中小路市長の雑感日記『奴雁の精神』
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6月12日 奴雁の精神
「奴雁(どがん)」という言葉をご存知だろうか。
奴雁とは、雁(かり)の群れが餌をついばむ時、仲間が外敵に襲われぬよう首を高くして周囲を警戒する一羽の雁のことを指す。
由来は、福沢諭吉翁が「群れた雁が野に在て餌を啄む(ついばむ)とき、其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、之を奴雁と云ふ。学者も亦斯の如し」と述べ、学者に対して、未来に向けて警鐘をならしたり、時流に流されることなく皆がきづかない危険を察知する立場であるべきだと説いたところから来る。1980年代、中曽根内閣の下で前川レポートを取りまとめた前川春雄元日銀総裁が好んで使ったことで有名になった言葉でもある。
この間、日本の国債市場において長期金利が上昇している。
市場では40年物国債が3.675%まで上昇(価格は下落)し、昨年末からの上げは1%を超えた。30年物も3.185%になり、ともに過去最高を更新。5月に行われた20年物国債の入札でも2.6%を超えるなど、国債の発行を担う財務省幹部の想像をも超える水準となっている(2025年6月10日日本経済新聞「きしむ日本国債(上)」)。
背景には、日銀が政策転換により国債の買い入れを減額していることがあるが、その減額を補うことを期待されている民間の金融機関の姿勢も鈍い。
こうした長期金利の上昇が企業や個人の経済活動に対して負の影響を与えることは必至であるし、国や自治体にとっては利払い費の急増は行政サービスの提供にも影響を及ぼす。
21世紀初頭に出版された経済小説のベストセラー、幸田真音氏の『日本国債(講談社)』では、国債の募集に際して応札額が大幅に不足する「未達」の世界が取り上げられ、我が国の財政に警鐘を鳴らした。
それから四半世紀。今起こりつつあることは、フィクションだった世界が現実化する兆しなのだろうか。奴雁はどう見るだろうか。

7年度の雑感日記(ページリンク)
5月30日 長岡天満宮本殿 50年ぶりの葺き替え
5月16日 巨星、墜つ
5月9日 気候変動を身近に感じながら
4月25日 多様性を感じる機会に~大阪関西万博開幕
4月18日 自治体の思いを届けるために
4月11日 長い箸
4月4日 考え続ける力


6月6日 民生児童委員ウィーク
朝の陽射しのなか、元気に登校してくる子どもたちを笑顔で待ち受ける。
一人ひとりの顔をしっかり見ながら声をかけ、変わった様子はないか確認する。
行き交う車のタイミングを見て、こどもたちが横断歩道を安全に渡り終えるのを見届ける。
歩く道すがら、子どもたちも嬉しそうに話しかけ、おしゃべりしながら学校へと近づいていく。
「いってらっしゃい」「いってきます」どこにでもあるやり取りかもしれないけどとても暖かい。
きりしま苑の大広間。畳の上にはおもちゃが所狭しと並び、やってくる子どもたちを待ち構えている。
お母さんに手を引かれた小さな子どもがポツリポツリ。
最初はお母さんの後ろに隠れてモジモジしているけど、やっぱり楽しそうなおもちゃに興味津々。
そんな子どもに優しく声をかけると、少しずつ表情も柔らかくなっていって笑顔が現れる。
楽しそうに遊んでいる子どもの姿を見守るお母さんもとっても嬉しそう。
「こんにちは、元気にしてる?」
慣れた様子で声をかけると、お一人暮らしの高齢女性がお家の中から玄関へ。
門口に座っておしゃべりに花が咲く。
昔の長岡京市の風景やお子さんたちが最近帰省されたこと、近頃のスーパーでの買い物事情などなど。
こうやって人と話すことが元気の源なのだろう。「熱中症には気をつけて」と声をかけ次のお宅へ。
今日のレクリエーション活動は「懐メロかるた」
往年の名曲の出だしの歌詞を読み上げると、サビの歌詞が書かれたかるたを取り合う。
「はい!」という元気な声が部屋に響き渡る。
お手つきなんて気にしない。テーブルを囲んだ高齢者の皆さんもやっぱり勝負には負けたくないみたい。
こんな楽しい時間があるから、ここに来る。それが日々の活力になるそうだ。
日々の暮らしの何気ない場面。
そんな日常の風景のなかに、土台となって支えるように、そっと寄り添うように、いていただけるのは民生児童委員さんたちだ。
この5月、民生児童委員ウィークと称して、私自身も民生児童委員さんの日々のお仕事の一部を体験させていただいた。
参加させていただいたそれぞれの活動は、本当に笑顔があふれ、人と人がつながることの温かさで満たされていた。それはきっと、民生児童委員の皆さんが築き上げてきた信頼関係があるからこそなんだと思う。
今年は、3年に一度の民生児童委員の改選期にあたる。
こんな「やりがい」のある民生児童委員というお仕事に、ぜひ関心を寄せていただけたらと望んでいる。


民生児童委員ウィーク 活動中のようす



5月30日 長岡天満宮本殿 50年ぶりの葺き替え
本市の名所のひとつ長岡天満宮。
菅原道真公が生前、在原業平らとともにしばしば詩歌・管弦を楽しまれたと言われ、公が太宰府へ左遷された折、立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と歌を詠んで名残を惜しんだご縁で創立されたと伝わる。その後、戦乱で焼失するなど幾多の苦難を乗り越えつつ、皇室からも御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には「八条ヶ池」が築造されるなど春のきりしまつつじが愛でられる現在の姿へと発展を遂げてきた。
現在の本殿は、昭和16年(1941年)に平安神宮旧御本殿が移築されたもので、平安神宮創建当初の姿が今日まで残されていることも評価され京都府の指定文化財に指定されている。
現在、令和9年に迎える御神忌千百二十五年半萬燈祭に向けて、本殿の檜皮葺屋根の全面葺替えが50年ぶりに行われているとのことで、一般公開を前にその作業現場を見学させていただいた。
足場などですっぽりと覆われた本殿の屋根間近までのぼる。現在は、老朽化した屋根は撤去をされ、支える柱や骨組みは使えるものは活かしながら補修、その上に一枚一枚檜皮を葺く作業が行われている。まず、こんなに近くで見る機会はないだろう。状態がよく残された檜皮を間近で見ると、その質感に圧倒される。
職人さんが横に一列に並びながら、水で湿らせた檜の皮を丹念に重ねていく。少しずつずらしながら丁寧に。口に含んだ竹釘を器用に吹き出し、手際よく檜皮に打ち付けていく。その繰り返し。単純な作業のように見えるが、途方もなく感じられるほどの丁寧な作業の積み重ねこそが、あの人を圧倒する檜皮葺きの迫力を醸し出すのだ。まさに職人技。
檜皮葺きの技術は飛鳥時代から用いられており、多くの伝統的建造物でも採用されている。日本固有の技術で国外には同様の技術は見あたらないそうだが、その技術の承継が大きな課題となっている。そのため、今回のような文化財の保存修理は貴重な機会となるはずだ。
今年度中には完成する予定だそうだ。出来上がった美しい屋根を心待ちにしている。

長岡天満宮本殿屋根 修理のようす


5月16日 巨星、墜つ
「トランプ氏は間違いなく米国のソフトパワーにダメージを与えた」「米国の後退で生まれる空白を埋めることで、中国の影響力が増していくことになるだろう」
つい先日のインタビューでも、国際政治の現状に対し深い憂慮を示されていたところだったのに。(2025年5月4日 日本経済新聞)
連休明け、国際政治学者のジョセフ・ナイ米ハーバード大名誉教授の訃報が届いた。
ナイ氏は学者としてだけではなく、クリントン政権で国防次官補を務めるなど実務家としても活躍。知日派の論客で、1990年代に冷戦の終結を契機とした在アジア米軍の縮小論が出た際にも、力の空白が紛争の危険性を高めると指摘し、在東アジア米軍10万人体制を維持する「ナイ・イニシアチブ」を提唱し、日米同盟やアジアの安定に大きな貢献を果たす。
また、国際社会における「ソフトパワー」という概念を生み出したことでも有名だ。
パワー(権力)とは、他者を自分の望むように動かす能力であり、威嚇による強制、金銭的な報酬、魅力の3種類がある。ソフトパワーとは、他者を魅了することによって動かす力で、その国が持つ文化や、国内社会の状況、政治政策・外交方針などで構成され、軍事力など以上に外交でも大きな力を発揮するとし、その重要性を主張した。
紛争を解決する手段として武力の行使(ハードパワー)が頻発し、自国優先主義の横行、権威主義の台頭など、ソフトパワーとはまったく相いれない方向に世界が進み続けているこの時代に、一人の大きな知性と良心を失ったことは残念でならない。
冒頭のインタビューでは、それでも不安定化する国際社会の中での日米関係の重要性は不変であると説いた。せめてその遺志を受け継いでいくことが巨星への弔いとなるにちがいない。


5月9日 気候変動を身近に感じながら
今年のゴールデンウィーク、皆さんいかがお過ごしだったろう?
当方は公務の合間を見つけて、子どもの野球の応援に行ったり、地元・小倉神社の春祭りの諸行事やお神輿巡行など楽しく過ごしたのだが、全体的に例年と比べ寒かったように感じるのは気のせいだろうか。
GWが明けて仕事再開の朝も、最終日の雨の影響もあってだろうか、とても肌寒い日になった。例年、今頃には職場ではクールビズが始まり、連休中の衣替えを経てスーツも秋冬物から夏物へと切り替える時期なのだが。通勤中の電車の中では、薄手のコートを身に着けておられる方もちらほら。
やはり気候変動の影響の現れか、と言えば考え過ぎだろうか。
朝日新聞の記事によれば、世界の9割近い人々が地球温暖化対策の強化を望んでいるという調査結果が出たそうだ(以下、2025年5月7日朝日新聞・朝刊から)。
国連開発計画(UNDP)と英オックスフォード大学が77か国7.3万人を対象とした調査では約80%が、独ライプニッツ金融研究所とボン大学が125か国13万人を対象とした調査では約89%が、自国政府に対して気候変動への対策の強化を求めるよう回答した。一方、自分以外の人々が対策に前向きかどうかとの設問に対して、他人は後ろ向きだとの「思い込み」がある傾向がほとんどの国で示され、こうした認識のギャップが実際の行動を抑え込んでいる可能性があると考えられる。
ドイツの調査では、日本でもさらなる気候変動対策を求めると答えた人の割合は85.7%と高い結果が出ているものの、「自分一人ではどうにもできない」との「無力感」に加えて、気候変動対策は「生活の質を脅かす」と考える人が半数を超え、「負担感」もまた行動への阻害要因になっているのではないかと、総合地球環境学研究所の木原浩貴准教授は同記事の中で指摘している。
この春は、長岡京市の特産でもあるタケノコがかなりの不作だと多くの農家の方々からお聞きをしている。昨年の少雨の傾向と、春先の低気温、シナチクノメイガという蛾の発生による笹枯れなど、原因を一つに特定することは難しいかもしれないが、ここでもまた気候変動の影響がうかがえる。
私たちの日々の暮らしの中でも気候変動の影響が見て取れるようになったいま、世界中の多くの人が気候変動対策をのぞんでいるという事実が認識されたことはこれからの対策への追い風だと言える。私たちは決して無力ではない。


4月25日 多様性を感じる機会に~大阪関西万博開幕
先日、西代里山公園・西山ホタルの家で開催された『これからの里山を考える―超学際的アプローチの試み』と題した講演会を拝聴した。
長岡京市里山再生市民フォーラムの主催で、西山森林整備推進協議会の会長としても大変お世話になっている徳地直子京都大学教授が上記のテーマで登壇された。
里山に人の手が入らなくなったことで生物の多様性を生み出し、多くの恩恵を生み出してきた数々の機能が失われつつある。そんな現状への危機感から、この間、専門分野を超えた学際的な研究がすすみ里山をめぐる様々なデータが蓄積されつつあるそうだ。今後、こうしたデータに基づきながら生態系の管理を社会としてどう行っていくか、すなわちシチズンサイエンスの実践が求められている。講演会ではそうした問題提起がなされた。
講演の中でとても面白く感じたのが、里山自体の多様性が高ければ高いほど、そのシステムの安定性が高くなるということが各種データから裏付けられたということだ。樹種や生息する生物の多様性こそが、里山から供給される財の生産性の面からも、ダメージに対する冗長性・リダンダンシーの面からも、非常に有効に機能するそうだ。
このことはまさに、組織にとっても社会のあり方にとっても示唆に富むのではないか。講演をお聴きしながらそんなことを考えた。
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとした『EXPO2025 大阪関西万博』がいよいよ開幕した。
23日、私もEXPO KYOTO MEETINGの開催に合わせて会場を訪れた。
曇り空のということもあったのかもしれないが、報道されているほどの混雑を感じる場面もあまりなく(もちろん人気のパビリオンは行列があったのだが…)、快適に楽しみながら京都府や本市に関連する企業の出展されているブースやパビリオンを見学させていただくことができた。
限られた時間の中、とても広大な会場を駆け足で回ったのだが、何より感じたのは、世界はまだまだ知らないことで溢れていて、世界はとても豊かで多様だということ。いや、逆かもしれない。多様だからこそ豊かなのだろう。これが万国博覧会ゆえの醍醐味であり楽しみに違いない。
そんな中、平日ということもあったのだろう、会場内ではたくさんの子どもたちが楽しむ姿を見ることができた。
多様性を大切にする入り口は、「違い」や「異なり」を知って感じることだと思う。
そして、世界各国から人々が集う万博はそんな「違い」や「異なり」を身近に肌で感じることができる絶好の機会に違いない。
多様性の大切さを十分に体感した子どもたちが担う未来は、きっと強靭で持続可能なものになるはずだ。そう期待している。
大阪関西万博の大屋根リング前にて


4月18日 自治体の思いを届けるために
16日に開催された京都府市長会の春季定例会において、会長の大役を拝命することとなった。
府内15市の市長で構成される京都府市長会。これまで会長職を務められた多くの先輩方の姿を後ろの方から頼もしく拝見してきた。その背中ははるか先にあるものとばかり思っていたのだが、いよいよ自分自身がその任を担うこととなる。
2年の任期の間、与えられた職責を、微力ながら誠心誠意、全力で務めていきたいと思う。
先行きの見通しにくい時代である。
国際情勢や世界経済の動向もさることながら、私たち自治体に大きな影響を及ぼす我が国の政治状況も混とんとしているのが実情だ。
昨秋以降、今年度予算の決定プロセスを客観的に見ていても、政権与党が衆院で過半数を得られない状況の下、各政党間の交渉や協議の結果、所得税控除をめぐる税制の変更や高校授業料や学校給食の無償化など大きな政策の決定が目まぐるしくなされる事態が生じている。
この状況を、私自身はボトムアップ型からトップダウン型へと政策決定のあり方が変わりつつあるのではないかと捉えている。
これまで、基本的に政権与党内の議論や省庁における行政面での検討が積み重ねられたうえで政策決定がなされるのが一般的なケースであった。
一方、この間、予算を成立させるために各政党間で交渉・協議がなされた結果、政策の方向性や大枠が先に決まり、制度設計や行政実務の観点からの検討など具体的な話はこれからというケースが多いように見受けられる。
必然、自治体にとって、影響が大きなことは予想されるものの、先行きを見通すことも具体的な検討を行うことすら難しい。ボトムアップ型の決定の際には行われていたであろう、自治体の現場の実情・実態、考え方や思いが決定に反映されるチャネルが入り込む余地は少ないものとなる。自治体の不安の種はこんなところにあるのではないだろうか。
だからこそ、市長会の役割は重要になる。
このような政治情勢の変化の中においても、政策の実施の多くを担うのは地方自治体だ。
地方の思いを国政に届けていくためにも、市長会の結束した行動が必要となる。そのために、汗をかいていきたい。そう決意している。
令和7年度京都府市長会春季定例会のようす


4月11日 長い箸
仏教の寓話に「長い箸」がある。
地獄の食堂も極楽の食堂も混みあっている。机の上にはそれぞれたくさんのご馳走がところせましと並んでいる。さあ、食べようと思うものの、困ったことに手もとには、とてもとても長い箸しかない。もちろん、手で食べるのはNG。さてさて、どうするか?
地獄の食堂の風景を覗いてみよう。
みんながわれ先に食べようとするも、あまりに箸が長いので自分の口に食べ物を運べない。挙句の果てには、箸の先がとなりの人を突いてしまったり、互いに肘がぶつかり合って、あちこちで喧嘩が起こっている。
一方、極楽の食堂では。
みんなが美味しそうに食事を楽しんでいる。
そう。長い箸で料理をつまみ、向かい合うもの同士が、お互いに相手の口に食べ物を運んでいる。とても満足そうな笑顔あふれる風景がそこにはあった。
自分のことしか考えない人間が集まった社会では、奪い合いの結果、誰も利益を享受することができない。人は一人では生きていけないということをみんなでよく理解し、互いに協力し分かち合うことができる社会こそ多くの恩恵を受けることができる。そんなメッセージがこの寓話には込められている。
米国のトランプ大統領が、全世界を対象にした相互関税の導入を発表した。各国に一律10%の関税を課したうえで、国・地域ごとに異なる税率を上乗せするという。戦後、構築されてきた自由貿易体制の大きな転換点となることは間違いない。
各国が得意とする物品を生産し、必要とする国に供給する方が効率的で経済成長につながるとする経済学の「比較優位」の考え方はもちろん、保護主義による世界の分断が第二次世界大戦を引き起こしたことへの反省から、国際社会では自由貿易のルール作りが進められてきた。それはまさに、互いに協力し合うことで生まれた利益を分かち合うという思想に他ならない。
結果、世界経済は大きく成長したし、その果実を最大限に得てきたのは米国のはずなのだが…。
すでに、株価など世界経済は大きく動揺し始めている。
「自国」第一主義を唱える彼の御仁に先ほどの寓話は届かないものか。この道が「地獄」へつながる道でないことを願っている。


4月4日 考え続ける力
春は別れの季節であり、出会いの季節でもある。
今年は3月31日に22名の方が市職員として一つの区切りを付けられ、翌4月1日には24名の方々を市役所の新しい仲間としてお迎えした。
これまで市政の推進にご尽力いただいてきた皆さんのご労苦に心より感謝と敬意を表すとともに、引き継いだバトンをしっかり受け止め、新たな仲間とともに歩んでいきたいと思う。
今年度のスタートにあたり、新入職員をはじめすべての職員の皆さんにお伝えしたのは「考え続ける力」の大切さだ。
VUCAという言葉で表されるように私たちが生きる現代は、揺れ動きやすく、曖昧、不確実で複雑な先行きを見通しにくい時代だ。行政課題も複雑化・多様化しており、一つの決断をめぐり価値が対立することもあれば、新たな課題を生み出すこともある。絶対的な正解がある課題などほとんど無いと言ってよい。
一方、私たちはインターネットやSNSを通じて多くの情報へのアクセスが容易になったし、AIやアルゴリズムによって答えらしきものに極めて簡単にたどり着けるようになった。もちろん効率性という観点からは、こうした新たな技術が否定されるものでは決してない。
そこで求められるのが、簡単に答えに飛びつかないこと、下した決定や現状を批判的に検証すること、答えの出ない問題に対しても挑み続けることだ。答えや結論のない状態、不確実な状況を受け入れ、継続して向き合い続けることは、思いのほか苦しく、そう容易いことではない。だとしても、考え続け、考え抜いた先に、自分たちで答えや正解を導き出さねばならない。
この「考え続ける」プロセスこそが、私の言う「対話」に他ならない。
本年度もまた、そんな「対話」を通じて考え続ける一年にしていきたい。

市役所令和7年度入所式のようす
