戦時中の年表
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戦時に関する年表を掲載しています(〇の部分は長岡京市に関連するもの)
年 | 月 | 内容 |
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1889年(明治22年) | 4月 | 〇長岡京市域の14の村が新神足村、海印寺村、乙訓村の3カ村になる |
1894年(明治27年) | 8月 | 清国に宣戦布告 日清戦争が勃発 |
1895年(明治28年) | 4月 | 日清講和条約調印 |
1900年(明治33年) | 3月 | 〇神足区で軍隊接遇規約が定められる |
1901年(明治34年) | 2月 | 婦人の軍事援護事業を目的に愛国婦人会が創立 |
1902年(明治35年) | 1月 | 日英同盟協約調印 |
1904年(明治37年) | 2月 | ロシアに宣戦布告 日露戦争が勃発 |
1905年(明治38年) | 9月 | 日露講和条約調印 |
1908年(明治41年) | 〇乙訓郡報徳会創立 | |
1910年(明治43年) | 8月 | 韓国併合に関する条約調印 |
1910年(明治43年) | 陸軍省の指示のもと在郷軍人の組織化を目的として帝国在郷軍人会が組織される | |
1914年(大正3年) | 7月 | オーストリアがセルビアに宣戦布告 第一次世界大戦勃発(日本も参戦) |
1918年(大正7年) | 11月 | 第一次世界大戦終結 |
1919年(大正8年) | パリ講和会議 | |
1920年(大正9年) | 1月 | 国際連盟発足 日本も加盟 |
1923年(大正12年) | 〇長法寺小学校で奉安殿が建立 | |
1928年(昭和3年) | 〇神足小学校で奉安殿建立 | |
1931年(昭和6年) | 9月 | 関東軍が柳条湖の満鉄線路を爆破し、満州事変がはじまる |
1932年(昭和7年) | 3月 | 満州国の建国を宣言 |
5月 | 五・一五事件がおこる 海軍青年将校らが犬養毅首相を射殺 | |
1933年(昭和8年) | 3月 | 連盟事務総長に日本の国際連盟脱退を通達 |
5月 | 関東軍と中国軍の間で塘沽停戦協定が成立 | |
1934年(昭和9年) | 7月 | 〇新神足村国防婦人会が設立される |
1935年(昭和10年) | 4月 | 青年学校令が公布される |
7月 | 〇新神足村実業補習学校を実業青年学校に変更することを申請する 〇乙訓村・海印寺村学校組合実業補習学校を楽進実業青年学校に変更することを申請する | |
8月 | 〇乙訓郡向日町外9カ村学校組合女子実業補習学校が、同組合乙訓女子青年学校と改称する | |
1936年(昭和11年) | 2月 | 二・二六事件がおこる 陸軍青年将校が挙兵し、髙橋是清蔵相らを殺害 |
7月 | 〇凱旋兵歓迎の奉告祭と祝賀会開催が計画される | |
1937年(昭和12年) | 7月 | 盧溝橋で日中両軍が衝突 日中戦争がはじまる |
10月 | 国民精神総動員運動はじまる 節約、貯蓄など国民の戦争協力を推進 | |
1938年(昭和13年) | 4月 | 国家総動員法が公布される |
1939年(昭和14年) | 4月 | 青年学校が義務制となる 〇乙訓郡自治研究会臨時町村長会で尚武会を解散し、銃後奉公会に編成替えすることを決定する |
7月 | 国民徴用令が公布される | |
9月 | ドイツ軍がポーランド進撃を開始 第二次世界大戦がはじまる | |
1940年(昭和15年) | 9月 | 日本軍が北部仏印(フランス領インドシナ)に進駐する |
9月 | 日独伊(日本・ドイツ・イタリア)三国同盟が成立する | |
10月 | 大政翼賛会が結成される | |
〇新神足村で防空演習が行われる | ||
1941年(昭和16年) | 3月 | 国民学校令が公布される 小学校が国民学校と改称される |
4月 | 日ソ中立条約が調印される | |
7月 | 日本軍が南部仏印に進駐する 〇乙訓村長が各部落会長に「英霊」の出迎えについて通知する | |
11月 | 国民勤労報告協力令が公布される 〇乙訓村の軍人遺家族農家に対し、外部より計約220名の勤労奉仕隊が派遣される | |
12月 |
日本軍がハワイの真珠湾を攻撃、太平洋戦争がはじまる 〇大政翼賛会乙訓郡支部が必勝国民大会への多数参加を依頼する | |
1942年(昭和17年) | 4月 | 第21回総選挙(翼賛選挙)が行われる 当選者のうち、推薦候補が381名、非推薦候補が85名 |
6月 | ミッドウェー海戦で日本軍が敗北 この後、戦局は日本不利となっていく | |
1943年(昭和18年) | 2月 |
日本軍がガダルカナル島からの撤退を開始する 〇新神足村で全村民が長岡天神に戦争完遂祈願をすることが報じられる(京都新聞) |
5月 | 〇乙訓村が光明寺にある忠魂碑前にて村内戦死者の入魂式を行う | |
9月 | イタリアが無条件降伏する | |
12月 | 学徒出陣がはじまる | |
1944年(昭和19年) | 6月 |
マリアナ沖海戦で日本軍が敗北し、空母・航空機の大半を失う 〇乙訓郡の町村長が生活必需衣料品配給所の指定を陳情する |
7月 | サイパン島が陥落する 守備隊3万人玉砕、住民1万人死亡 これ以後、本土空襲が激化する 〇乙訓村の竹やぶが切り開かれ、さつまいも類を栽培するなど食糧増産の状況が報じられる | |
1945年(昭和20年) | 3月 | 東京・大阪・名古屋などの都市に大規模な空襲 |
4月 | 米軍が沖縄本島に上陸する | |
5月 | ドイツが無条件降伏する 〇乙訓村国民義勇隊が組織される | |
7月 | 〇山城南部地区に空襲があり、新神足村の工場が襲撃される この空襲で1名が死亡し、5名が軽傷を受ける(7月19日 神足空襲) | |
8月 |
広島に原爆が投下される(6日) ソ連が日本に宣戦を布告する(8日) 長崎に原爆が投下される(9日) 天皇による終戦の詔勅が放送される(15日) |