ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

「京の野菜 長岡京市のたけのこ」

  • ID:2043

「京たけのこと鍛冶文化」の他にもう一冊、本を紹介します。「京の野菜長岡京市のたけのこ」(昭和56年5月発行)です。近畿農政局京都統計情報出張所が編集、発行は京都農林統計協会でした。

孟宗竹(もうそうちく)が、宋の時代の中国から乙訓地方へ移植されたいくつかの説を、この本でも紹介しています。曹洞宗・永平寺を開いた道元禅師(1200年―1253年)が、宋から帰国するときに持ち帰り、長岡京市の寂照院に植えた、というのもその一つです。別に、応仁(1470年ごろ)のころに、宇治の黄檗山の僧が持ち帰ったともいいます。

いずれにしろ、最初は観賞用でしたが、江戸時代後半の天保、嘉永年間(1830―1850年)から食用になったと書いています

西山の丘陵地の一角、鞆(とも)岡は、古くから歌などに詠まれています。後白河法皇(1127―1192年)が編さんしたという今様歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には「此笹はいずこの笹ぞ舎人(とねり)等が腰にさがれる鞆岡の笹」とあります。枕草子には「岡は、船岡、かた岡。鞆岡はささの生ひたるがをかしきなり」という一節もみられます。

「むすび」で、長岡京市を含む乙訓地方のたけのこが、最高品質を誇る理由に触れています。まず、西山連峰のおかげで、北西の季節風が弱められ、孟宗竹の根元が揺れず、根痛みが少ない。たけのこ畑が傾斜地で水はけがよく、粘土質の土が孟宗竹に適している。京都、大阪の大消費地に近く、需要が安定している。このような要素が「京都式軟化栽培法」を発展させた、としています。

「長岡京市のたけのこ」の表紙の写真

「長岡京市のたけのこ」の表紙の写真

寂照院にある「日本孟宗竹発祥之地」の石碑の写真

寂照院にある「日本孟宗竹発祥之地」の石碑