウムを開催し、多くの市民にもご参加いただいた。

冒頭に、阪急長岡天神駅周辺整備基本計画策定委員会の委員長もつとめていただいている立命館大学の及川清昭教授から各地の駅前の風景の紹介も含めた基調講演をいただく。

引き続き、私から、この間の経過や阪急京都線の高架化の議論の進捗状況、駅前広場・アクセス道路の位置、土地利用計画など課題となっている論点を紹介。

その後、高松丸亀町商店街振興組合の古川康造理事長、阪急電鉄株式会社の上村正美都市交通事業副本部長、元京都府建設交通部技監の村松徹也氏、長岡天神駅まちづくり協議会の橋本光夫会長などとのパネルディスカッションを行った。

 

パネルディスカッションではそれぞれ活発なご意見をいただき有意義な議論ができたと思う。

特に、「長岡天神らしい、個性を活かした」まちづくりをしていくべきだという点では概ね一致できたのではないだろうか。どこにでもある見慣れた駅ではなく、「長岡天神駅」だとわかる駅周辺のまちづくり。

議論を通じて、私の中のイメージとして浮かび上がってきたキーワードは「歩いて楽しい」「回遊性のあるまちづくり」というものだ。

そのためにも、駅やハードの構造だけではなく、周辺地域全体との一体性や整合性を持ったまちづくりが必要となる。それは、当然、地権者や近隣商店、住民の皆さんと一緒に考えていかなければならない点だろう。

その意味でも、事業化に向けた現段階での議論と合意形成がとても重要になってくる。

引き続き、私たちからそうした課題を提起していきたいと思う。
『どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神』







まちづくりシンポジウム『どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神』の様子
(7月15日 バンビオメインホールにて)

8月3日 残された宿題~長岡天神駅周辺のまちづくり①

長岡京市にとって、積年の大きな課題が阪急長岡天神駅周辺の整備だ。

昭和30年代に行われた各都市計画決定以降、具体的な事業化はなされずに今日に至っている。

本市では、この間、JR長岡京駅前の再開発事業や京都第二外環状道路とそれに伴う阪急新駅の整備など大きなプロジェクトに取り組んできた。これらは、それぞれ事業化に至る環境の変化に応じたものであり、タイミングとしては適切であったし、大きな成果を残せたものだと評価をしている。

一方、こうした大事業に優先的に取り組んできた結果として、阪急長岡天神駅周辺の整備が残されたこともまた事実であろう。

そして、大きなプロジェクトが完了し成果を生み出した今日、改めて、長岡天神駅周辺のまちづくりを時代に併せて本格的に再始動させなければならない。それが、私自身、市長に就任した際の決意でもあった。

 

そこで、まず取り組んだことが、地元・周辺地域の地権者の方々と協働してまちづくりについて考えるプラットフォームを作ることである。それが、平成27年夏に設立いただいた『長岡天神駅周辺まちづくり協議会』だ。どんな計画を作ろうとも、それを具体化するためには地域自身の皆さんの協力と努力が不可欠である。

そして2年余りの議論を経て、本年3月「まちづくり基本構想」を策定いただくことができた。

 

併せて、本市の中心市街地に位置し特急も停車する長岡天神駅は周辺地域の方々だけではなく、市民全体にとっても、市のまちづくり全体にとっても重要な課題であることは明白だ。巨額の事業費もかかる。また、具体的な事業化を考えた場合、鉄道事業者や国・府などとの連携が欠かせない。

そこで、平成28年度に『阪急長岡天神駅周辺整備基本計画策定委員会』を設置し、協議会と連携しつつ、市民代表や関係者、専門家の皆さんの間で議論を進めてきている。

 

こうした議論を経てきた中で、鉄道の高架化やアクセス道路の整備、駅前広場の位置や土地利用計画などいくつかの論点が見えてきた。今年度中には市としての基本的な考え方となる「基本計画」を策定する予定でもある。

 

先月、15日にはこれら議論の経過や検討状況を広く市民の皆さんに知ってもらい、ともに考えていただくため、「どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神」と題したシンポジウムも開催した。その内容は、次回に譲りたい。

7月27日 サッカー・ワールドカップを振り返り

連日のうだるような暑さ。蝉も蚊も音を上げるほどだというからたまらない。

 

およそ1ヶ月にわたり繰り広げられたサッカーの祭典、FIFAワールドカップ・ロシア大会は、自国開催での優勝以来、20年ぶりというフランスの優勝に終わった。

グループリーグでの安定した戦いぶりに加え、決勝リーグに上がってからは、初戦の対アルゼンチン戦を見事な逆転で勝利し勢いにのり(個人的にはこの試合が決勝リーグのベストゲームではないかと思っている…)、準々決勝の対ウルグアイ戦を2-0で貫録勝ち。準決勝の対ベルギー戦は猛攻をよく守りきり、セットプレーからの1点を死守。決勝のクロアチアとの大一番は、若干、クロアチアの連戦の疲れに助けられた部分もあったかに思うが、攻守ともに充実したフランスの優勝に納得する向きが多いのではないだろうか。同時に、今回の選手層を見ているとまだまだ強くなりそうな予感もする。

 

今回のロシア大会では、VARの導入やセットプレーからの得点の多さなどが特徴的な大会でもあったが、私自身の中で印象に残ったのはゴールキーパーの活躍だ。

優勝したフランスのロリス選手やベルギーのクルトワ選手、イングランドのピックフォード選手、クロアチアのスバシッチ選手などベスト4チームのGKは大会を通じて数多くのスーパーセーブを連発したし、メキシコやコスタリカなど南米勢のGKの予選リーグでの活躍も目についた。

特に、決勝リーグ初戦でのデンマークvsクロアチアでのPK戦での両GKのセーブと死闘はワールドカップ史に残るのではないかと思う。

 

日本代表の活躍も含めて、熱い熱い饗宴が幕を閉じてしまい、少々のサッカーロス感にひたっている。

あの「あつさ」ならもう1ヶ月、続いてくれても良かったのに。

7月20日 平和について考える

7月19日は長岡京市『平和の日』。

今年で制定30周年の節目を迎えることとなった。

先の大戦のあった昭和から平成という時代へ。そんな時代の変わり目に『平和の日』が制定され、その平成も来年には新たな元号の時代へと移り変わっていく。

時の経過とともに記憶の風化はすすんでいる。そこで、長岡京市ではこの度、デジタルアーカイブとして『長岡京市バーチャル平和祈念館』を開設した。

本市にもある戦争に関する資料や証言などを掲載し、学校教育など幅広い場面で活用を促そうとするものだ。戦争は遠いどこかの出来事ではなく、私たちの身近な場面にあったという事実を、子どもたちに感じてもらえたらと思う。

 

そして、今年の平和を考える市民フォーラムでは、拉致被害者でもあり新潟産業大学准教授として活躍しておられる蓮池薫氏を講師にお迎えし「夢と絆」と題した講演をいただいた。

 

拉致とは、命以外のすべてを奪われることに他ならない。未来への夢や希望も。家族との時間や絆も。

 

拉致された1978年7月から2002年の帰国までの記憶を克明に淡々と語られる口調と、壮絶な日々に違いなかったであろう現実とのギャップが、聴く者の心を圧倒する。

「拉致された24年間の中で、希望を捨て、最悪の事態を避けることだけを考えた。」

その言葉は、平和という当たり前の日常を謳歌している私たちに重みをもってずしりとのしかかる。

心静かに、私にとっての平和とは何か、しばし考えてみる。

















平和を考える市民フォーラム’18での蓮池薫さんの講演
(7月14日 中央公民館にて)

長岡京市バーチャル平和祈念館 開設!

日本における戦争終結から70年以上が経過し、戦争体験者が減少、戦争に関する資料が失われつつある今、

戦争に関する体験記、資料、平和教材の閲覧をインターネット上で自由に行うことができる『長岡京市バーチャル平和祈念館』を開設しました。

皆様、ぜひぜひご利用ください!

長岡京市バーチャル平和祈念館(別ウインドウで開く)


7月13日 災害を乗り越えて

先週は当欄も休ませていただいた。

というのも、西日本を襲った長雨の対策に追われたからだ。

台風7号とそれに伴う前線の発達による長期間による降雨は、西日本を中心に甚大な被害をもたらした。平成史上、最悪の水害となってしまった。

今回の災害で亡くなられた皆様のご冥福と未だ行方不明の方々の早期の発見、被災をされた方々へのお見舞いと被災地の一日も早い復旧・復興を心より祈る。

 

本市においても、7月5日の降りはじめからの累積降雨量は393㎜。平成25年の台風18号の際に記録した295㎜を一気に凌駕した。

それでも、前半に非常に強く降り、後半は比較的小康状態が保たれたおかげもあってか、幸いにして、人的・物的被害はほぼ無く乗り超えることができた。一方、6日夜半からの特別警報後に被害が拡大した地域の様子を見るにつけ、彼我の差は紙一重でもある。そのことを私たちは肝に銘じなければならない。

 

このひと月で、私たちは6月18日に発生した大阪北部地震、そして、今回の西日本豪雨という2つの大きな災害を経験した。

地震対応においては、前触れなく訪れる地震への迅速な対応や、発災時の職員の参集体制、鉄道網等インフラが停止した際の脆弱性などをまざまざと見せつけられた。

また、今回の豪雨対応においては、市内6か所に設けた避難所での対応や住民に対する情報伝達の手段、また、市役所内における情報共有や意思決定の方法など、多くの課題に気づくことができた。

こうした教訓を一つひとつ、今後に活かしていく地道な取り組みが今こそ求められている。








避難所への持ち出し品の用意や、
ハザードマップでご自宅の被害想定や避難所を確認するなど、
この機会にぜひ取り組んでみてください。

6月29日 短冊に願いを込めて

6月も終わりを迎え、いよいよ7月に入る。まちなかでも、チラホラと竹の七夕飾りを見かけるようになってきた。

皆さんは、今年、どんな願い事を短冊に添えられるだろうか?

「痩せますように」「お腹まわりをへこませたい」「体脂肪率を…」

四十も半ばを過ぎると、ついついからだ・健康や体型のことが気にかかる。

 

7月7日、七夕当日。

JR長岡京駅前のバンビオにおいて、『ご当地タニタごはんコンテスト』の近畿・北陸・中部ブロックの予選大会が開催をされる。

体組成計など健康器具で有名なタニタさんが、各地の郷土料理をタニタ基準での健康食として現代風にアレンジ。そのレシピを全国規模で競う。そんな催しの予選会場に本市を選んでいただいた。

当日は書類審査を勝ち抜いた10組によるプレゼンテーションから、健康チェックなどのタニタブース、協力企業さんによるマルシェなど多彩な催しが行われる。

また、地元地域の皆さんにもご協力いただき、『ママ・キッズまるごとマルシェ×バンビオの七夕』を同時開催。エリア全体での盛り上げを図る。

 

さてさて、短冊に願い事を書くだけではなかなか叶わないのが現実。

「願い事」から「実践」へ。

ぜひぜひ、そのヒントを見つけるためにも、今年の七夕はバンビオにご集合ください!


『ご当地タニタごはんコンテスト』のページ

ご当地タニタごはんコンテスト チラシ

会場では健康やフードにまつわるブースがたくさん!
ぜひお立ち寄りください!

6月22日 地震発生~引き続きの警戒を

週初め、月曜日の朝を地震が襲った。

6月18日、午前7時58分。大阪府北部を震源とするM6.1の地震が発生し、長岡京市では震度5強の揺れを観測。本市においては、即座に災害対策本部を設置。情報収集とその対応に追われた。

本市では、ケガによる救急搬送が1件、民家等での瓦の落下や塀の倒壊などが18件、その他、文化財の損傷が4件(いずれも6月20日現在)。甚大な被害は生じてはいない。

しかし、近隣の自治体においては亡くなられた方もあり、大きな被害が生じている。

改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災をされた皆様にお見舞いを申し上げたい。

 

公共施設においても、市役所東棟でのガラス破損、西山公園体育館での天井の損傷、スポーツセンター体育館の窓枠の損壊、多世代交流ふれあいセンターでの天井の亀裂が見つかったほか、小中学校でも一部校舎や窓ガラスの破損があったが既に応急対応は済み、通常通りの授業が行われている。

 

今回の地震では阪急電鉄、JR両鉄道の運休が最も大きな影響を与えた。

JR長岡京駅、阪急長岡天神駅の両駅を中心に、長時間、駅で足止めされた方も多く、長岡京市ではJR駅前のバンビオの市民ギャラリーと特別展示室を開放。最大200名を超える方が待避をされた。

 

気象庁からは、地震発生から1週間程度は同規模の地震への注意が呼びかけられている。

もうしばらくそれぞれに注意と警戒を怠らないようお願い申し上げる。

6月15日 サイは振られた

2018年6月12日が、歴史の中の1ページに刻まれることは間違いない。

 

敵対してきた米国・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長が、シンガポールで固い握手を交わし、共同声明に署名をした。

核開発をめぐり緊張状態が続いてきた米朝関係を、対話によって解決しようとする意志が示されたことは歓迎すべきことだろう。

しかし、このことが実際に朝鮮半島の非核化につながる第1歩となるのか否かについては、まだまだその推移を見守らなければならなさそうだ。

 

識者等からの批判的な反応は概ね、合意内容の具体性のとぼしさが指摘されている。

非核化に欠かせない査察についてまったく言及がなかった点や、非核化への期限すら決まっていない点などである。

一方、当事者双方にとっては政治的に意義があったことは間違いない。

全世界の耳目が集まる中、金正恩委員長は、体制に対する保証と一定の時間を稼ぐことができた。トランプ大統領にとっては、秋の中間選挙に向けた外交上の成果に対する期待感を醸成できた。

 

今回の会談は、これまでの外交の常識的な考え方からすれば、事前の事務方による協議を積み重ね、一定の合意を得るという手順を経たものではない。その意味で、何かが決まったわけではない。

ただ、少なくとも、何かが「動き出した」ということだけは間違いのない事実であろう。

動き出した事態に対して、米朝は当然のことながら、韓国、中国、ロシアなど周辺諸国も一気にそれぞれの思惑に基づき動き始める。日本政府も決して乗り遅れてはならない。

 

サイは振られた。

出る目は吉か凶か。まだまだサイはまわり続ける。その盤からしばらく目が離せそうにない。
平和フォーラムのポスター



本市が「平和の日」を制定して30年。
7月14日に「平和フォーラム」を開催する。
講師に北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さんをお招きし、拉致問題について考えます。

6月8日 海を渡れ

6月5日、6日の両日にかけて、全国市長会のため東京出張へ。

全国市長会に併せて、様々な会議や勉強会、セミナー等が行われるのだが、今回、参加した中で大変印象的だったものを二つご紹介したい。

 

一つは、電子政府・電子自治体に関する勉強会。

講師は、佐賀県などで早い時期から行政の電子化に取り組まれていたe-Corporation.JP株式会社の廉宗淳代表取締役社長。

韓国の行政や社会システムのICT化の状況について報告をいただいたのだが、その進み方たるや世界のトップレベルであり、ほぼすべての行政手続きや銀行決済などが全世界どこにいても利用が可能だそうだ。正直、私自身勉強不足で、韓国がここまで進んでいるとはまったく知らなかった。

 

もう一つは、防災・危機管理トップセミナーでの東京大学・片田敏孝特任教授の講演。

先生は、災害時の避難行動などを専門にされているのだが、避難勧告・指示が出てもなかなか避難をしない住民が多い日本に対して、2017ハリケーンカトリーナの際の米国では、380万人に対する避難命令に対して、実際に避難をしたのは650万人。結果、それによってパニック状況が起こるのだが、この差の背景に、「命を守ることに対する主体性」の有無を指摘。行政への依存心が強い日本に対して、アメリカでは個人の主体性が非常に強い傾向があるそうだ。

 

議員になりたての頃、ある先輩から、政策の勉強をするならば「川をさかのぼり、海を渡れ」と教えられた。歴史を振り返ることと、諸外国の状況を勉強することを意味する言葉だ。

今回の二つの事例からも、自分自身の身の回りばかりを見ていると、それが常識になってしまい思考停止に陥ってしまう。そのことの弊害を指摘されたような気がする。

まさに「海を渡る」ことで、自らのいる場所の状況を振り返ってみることの重要性を教えてもらった。

6月1日 長岡京市から世界へ

サッカーの世界最高峰と言えばヨーロッパだが、そのクラブチームNO.1を決めるのがUEFAチャンピオンズリーグだ。

5月27日、レアル・マドリードとリヴァプールの決勝戦。3-1の勝利で、レアル・マドリードが3連覇という結果に終わった。

Rマドリード・ベイルの華麗なバイシクルシュートが決勝点となったが、息をのむようなプレーがあった一方、リヴァプールのGKカリウスにとってはあり得ないようなミスが2連発。

世界のトッププロが集う試合でもこんなことがある。それほどにプレッシャーが大きいということか。

 

さて、いよいよ6月に入り、FIFAワールドカップ2018ロシア大会の開幕が目の前に迫ってきた。

昨日、日本代表23名も発表をされ、長岡京市出身の宇佐美貴史選手(デュッセルドルフ)も選ばれた。

長岡京市から世界へ。

このところ、なかなか結果が残せていない日本代表だが、勝利を重ね予選リーグを突破してもらうと同時に、宇佐美選手の活躍を心から期待をしたいと思う。

 

日本代表の戦いもさることながら、世界トップレベルの選手たちの熱い真剣な戦いとそのプレーを期待できるのがワールドカップだ。世界標準を通してこそ、今の日本のレベルがはっきりするに違いない。

6月は眠れない夜が続きそうだ。
市役所玄関に飾られている宇佐美選手を応援する垂れ幕

ピッチでの活躍を期待しています!

5月25日 中野家住宅 meets なかの邸


悠久の歴史の中で、京の都・東寺のあたりを起点とし、長岡京市・大山崎を抜け、西宮まで至った西国街道。当時の人や物の流れを支えたまさに歴史街道だ。

そんな街道沿いに位置し、往時のたたずまいを感じさせてくれるのが『中野家住宅』だ。


『中野家住宅』は、伏見市長や衆議院議員、京都商工会議所会頭など要職を歴任し、政界・経済界で活躍された故・中野種一郎氏の生家。平成22年にはその価値が評価され、国登録有形文化財に登録をされ、その後、平成26年9月に、ご子息・康男氏の遺志として長岡京市にご寄贈いただいた。 


そして今回、一般社団法人暮らしランプが運営される「おばんざいとお酒 なかの邸」として新たな一歩を踏み出すこととなった。

長岡京市では、阪急西山天王山駅や京都縦貫自動車道長岡京ICからも近い立地を活かし、①市内経済の活性化や観光振興につなげる、②市有財産の有効活用を目指すという方針のもと、民間の事業者から『中野家住宅』の活用方法について広く提案を募ってきた。


今回ご提案をいただいた暮らしランプは、障がい者の雇用や就労支援を行っておられ、「なかの邸」では障がい者の夜間就労と観光拠点の創出をコンセプトとした施設運営を目指し、今年秋ごろのオープンに向けて事業の準備を進めていただいている。

また、今回の事業にあたっては、障がい者の多様な働き方と雇用所得の増大を目的とした日本財団の助成を活用させていただく。

先日行った共同記者会見では、そんな事業者や財団の熱い思いを語っていただいた。


今回の事業を通じて、多くの方に「なかの邸」をご利用いただくことが、何よりも、ご寄贈いただいた中野種一郎氏のご功績を広く知っていただくことにもつながる。

秋に向けて楽しみな事業がまた一つ動き出した。是非、皆さん、ご期待ください!

おばんざいとお酒なかの邸 記者発表

おばんざいとお酒なかの邸 記者発表のようす
(5月24日中野家住宅にて)

5月18日 誰もが共に自分らしく暮らす長岡京市を目指して

あいにくの雨の中ではあったのだが、さる5月13日。

4月に施行した『誰もが共に自分らしく暮らす長岡京市障がい者基本条例』の記念キックオフイベントを本市中央公民館において開催をし、多くの方にご来場いただいた。

基調講演には、ご自身も障がいをお持ちでEテレ「バリバラ」などでも活躍されている西宮市社会福祉協議会職員の玉木幸則さんをお招きし、その後、当事者や障がい者に関連する団体、市商工会の代表者によるシンポジウムを開催。

また、鳥取県が中心に進めておられる「あいサポート運動」の協定を、野川聡鳥取県副知事にもご参加いただく中で結ばせていただいた。

 

今回のイベントを通じて、最も印象に残ったのは、玉木氏の講演でおっしゃった言葉だ。

今の社会は、障がいをお持ちの方への合理的配慮の必要性は認めるものの、まだまだ、「可能なかぎり」「できる範囲で」という大前提がある。自身が目指すフル・インクルーシブな社会とは、そうしたカッコ書きをなくすことだ。

私たち自身が重く受け止めなければならない言葉だと思う。

そして、同時に、様々な制約がある中でも、「今、この瞬間に何ができるのか」を真剣に考え続けることが何よりも大切なのではないだろうか。

 

本市の基本条例はスタート地点に立った。

これから長岡京市でこうした条例の理念を共有する輪をさらに広げていければと思う。



5月11日 違いを知るということ

実際に海外を訪れてみると、彼我の生活習慣や文化の違いを目の当たりにする。

単なる外形的な違いのみならず、国民性(一括りにするのは少々危なっかしいが…)と言っても良い価値観や考え方の違いもまた体感するものだ。

最近では、四月に訪れた中国・寧波において、自身でも痛感したものだ。

 

先日、本市の30年来の友好都市である米国・アーリントンでの短期交換留学プログラムに参加した、中学生・高校生たちが帰国の報告に訪れてくれた。

GW期間を利用し、10日間のホームステイを終え、元気に帰ってきた子どもたちの顔つきは、出発前と比較をすると、とてもたくましくなっている。

 

現地の学校で、ホストファミリーとの生活の中で、あるいは街中で。

様々な場面で経験した「驚き」が、彼らにとってはとても新鮮だったのだろう。貴重な経験を自分の言葉で熱く語ってくれた。

当然、一人ひとりの感じ方は少しずつ異なるものの、総じて言えば、その「驚き」は日本と米国の文化の違いに根差したものではないかと思う。

その「違い」を知った彼らは、次に、その「違い」を理解し合いたいと感じているはずだ。

相互理解を深めるためには、お互いのより深いコミュニケーションが必要となる。

さらにコミュニケーションを深めるためには、その手段としての「言語」が求められる。

 

「もっと英語ができるようになりたい」

そう口々にする彼らの心に、異なる文化を理解し合うため、語学に対する大きなモチベーションを生んだとするならば、このプログラムは大成功をおさめたのだと思う。

学生のアーリントン短期留学 帰国報告会の様子

学生のアーリントン短期留学 帰国報告会の様子
(5月7日市役所にて)

5月2日 チャーチルの決断

ゴールデンウィークをいかがお過ごしだろうか。

私も時間を見つけ、映画『ウィンストン・チャーチル~ヒトラーから世界を救った男』を観た。

辻一弘さんがアカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞されたことでも話題になった作品だ。

 

舞台は1940年5月。第二次世界大戦の初期。ヒトラー率いるドイツの勢力が拡大する中で、宥和政策を進め不信任を受けたチェンバレンの後任としてチャーチルが首相に就任する。

日に日に悪化する戦線。ナチスドイツの勢いは増す一方。

ドイツ軍に追い込まれた英国軍はフランス・ダンケルクの海岸で孤立状態となる。そして、いよいよ英国にもドイツ軍上陸の危機的な状況が訪れる。

ヒトラーに屈するか、最後まで戦うか。その決断が迫られる。

国民的な人気はあるものの、独特の個性を持つ変わり者であるが故に、政党内や王族からも決して好かれていないチャーチル。

徹底抗戦を訴え続けたチャーチルだが、ドイツとの和平交渉を主張するチェンバレンやハリファックスらの攻勢に、葛藤し、和平交渉へと大きく気持ちが揺れる。

そして、彼が最後に下した決断は?

彼を、その決断に至らしめたものは何か?

 

この時の彼の決断が、第二次世界大戦の結果を決定づける。そして、それは結果として、今日の世界秩序をかたちづくったと言っても決して過言ではないだろう。

政治に携わるものの一人としては、必見の作品ではないかと思う。

4月27日 寧波市訪問~友好都市盟約35周年

4月18日から21日の4日間、中国浙江省・寧波市を訪れた。

本市との友好都市盟約35周年を記念した招へいに応じたもので、市議会議長をはじめ市議8名との公式訪問団での訪問となった。

私にとっては市長就任時からおよそ2年半ぶりの訪問であったが、この間の寧波の急成長には目を見張るものがある。また、相互訪問等を通じて培ってきた多くの友人とも再会を果たすことができた。この35年間、先人の皆さんを含め築き上げてきた両市の太い絆を再確認させられた。

 

今回の訪寧波を通じて私自身は2つのことを念頭においた。

一つは、これまで築いてきた友好という土台の上に立って、さらに経済的な交流を強化したいということ。

そして、もう一つは、次の時代の交流を担う世代のつながりを強めたいということだ。

 

本市では、昨年に寧波の事業所のお力をお借りし「京都長岡京伝統工芸館」を開設した。今回は、現地で経済交流会を開催し、在寧波の観光事業者などへのPRを行うとともに、公式会見では裘東耀市長からも観光事業での連携を強化したい旨の発言も頂いた。

また、寧波市で中国初出店に取り組まれている阪急百貨店(H2Oリテイリング)の建設現場の視察や現地法人の方、また、京都から寧波に進出をされている企業の方々との交流の機会を得ることができた。

二点目については、寧波の効実中学校(日本の高等学校にあたる)と府立乙訓高等学校との姉妹校締結に向けた協議をスタートさせる確認書を取り交わすこともできた。次代を担う子どもたちの交流の端緒をつくることができたのではないだろうか。

 

この秋には、寧波市からの訪問団を受け入れる予定だ。

ここを一つの通過点として、新たな時代の寧波市との関係を創りあげていければと願っている。

寧波市への表敬訪問の様子

寧波市表敬訪問のようす 裘東耀 寧波市長と
(4月20日中国 寧波市役所にて)

4月13日 常識を疑ってみる

この季節の楽しみの一つと言えば、食卓に並ぶタケノコだ。

今年は、どうやら豊作だと聞いており、農家の方々は寝食を忘れるほどにお忙しいことかと思う。

シンプルに昆布出汁で炊いたタケノコはまさに絶品。白くて柔らかく、エグみがほとんどないのが長岡京市のタケノコの特徴だ。

このタケノコを食べれば、他のタケノコは食べられないと言っても過言ではない。そう自負している。

 

ところが、先日、ある講演会で、こんな問題提起があった。

全国のタケノコ好きの方の中には、「エグみがあるからこそのタケノコ」「タケノコの固い歯応えがいいんだ」と言った声があるそうだ。

私たちが誇りに思う、「タケノコの柔らかさやエグみの無さ」こそが強み、との常識がまったく覆される意見だ。

もちろん、そうした声がマジョリティであるか検証されたわけではないし、仮にそうだとしても、この地域で採れるタケノコをそのように育てるべきかどうかは別問題だ。

 

しかし、一方ではたと考えさせられもする。

私たちが、あまりにも当たり前で常識だと信じ込んでいることでも、地域や文化が変わればもしかしたら常識ではないのかもしれない。

そう「考えてみる」ということが大切なのかもしれない。

確かに、発展途上国では、お徳用フルボトルの洗剤よりも、小分けにした洗剤が売れるという。

アメリカでは、私たちにとっては高級な「霜降り牛」は脂っこくて、体に悪いので敬遠されるとも聞く。

何かにつけ、自分たちが盲信している常識を疑ってみる姿勢を忘れずにいたいと思う。

そこにこそ新たな発見やビジネスチャンスがあるのかもしれない。

4月6日 新たな種を蒔く

新しい年度の始まりというのは、気持ちが引き締まるものだ。

4月2日には、新たに17名の新入職員をむかえ、人事異動があった管理職に辞令を交付した。

 

私事にはなるが、今年度にはいただいた任期を迎える区切りの年となる。

就任当初は、自分自身が思う政策や施策・事業を、日々、淡々と動いていく市政の中に、どう反映させていったらよいのか戸惑いもあった。実現できるかどうか、不安も焦りもあった。

しかし、今、この瞬間、多くの公約が実現に向けて着実な歩みを進めていると断言することができる。

これも偏に、多くの職員の理解と協力があってこそだと感じている。

そして、同時に、『対話』を積み重ねることの重要性を感じる。『対話』には時間がかかるかもしれないが、そこでの共有こそが速やかな事業の進捗を図ることができる。

 

一方、中心的に取り上げてきた課題やテーマが固定化しつつあるのでは、という懸念も持っている。

もちろん、それらが重要なことに変わりはない。

しかし、それらの他に、新たな課題が生じているのではないか。あるいは、環境や状況の変化によって対応すべき方針を見直さなければならないのではないか。といった点検は絶えず必要だ。

 

すでに蒔いた種を、育て、花を咲かせる。

同時に、これから咲かせる花の種を蒔くことも不可欠である。

今年度は、そんな一年にしていきたいと思っている。

職員との「対話のわ」の様子

新年度がスタート、職員との「対話のわ」にて。
(4月2日、市役所で)

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