ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

年貢の一種だった竹

  • ID:2035

江戸時代の「年貢」(税金)といえば、「米」が思い浮かびますが、乙訓一帯では、竹も年貢として幕府に納められていました。これを「上竹(あげたけ)」というそうです。市教育委員会生涯学習課文化財係が出している「ふるさとファイル―展示コーナーだより」第34号(平成20年4月)に紹介されています。
それによると、「幕府が管理する施設の修理等に使うため、毎年定められた規格の竹を納めなければなりませんでした」とあります。年貢だけでなく、商品としての竹材が流通していました。天明元年(1781)の史料では、京都西郊の37カ村に55軒の竹屋があり、嵯峨組、桂組など7組の組織があったといいます。
写真は、友岡村が、竹を年貢として納めたことを証明する「請取状(うけとりじょう)」です。6月に、長岡京市立図書館で展示されました。2行目に「一小竹四束」と書いてあります。中央の下に、名前が5人書かれ、それぞれの名前の下に判が押してありますが、これは、年貢を受け取った役人の名前です。

竹を年貢として納めたことを証明する請取状(うけとりじょう)

(写真撮影 平成20年6月4日)