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長岡京市の歴史年表

[2021年5月6日]

ID:733

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長岡京市の歴史年表

長岡京市は、豊かな水と緑に恵まれた良好な環境と大都市を結ぶ交通の利便性により発展してきたまちです。

古くは旧石器時代から人々が生活を営んだことがわかっており、特に784年に「長岡京」という当時のわが国の都が置かれた地として、全国的に知られています。 また、市内には史跡乙訓古墳群を構成する首長墓や、勝龍寺城などの城館跡、乙訓寺・長岡天満宮といった寺社など、数多くの文化遺産が存在し、現代に至るまで豊かな歴史と文化を守り育んできました。

原始・古代(旧石器時代~平安時代)

年表(原始・古代)
年代事項
【後期旧石器時代(約2万年前)】 
 西山の麓で人々の生活が始まる
 今里遺跡、硲(はざま)遺跡などの市内各所でナイフ形石器がつくられる
【縄文時代】 
草創期東代遺跡、下海印寺遺跡などで有舌尖頭器がつくられる
早期上里遺跡、伊賀寺遺跡、硲遺跡などで異形局部磨製石器がつくられる
前期南栗ヶ塚遺跡で集落が営まれる
中期下海印寺遺跡、伊賀寺遺跡などで集落が営まれる
後期伊賀寺遺跡で平玉などの石器がつくられる
晩期今里遺跡、開田城ノ内遺跡などで土器棺による埋葬が行われる
晩期雲宮遺跡で北陸系の土偶がつくられる
【弥生時代】  
前期雲宮遺跡に稲作が伝わり、環濠集落が営まれる、また青銅器の製作も開始
中期神足遺跡では環濠集落と方形周溝墓群が営まれる
中期神足遺跡、硲遺跡で石剣、玉類などの石製品がつくられる
後期長法寺遺跡、開田城ノ内遺跡などで環濠集落が営まれる
後期高地性集落が谷山遺跡で営まれる
【古墳時代】  
前期長法寺南原古墳などがつくられる
中期恵解山古墳、宇津久志(うつくし)古墳などがつくられる
後期継体天皇が筒城宮から弟国宮に遷る (西暦518年3月)
後期継体天皇が弟国宮から磐余玉穂宮に遷る (西暦526年9月)
後期井ノ内稲荷塚古墳、井ノ内車塚古墳、長法寺七ツ塚古墳群などがつくられる
【飛鳥時代】  
前半今里大塚古墳がつくられる
後半乙訓寺がつくられる
後半「弟国評鞆岡三・・」と記された木簡が藤原京へ送られる
後半この頃、鞆岡廃寺がつくられる
大宝 2(702)7月、乙訓坐火雷神が大幣・月次幣の例に入る
【奈良時代】 
 土器の底に「弟国」と墨書される(上里遺跡)
 更ノ町(ふけのまち)遺跡で、天皇家の領地である「乙訓園」が営まれる
【平安時代】 
延暦 3(784)11月11日、桓武天皇が長岡京に遷る(長岡京遷都)
延暦 4(785)9月、藤原種継射殺事件が起こり、早良親王が乙訓寺に幽閉される
延暦13(794)10月22日、桓武天皇が新京(平安京)へ遷り、28日、遷都の詔がでる
弘仁 2(811)10月、空海が乙訓寺の別当として、高雄山寺から乙訓寺に入る
嘉祥 4(851)3月、乙訓郡木於山峰の海印三昧寺が定額寺となる
斉衡元(854)10月17日、神足神社が官社となる
寛仁 3(1019)12月、藤原実資が山城国神足園などを僧良円に与える
仁平元(1151)6月、藤原頼長の春日社詣の雑役を負担する荘園の中に「鞆岡」の名がみえる
仁安 2(1167)3月、別当勝慶が海印寺を祈祷所として藤原基房家に寄進する

中世(鎌倉時代~戦国時代)

年表(中世)
年代事項
【鎌倉時代】 
安貞 2(1228)正月、法然の遺体を粟生野で荼毘に付し、そのあとに墓堂を建てる(光明寺)
天福元(1233)12月、故土御門上皇の供養のため、金原御堂が建てられる
元応元(1319)5月、勝龍寺の梵鐘が造られる
【室町時代】 
暦応元(1338)10月、神足信友が足利直義の石清水八幡宮の参詣に随従する
康永 3(1344)10月、御成敗式目写の紙背に結縁交名が書かれ、寂照院仁王像の像内に納められる
長禄 2(1458)閏正月、将軍足利義政の八幡社参のため、上久世・下久世から人夫を勝龍寺に派遣するよう、守護方より命令がある
文明 2(1470)2月、西軍畠山義就が勝龍寺を陣城とし、4月、義就方が勝龍寺の鐘を合図としてつくよう、東寺に要請する
文明 3(1471)2~7月、善峰の麓や粟生、勝龍寺で合戦が行われる
永正元(1504)9月6日、西岡衆が薬師寺元一に応じたため、細川政元が淀城及び神足城を攻める
永正 2(1505)10月、九条政基が小塩荘に下向し、在荘日記を記す、政基が滞在した城の指図が作成される
大永 2(1522)小塩荘帳が作成され、市内の多くの地名も記される
大永 5(1525)8月、海印寺観音・不動などの霊験が都にまで知られる
天文23(1554)6月、三好長慶が今井用水をめぐる今里と上植野の争いに裁許状を下す
永禄11(1568)9月、織田信長・足利義昭が上洛し、勝龍寺城で合戦がある
元亀 2(1571)10月、細川藤孝が桂川以西から人夫を徴発し、勝龍寺城を普請する
元亀 4(1573)7月10日、織田信長が細川藤孝の忠節を賞し、桂川から西の地一帯の領有を認める このころ細川藤孝(のちの幽斎)が姓を長岡に変える
天正 2(1574)6月、細川藤孝が、勝龍寺城殿主(天守)において、三条西実澄(実枝)より古今集切紙を伝授される
天正10(1582)6月13日、山崎の合戦で敗れた明智光秀、勝龍寺城に逃げ込み、夜中陰逃亡する
天正14(1586)4月、羽柴秀吉により、勝龍寺・神足など西岡内3000石が細川藤孝の所領とされる

近世(江戸時代)

年表(近世)
年代事項
【江戸時代】 
慶長10(1605)京都所司代板倉勝重が市内諸寺に上竹赦免状を出す
慶長19(1614)

7月、「立願山楊谷寺縁起」が書かれる、この頃、楊谷寺の復興がはじまる、10月、大坂冬の陣の頃、板倉勝重が井ノ内村・浄土谷村などに禁制を出す

寛永 6(1629)

八条宮智仁親王が古今伝授をうけた建物が境内に移築される(開田御茶屋)
寛永10(1633)3月、永井直清に山城国長岡の勝龍寺など2万石が与えられ、神足に館をかまえる
寛永15(1638)開田天神(長岡天満宮)境内の東にため池(現在の八条ヶ池)が開かれる。
慶安 2(1649)7月、永井直清が高槻へ転封を命じられ、9月、入城する
元禄 6(1693)6~8月、隆光が京都文殊院屋敷を乙訓寺の替え地として南禅寺に寄付し、乙訓寺の建立を願い出る、7年、桂昌院らから造営料が寄進され、8年、竣工(乙訓寺再興)
享保19(1734)11月、光明寺客殿より出火し、伽藍が焼失する
安永 5(1776)11月、長岡天満宮の大修造が始まる、天明元年(1781)、おおよそ終了する
元治元(1864)7月、禁門の変の直前に長州兵が粟生光明寺に進駐する、変直後、光明寺本尊などを非難させ、僧らは山奥で野宿する

慶応 3(1867)

12月、長州兵が粟生光明寺に着陣する
慶応 4(1868)1月20日、井ノ内村百姓で四条家に仕えていた石田帯刀が北陸征討に従軍し、京都を出発する

近代(明治~昭和初期)

年表(近代)
年代事項
【近代】 
明治 4(1871)2月、山城国内の宮・華族家領上知が命じられ、開田御茶屋がゆかりのある細川家に引き取られる
明治 5(1872)7月、長法寺校が創立される
明治 6(1873)9月、神足校が創立される
明治 9(1876)9月、大阪―京都間に鉄道が開通する、同月、神足村・古市村が合併し、神足村となる
明治22(1889)4月1日、市制町村制施行により旧村が合併し、新神足村、海印寺村、乙訓村の3ヶ村となる
大正11(1922)9月、郡設長岡運動場が完成し、10月、同運動場で府下山城8郡連合青年会競技大会が開かれる
昭和 3(1928)11月、新京阪鉄道京都西院―天神橋間が開通する(長岡天神駅の開設)
昭和 4(1929)9月、長岡グランド株式会社建設の競馬場が完成する(昭和34年に廃止)
昭和 6(1931)8月1日、省線に神足駅が開設される
昭和16(1941)産業道路(現国道171号線)が新設される
昭和20(1945)7月19日、山城南部地区に空襲があり、新神足村の工場が襲撃される。この空襲で1名が死亡し、5名が軽傷をうける

現代

年表(現代)
年代事項
【現代】 
昭和24(1949)10月1日、新神足村、海印寺村、乙訓村の旧三ヶ村が合併して長岡町となる

昭和30(1955)

1月、中山修一らにより「長岡京」の発掘調査が開始される
昭和36(1961)1月、長岡町役場庁舎が神足小字開キ(神足二丁目)から開田上新田(開田一丁目)に新築移転する
昭和38(1963)7月、名神高速道路の尼崎―栗東間が完成する
昭和47(1972)10月1日、市制施行により長岡京市となる
昭和56(1981)10月、恵解山古墳が国の史跡に指定される
昭和59(1984)11月11日、長岡京遷都1200年記念事業が行われ、18日には遷都1200年記念行列が催される
昭和63(1988)10月、第43回国民体育大会京都大会のバトミントン競技が行われる
平成 4(1992)4月、勝竜寺城公園が完成する、11月、第1回長岡京ガラシャ祭が開催される
平成 7(1995)9月、JR神足駅が長岡京駅と改称し、快速電車が平日終日停車となる
平成 7(1995)9月、中山修一記念館がオープンする
平成19(2007)9月1日、国登録有形文化財旧石田家住宅が「神足ふれあい町家」としてオープンする
平成25(2013)4月21日、京都縦貫自動車道が開通する
平成25(2013)12月21日、阪急西山天王山駅が開設される
平成26(2014)10月26日、恵解山古墳が史跡公園として開園する
平成28(2016)乙訓古墳群が国の史跡に指定される

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長岡京市教育部文化財保存活用課(図書館内)文化財保存活用担当

電話: 075-954-3557

ファクス: 075-954-8500

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