中小路市長の雑感日記(30年度バックナンバー)
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30年度の雑感日記(ページ内リンク)
3月29日 退職される皆さんへ
いよいよ年度末。
桜の開花を待ち望みながら、一つの区切りに胸をなでおろしつつ、次年度への思いをはせる。
本日、長岡京市役所では退任式が行われ、定年退職を含む19名の職員の皆さんを送りだした。
今年は平成最後の退任式となる。
定年を迎える皆さんの多くは、昭和の時代に本市に奉職をされ、平成の時代と共に市職員としてその人生の歩みを進めて来られた。
経済的な停滞や未曾有の大災害を二度に渡り経験するなど混沌とした平成の時代。
本市においてもJR長岡京駅前再開発や第二外環状道路、阪急西山天王山駅の整備などの都市基盤が着実に進展するとともに、福祉や教育面においても制度や環境の充実が図ってこられた。
その結果、平成元年7.6万人だった本市人口も本年3月には8.1万人へと飛躍をとげることができた。
変化の激しい時代にあって、誠心誠意、職務にご尽力いただいた皆さんに改めて感謝を申し上げたいと思う。
今ある到達点をさらに高みへと進めていくこと。
それが、残された私たちに課せられた大きな使命だ。
市長として2期目。新たな年度にのぞむにあたり、決意を新たにする。
市役所退任式のようす
(3月29日市役所にて)
3月22日 卒業式を迎えて
先週15日には市内4つの市立中学校での卒業式、今週20日には市内10小学校での卒業式が行われた。
この季節になると、年度替わりという一つの節目を意識せざるを得ない。
4月からはまた新しいそれぞれの人生のドラマが始まる。
今年度は696名の中学生、768名の小学生が新しい世界へと巣立っていった。
私事ながら、その中の一人に我が長女もいる。
家で接する娘はまだまだ幼さを感じさせる部分も数多くあるのだが、卒業証書を受け取る姿に、小学校に入学したての姿を重ねると、たくましく成長してくれたものだと感謝の念があふれてくる。
小学校の卒業式では、大人への階段を一歩のぼる子ども達に、私の大好きな一篇の詩をおくった。
相田みつを 「受け身」
柔道の基本は受け身
受身とは ころぶ練習 まける練習
人の前にぶざまに恥をさらす稽古
受身が身につけば達人
まけることの尊さがわかるから
卒業生には新しいステージで、失敗を恐れず自分自身の将来の夢や目標に向かって挑戦をして欲しいと思う。
そして、失敗をしても前を向いて立ち上がるたくましさ、失敗をした人の痛みや苦しさを理解できる優しさを身につけた大人へと大きく成長することを期待したい。
そんな卒業生のこれからのチャレンジを応援する長岡京市でありたい。
長岡第五小学校 卒業式のようす
(3月20日長岡第五小学校にて)
3月15日 悪化する日韓関係
隣国、韓国との関係がかつてないほどに悪化している。
文在寅(ムン・ジェイン)政権の歴史認識や従軍慰安婦、元徴用工訴訟の判決をめぐる対立、自衛隊機へのレーダー照射、そして韓国国会議長による天皇陛下への謝罪を求める発言。
日韓双方のやり取りを見ても、関係の冷え込みは修復の難しい、いわば感情的といってもよいほどのレベルに達しており、お互い一歩も引くに引けない様相だ。
そんな中、日韓企業のトップが双方に集う「日韓経済人会議」の予定が延期されるとの記事に目が留まった。(日本経済新聞2019年3月11日付夕刊)
この会議は、1969年から毎年開催されている官民合同での会議。
今回は、当初予定の5月開催を、「昨今の厳しい両国外交関係に鑑み、今年後半に計画することとした」らしい。
韓国最高裁が日本企業に元徴用工への賠償を命じる判決を出したことが大きな要因のようだ。
両国それぞれの言い分に対する是非はともかく、日本政府として譲れない部分があることは明白ではあるし、なかなか政府レベルでの解決に向けた対話の糸口を見いだせないのが現状。
そんな中であるからこそ、政治とは異なるチャンネルでの対話が求められている。
とりわけ、経済分野での両国の結びつきは非常に強く、大国化する中国への対応が両国ともに求められることを考えれば、それぞれの経済的な利害は一致する部分が多いはずだ。
その意味でも、今回の延期は少し残念な気がする。
今年度の後半の開催に、大切な両国関係の改善への端緒を見出してもらうことを期待する。
3月8日 以心伝心
『以心伝心』。言葉によらず、互いの心から心に伝えること。
その英訳を調べてみると、「暗黙」を意味する「Tacit」を使い、「Tacit understanding(暗黙の理解)」となるそうだ。ある辞書では、「Telepathy(テレパシー)」とするものもある。
後者は、明らかにニュアンスが異なるし、前者にしても『以心伝心』という言葉を説明しているに過ぎず、日本語の『以心伝心』を直接的に意味する言葉は見当たりそうにない。
きっと、そこにはコミュニケーションをめぐる文化の違いが、彼我の間にはあるのだろう。
すべてを言葉として明示するのではなく、「空気を読む」「一を聞いて十を知る」というのは、日本人古来の美徳なのかもしれない。
2月22日。探査機「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」に見事着陸。生命誕生のなぞに迫る岩石などの採取にも成功。その瞬間の映像は感動的でもあった。
直径900mの「りゅうぐう」の半径3mの円内というピンポイントへの着陸を、およそ3億km離れた場所から行う。地球から出す指令が「はやぶさ2」に届くのは20分後。最終盤は自動運転プログラムに任せざるを得ない。
3億kmの距離を超える「はやぶさ2」と地球から見守るチームの間のコミュニケーションは、まさに「以心伝心」の為せる技に思える。
もちろん、「以心伝心」などという非科学的なものではなく、最先端の技術や過去からの知識の蓄積、綿密に積み重ねられた訓練などの賜物であることは言うまでもない。
しかし、今回の偉大なる成果について会見されているチームメンバーの言葉の端々には、「はやぶさ2」とメンバーの間に、単なる人間と機械の間を超えた信頼関係や愛情があるように感じてしまう。
「人類の手が新しい小さな星に届いた」
人類の大きな一歩を踏み出すことができたのは、「以心伝心」を美徳とする我が国だからこそ成し得たのかもしれない。
3月1日 一般質問を終えて
弥生3月に入った。ほんの少しだけ春の陽気を感じるこの頃。
最も、春の到来を感じさせるのは、目のむずがゆさと鼻のぐずつきなのだが。
さて、先週に引き続き、現在行われている3月定例会の話題。
27日、28日、二日間に渡る本会議・一般質問を終え、舞台は常任委員会での条例や補正予算案の審議に入っている。
市長としての2期目に入り、諸施策の展開を図っていることもあるだろう、今定例会でも19名の議員が一般質問に登壇された。
質問者が多いと、市長や理事者にとっては、その準備がなかなかに大変なわけではあるが、市政を進めていく上では、非常に有意義なことは言うまでもない。今回の一般質問で取り上げられた話題を抜粋してみても、今春に名称改正を行い新たなスタートを切る男女共同参画センタ―、ごみ減量に向けた指定ごみ袋制の導入、公共施設使用料金への消費税の反映、神足保育所の民営化、高齢者や障がい者へのごみ戸別収集への取組み、済生会京都府病院の移転に対する支援と医療提供体制の強化、新庁舎の建替え整備、中小企業振興条例(仮称)に向けた展開などなど、これだけ見ても幅広く、また、市民の生活に直結する多くの課題や施策について議論がなされた。
それぞれの課題については、市が示す方向性を後押しいただく主張もあるし、当然、反対をされる主張もある。基本的な考え方を質される場面もあれば、具体的な提案を頂く場面もある。
市民の皆さんにとっても、それぞれの政策・施策への賛否を含めた多様な意見があると思う。
そうした多様な考え方を、整理し議論の生産性を高めていくには、こうした本会議でのやり取りは一つの軸になり得る。その意味でも、本会議場(もちろんその他委員会等もあるが)でやり取りされる議論の積み重ねは、対話を大切にする市政の貴重な「公共財」だと思う。
傍聴以外にも、ネットでの中継もある。
是非、一度、ご覧をいただければと願う。
2月22日 3月定例会始まる
長岡京市議会3月定例会が開会した。
会期は3月22日までの30日間。およそ1ヶ月、2期目の任期最初の議論の場が始まる。
今定例会には、総額277億8,400万円の平成31年度一般会計予算案を提案した。対前年度比5.8億円増(2.1%)で、当初の一般会計総額としては過去最大となる。
今回の予算編成にあたっては、これまで議論を重ねてきた様々な「計画」を「実行」に移すことを念頭におきながら作業を進めてきた。
今回の選挙戦で掲げた公約や総合計画の実施計画事業を「実行」するという意味においては、大きな一歩を踏み出す予算編成ができたと自負をしている。
子育て支援医療の拡充や保育所サービスの向上、公的病院への移転整備支援や健康づくり、大河ドラマを契機としたプロモーション事業、ゴミの指定袋制導入に向けた関連経費など新たな展開を図る項目を盛り込むことができた。
歳入面では、堅調に推移する市税収入は約1.1%増の124億5,031万円を計上。地方交付税も来年度は33.1%増の26億1,400万円を見込む(臨時財政対策債については減)。
投資的経費については、中学校給食導入や新田保育所整備などが一段落してきたこともあり、対前年度比で2億あまり減少しているが、今後、市役所庁舎の整備や来年度から具体化を進める小学校の建替え事業を考えれば、それら事業に備えた財政運営が求められる。
来週、2月27日、28日には一般質問が予定をされている。
今回は19名の議員の皆さんが一般質問に登壇される。しっかり準備をし、有意義な議論をしたいと思う。
3月定例会開会のようす
(2月21日市役所にて)
2月15日 勇気を持つこと
「独創とは勇気である」
哲学者、梅原猛さんの言葉だ。
惜しまれつつお亡くなりになられ1ヶ月が経つ。あくなき好奇心と探究心で、古代史から文化まで幅広い知識と独創性で「梅原日本学」と言われる独自の分野を切り拓いて来られた。
国際日本文化研究センターの設立に奔走されるなど、京都におけるその存在感は特筆すべきものがある。
心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りしたい。
梅原さんの代表作と言えば、聖徳太子の怨恨を鎮めるために法隆寺が建立されたとする「隠された十字架 法隆寺論」や「水底の歌 柿本人麻麿論」などだが、いずれも既存の学説に挑む作品が多数ある。
秩序が重んじられる学会の中で堂々と自らの主張を貫かれた姿勢を象徴する言葉がまさに冒頭の言葉ではないかと思う。
また、出雲神話への疑問を呈した「神々の流竄(るざん)」での主張が、後の調査で誤りであると判明したのち、当時論争をした相手の方に自らの誤りを丁重に詫びられたという。そんな逸話を、NHKの追悼番組で知った。
学問や事実に対する氏の真摯な姿勢を表すエピソードではないかと思う。
今日、大企業や政府、自治体など組織のガバナンスをめぐる様々な問題が噴出をしている。
それらを見るにつけ、周りに流されず自らの主張をし続ける「勇気」、自らの誤りを率直に認める「勇気」が今こそ求められているのではないかと思う。
知の巨人の姿勢から学ぶべきものは多い。
2月8日 市庁舎整備~想像力と創造力を活かして
この間、追われた来年度の予算編成作業がひと段落したことは先週にも触れたが、この時期、来年度に向けた作業と同時に、今年度の成果を取りまとめる作業も平行して行わなければならない。
その一つが、現在進めている市役所庁舎の建替え事業の具体化だ。
基本構想、基本計画と進めてきた市庁舎整備。今年度は基本設計、来年度には詳細設計、そしていよいよ本格的な建設に着手をしていくスケジュールだ。
現在は、2期に分けた整備の中で、1期目庁舎(5階)と2期目庁舎(8階)の基本的な構造がまとまり、その中での各フロアのレイアウトや各部局の配置、公共施設の再編に伴う産業文化会館や保健センターの配置、新設する市民広場の概要などがまとまりつつある。これからパブリックコメントや3月議会において、市民や議会の皆さんのご意見をお聞きしながら最終案として決定する運びとなる。
一方、今回の庁舎整備はもちろん市役所で働く私たち職員にとっても大きな変化でもある。
その意味でも、庁舎整備の担当部署だけではなく職員すべてが「自分ごと」として考えて欲しいということをお願いしてきた。
その観点は二つある。
一つは、新庁舎のレイアウト等が具体化をする中で、日々庁舎を使う目線で市民にとっての利便性やサービスの向上につなげていくこと、そして、自分たちの使い勝手の良さや効率性の向上につながる仕様に仕上げていくことだ。
このプロセスでは「想像力」をたくましくして欲しいと思う。新しい庁舎で、市民や自分がどんな風に過ごすのか想像してみる力が試される。
そして、もう一つは、現在の仕事のやり方や内容を根本から考えてみるということ。今回の庁舎整備をきっかけとしながら、自らの業務の改善、効率化につなげることが必要だ。
この際、求められるのは「創造力」だ。既存のあり方に縛られず、新たな価値を生み出していかなければならない。
庁舎の整備はそう頻繁に行える事業ではない。
今だからこそ、「想像力」と「創造力」を最大限に発揮させてもらうことを願っている。
2月1日 今日から如月~そのひとコマ
気がつけば2月。慌ただしかった1月がはや過ぎ去った。
例年、1月は新年行事等に加え、来年度予算編成の作業に追われる。今年は、選挙もあったので、より短期間での予算編成作業となったが、それもひと段落。何とかまとめに入るところまできた。
一息つく中、今日は昨年12月に開局した86.2MHz「FMおとくに」の『リヴ☆ラジ』のゲストとしてお招きをいただいた。
『リヴ☆ラジ』は毎週金曜日12:00からの生放送。DJしもぐち☆雅充さんの軽快なトークがイオンモール桂川のサテライトスタジオからオンエアーされている。
今日はそのワンコーナー「おとくに数珠つなぎ」のゲストとして出演させていただいた。
「かしこ暮らしっく」や「SENSE NAGAOKAKYO」などシティプロモーション。
現在行っている「神社仏閣いいねフォトコンテスト」の告知も織り交ぜながらの、しもぐちさんとの楽しいトーク。
しもぐちさんとは世代も近いこともあって、若かりし頃の音楽やバンド談義に花が咲く。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
昨年末から始まった「FMおとくに」。
聞いて楽しんでもらうことも大切だが、そのためには、情報の出し手側が楽しむこと求められている。
そんな楽しい機会をいただいた関係者の皆さんに心から感謝申し上げたい。
今日から卯月。今月も張り切っていきましょう!
FMおとくに『リヴ☆ラジ』生出演のようす
(2月1日イオンモール京都桂川サテライトスタジオにて)
1月25日 雲は答えなかった
厚生労働省による勤労統計の不適切な調査をめぐる報道が連日なされている。
厚労省では、外国人人材の受入れをめぐる議論でも、その基礎となる調査の杜撰さが指摘をされた。また、障がい者の雇用率をめぐっても国の各省庁で水増しがなされるなど、政策形成や判断、議論の根幹を成す大前提への不信感が募る事態が相次いでいる。
先日、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督の『雲は答えなかった/是枝裕和/PHP文庫』というノンフィクションを読んだ。
1990年、厚労省から環境庁(いずれも当時)に出向していた一人の高級官僚が53歳という若さで自ら命を絶つ。
背景には、水俣病訴訟に取り組む国の方針と被害者の板挟みの中での苦悩があった。
当時、このことを駆け出しの是枝監督が取材・制作されたドキュメンタリー番組を題材に書籍化されたのがこの作品だ。
主人公の高級官僚の生い立ちから、社会福祉を志し厚生省に入省後、真摯に仕事に向き合ってきた一人の高級官僚が、組織の方針と自らの良心のはざ間で揺れ動き、次第に追い込まれていく様子が丁寧に描かれている。
国であれ、自治体であれ、公の奉仕者として仕事に携わる私たちにとっては必読の書ではないだろうか。
とりわけ、冒頭に取り上げた問題の関係者の皆さんにとっては。
1月18日 2期目市長就任に際して~対話の継続
本日、登庁式を迎え、市長2期目のスタートを切ることができました。
4年前、初めて市役所に登庁した時に、背負うべき責任の大きさへの不安を抱えての出発でした。
しかし、4年を経た今、私は大きな自信を持って本日を迎えることができました。
私に自信を与えてくれたのは、偏に、この4年間、多くの市民や職員の皆さんのご協力をいただき、市政を前に進めてくることができたこと、そして、この選挙戦を通じて、数多くの激励や励まし、そして、これからの市政への期待の声を頂いたからこそです。
そんなすべての方々に、心より感謝申し上げます。
今回、これまで進めてきた「定住の促進」「交流の拡大」「まちの新陳代謝」をベースに、
Ⅰ.安心で豊かな暮らしづくり
Ⅱ.次の世代へとつなぐ魅力づくり
Ⅲ.新しいまちのかたちづくり
Ⅳ.市民の期待を超える市役所づくり
という4つの柱、50項目の公約を掲げました。
これらを一つずつ実現し、市政を力強く前に進めていくことが、私に与えられた大きな使命です。
しかし一方、これらを具体化・具現化するにあたっては、これまでのように徹底した『対話』に基づく、市民、議会、職員の理解を得ながら進めていくことが欠かせません。
力強さとスピード感、そして丁寧さを兼ね備えた市政を推進し、これから始まる新しい時代を切り拓いていく。
その先頭に立つ覚悟をお伝えし、2期目の市長就任に際しての決意とさせていただきます。
中小路市長2期目の初登庁式のようす
(1月18日市役所前にて)
12月28日 雑感日記:区切りの最終稿
12月28日。仕事納め。平成最後の年越しを迎えようとしている。
今年の漢字に『災』という字が選ばれたように、災害の多い年となった。
本市においても、多くの被害が生じ、まさに復旧の道半ば。地震や台風の影響は大きく、中学校給食導入に向けた工事や新田保育所の移転事業でも遅れが生じることとなった。
来年は、穏やかな年であって欲しいと心から願う。
そして、年が明ければ、市長の任期4年間を終える。その意味では、小欄も今回が一つの区切りとなる。
平成27年4月から、週に一度の雑感日記を掲載し始め、今回で183回目となる。
市政に関する情報の発信はもとより、市長という仕事の日常から感じたこと、社会での出来事に対する受け止めなど、週に一度、頭の中を整理するには良い機会でもあった。全体として、とりとめのない話題になったかもしれないが、まちかどで「いいこと書いてたね」などと感想をいただいたことは大変大きな励みとなった。
わが町の「市長」が何を考えているのか。それを少しでもお伝えできる一助になったとすれば幸いだ。
この原稿を書きながら、いくつかのバックナンバーを読み直している。
4年、良いことも悪いことも、嬉しかったこともつらかったことも、多くのことがあった。
そして同時に、多くのことを実現し、市政を前に進めることができた4年でもあったと改めて確信をする。
それら市政を前に進めてこられたのも、すべて市の職員の努力と協力があってのことだと思う。
本稿の最後にあたり、心より感謝を申し上げ、筆を置きたい。ありがとうございました。
12月21日 12月定例会を終えて
フーッと大きく息を吐く。「ホッと」するというのはこういうことなのだろう。
12月19日、長岡京市議会12月定例会が閉会をした。提案したすべての議案を承認または可決・成立いただくことができた。
そして、これが任期4年間、最後の定例会ということになる。
閉会日の本会議場で、討論や採決が行われている様子を見ながら色んなことを思い返す。
そして、最後に一言、議員の皆さんにお礼のご挨拶をし、議長から丁重なる謝辞をいただく。
4年間、結果としてすべての議案の提案に賛同をいただき、市政を滞らせることなく前に進められたことに、胸をなでおろす。
以前にも書いたかもしれないが、私は議場という言論の場において、市の考え方や進むべき方向性を提示し、それに対して議会の皆さんから多様なご意見をいただくことで、それぞれの課題の論点が市民に対して明確になっていくことが、二元代表制の本旨だと考えている。
その意味でも、大きな決断を行う際には、議場で明らかにしていくことを心掛けてきた。
そして、賛同も批判も含め多くの議員の方々と議論をしてくることができたと思う。
今回、一つの区切りを迎え、改めて、議員の方々に感謝を申し上げたい。
そして、また、皆さんと議論をしていきたいと願っている。
長岡京市議会12月定例会のようす
(12月19日長岡京市役所にて)
12月14日 FMおとくに86.2MHz スタート
12月2日。待望の『FMおとくに』の放送がスタートした。
周波数は86.2MHz。乙訓2市1町を中心に本市中央公民館のアンテナから発信される。
メインスタジオをJR長岡京駅前のバンビオ1番館1階に、サテライトスタジオをイオンモール桂川の3階イオンシネマ前に設置。それぞれが地域の情報発信拠点として賑わいを見せてくれることを期待している。
2日の開局式後、早速、私も生出演をさせていただいた。
今回の開局に向けては、長岡京市も応援をさせて頂いた。
コミュニティFMがその力を発揮するのは災害時だ。
これまで全国各地で発生した災害においても、他のメディア以上に地域に密着した情報を発信。その有用性は証明されている。
また、地域住民が情報の受け手、出し手として気軽に参加できる。地域の情報メディアとしての役割も期待できる。
これは行政にとっても利用可能性が高い。これまでの紙ベースでの広報やHPに加えて、新たな情報伝達手段を得ることになる。
いずれにしても、これら機能が十分に発揮されるには、FMおとくに86.2MHzを多くの方に聴いていただく習慣をつけてもらうことが欠かせない。
そのためにも、聴く側も、情報を出す側も楽しめる番組づくりが求められる。
最後に、今回の開局にあたっては一般社団法人『FMおとくに』に集う、多くの関係者の皆さんの並々ならぬ努力があった。心より感謝と敬意を申し上げたい。
スタートした『FMおとくに』。地域に頼られる社会インフラとして大いに発展されるよう、引き続き、ともに歩んでいきたいと思う。
FMおとくに開局のようす
(12月2日FMおとくにバンビオスタジオにて)
12月7日 12月定例会が開会~任期最後の議会に臨む
12月4日。長岡京市議会12月定例会が開会した。会期は19日までの16日間。
大阪北部地震や台風21号などによって生じた被害の復旧等のために専決処分を行った予算(第4号)の承認や年度末を見越した追加需要への対応、債務負担の予算化などを行う12月補正予算(第5号)などが主な議案となる。
この12月定例会は、私にとって頂戴した任期4年間での最後の定例会となる。
臨時議会を除けば、1年間で4回ある定例会を4年間、合計16定例会に臨んだこととなる。
そこで、議員の方々が行われる一般質問について少し調べてみた。
この16定例会の本会議で一般質問を行われた議員の方の総数は244名。1定例会あたり15.25人。
これを直前の4年間と比較すると、総数は202名。1定例会あたり12.625人となる。
単純な比較で恐縮ではあるが、この数字を見れば、議会の場において活発な議論を行うことができたのではないかと思う。
改めて、議員の皆さんに感謝を申し上げたいと思う。
確かに、質問者の数が増えるということは、私や理事者側にとっては大変なことも多いのは事実だが、市政を進めていく上では非常に意義あることだ。
それぞれの質問に対して答えをするということは、市政を運営するうえで判断を行うことに他ならない。これは、最終的には市長としての判断になるわけだが、決定に至る過程において市役所の関係部局との議論が生じる。結果、市役所という組織としての決定が行われ共有されていく。
質問者が多いということは、それだけそうした意思決定とそれを組織全体で共有する機会が多いということでもある。
この12月定例会でも15名の議員の方が一般質問に立たれる。
12月10日(月)、11日(火)の両日に行われる予定。しっかりと準備を進めたいと思う。
11月30日 無関心が生み出す世界
昨年、刊行された『R帝国/中村文則/中央公論新社/2017年』を読んだ。
舞台は近未来のR帝国という島国。物語は突如始まった隣国との戦争から始まる。
R帝国は「党」が支配する。人々の生活は、人工知能が搭載され感情を有するまでになったヒューマン・フォン(HP)に依存をし、監視カメラや集音装置を張りめぐらされた社会の中で、「党」による徹底した管理がなされている。
自衛のためという大義名分の下、多くの国民が支持する中で始まった戦争。しかし、何かおかしい。
そう感じた一人の会社員と唯一の野党議員の秘書が、秘密の抵抗組織「L」と共闘しながら物語は進んでいく。
もちろん空想のフィクションだ。
しかし、そこで起こる一つひとつの出来事、背景や解釈、そして登場人物の言葉や主張。
それらは、現在、日本を含む世界中で起こっている様々な事象と、どこかで水脈がつながっているように感じられる。
荒唐無稽に感じる物語で語られる言葉は、今という時代に対する筆者からのメッセージなのだ。
そんな社会を作りだしたのは、権力を持つ側が長けていたからではない。その根本にあるのは、国民の無関心に他ならない。そんな警鐘に聞こえる。
作中で「党」の幹部は言い放つ。
「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メートルの幸福なのだ。」
読後、最近、新聞で目にした元内閣総理大臣・宮澤喜一氏の言葉を思い出した。
『自由はある日突然なくなるものではない。
それは目立たない形で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われている。』
(朝日新聞10月24日「折々のことば」から)
今、私たちの周りで何が起こっているのか。目を凝らし関心を持たなければならない。
11月16日 ガラシャ祭2018
見上げれば、雲一つない青空。
11月11日、ガラシャ祭2018のクライマックス、行列巡行を、最高の秋晴れのもと、また、汗ばむほどの陽気にも恵まれ開催することができた。
楽市楽座の会場となった、勝龍寺会場、バンビオ広場、中央広場会場、関連イベントの開催された沼田丸やきりしま苑など、どの会場を回っても、多くの人出と多くの笑顔に出会うことができた。
「お天気になって良かったね。」
「最高の日になったね。」
自然と笑顔があふれ、温かいお声をかけていただけることが何よりもうれしい。
今年は、春にNHK大河ドラマ『麒麟がくる』が決定して、初めてのガラシャ祭。
主人公、明智光秀、その娘玉への注目も集まる中、近隣へのプロモーションの効果も相まってか、沿道も各会場も多くの人であふれ、盛大に開催することができた。
フィナーレをかざる勝竜寺城公園での婚礼の儀も同様、多くの方々の祝福に見守られ、厳粛な雰囲気の中で執り行われた。
今年の玉・忠興役を務めていただいた的場さんご夫婦も素敵な新婚カップルだ。結婚を機に、長岡京市に移り住んでいただいた、まさに「かしこ暮らしっく」なご夫婦。玉の素敵な笑顔と忠興のりりしさに会場はため息に包まれた。
こうして無事に終えたガラシャ祭2018。
この間、大変なご尽力をいただいた実行委員会の皆さん、市民、事業所・企業、各種団体の皆さんに、心より感謝を申し上げたい。
ガラシャ祭 婚礼の儀のようす
(11月11日勝竜寺城公園にて)
11月9日 応仁の乱と長岡京
11月3日から『ガラシャ祭2018』ガラシャ・ウィークが始まった。
今年は、クライマックスの行列巡行もお天気に恵まれそうで一安心。
そのガラシャ・ウィークのスタートを飾る歴史講演会が3日、バンビオ・メインホールで盛大に開催された。
今年は、国際日本文化研究センター助教の呉座勇一氏をお迎えし「応仁の乱と西岡」と題した講演をいただき、多くの歴史ファンが熱心に聞き入った。
「応仁の乱」は学校の歴史の授業でも必ず取り上げられ、その名を知らない人はほとんどない。
しかし一方で、「応仁の乱」とはどういう出来事か、となると説明に窮してしまう。
呉座先生は、様々な史料を通じて近年の研究で明らかになりつつある「応仁の乱」の実態を、同名の著書として著され、今年のベストセラーとなったことは記憶に新しい。
今回の講演では、将軍の家督争いとして生じたとされる「応仁の乱」の通説とは異なる史実を中心に、京都の市街戦として始まった乱が長期化するに伴い、その戦い舞台を京都近郊へと移っていったこと。そして、京都への物流の戦略拠点であった長岡京市を含む西岡地域が、東西両軍による争奪戦に巻き込まれていった様子をお話しいただいた。
久世、物集女(もずめ)、鶏冠井(かいで)、勝龍寺城。
出てくる地名はいずれも日頃から親しんでいるものばかり。私たちの暮らすこの地が、悠久の歴史の中の舞台になったことを改めて実感する。
素晴らしい秋晴れの中、歴史ロマンに思いをはせる楽しい時間となった。
ガラシャウィークイベント講演会「応仁の乱と西岡」のようす
(11月3日バンビオにて)
11月2日 防災の日
10月の最終日曜日は長岡京市『防災の日』。皆さんご存知だろうか?
ご存じないのも無理はなし。
昨年から始めたものだが、昨年は実際に台風が来たため中止。事実上、今年が初の実施となる。
長岡京市では、地域の防災力を向上するため、これまで10年に一度の開催だった校区単位での防災訓練を毎年開催に。さらに10小学校区同時での開催を目指し取り組みを進めている。
そして、10月28日。最高の秋晴れの天候の下、長岡第二中学校のグランドをお借りし、長三校区をメイン会場とし、市内9つの小学校で避難所の開設や運営に関する訓練をしていただいた。
今年は、6月の大阪北部地震や7月豪雨、9月の相次ぐ台風など災害の夏となった影響もあり、市民の関心も大変高く、結果、トータル2,300名を超える市民が訓練に参加していただくことができた。
中には、中学生への参加を働きかけたり、ペット同伴での避難訓練をされたり工夫を凝らす校区もあるなど、それぞれの会場で積極的に取り組んでいただいた。
メイン会場では、乙訓消防組合や土木協会による倒壊家屋からの救出訓練なども実施。
ただ、多くの方に期待をいただいていたドクターヘリによる搬送訓練については、当日、実際の救急要請が入ったため中止せざるを得なかったのは少し残念ではあった。
防災面では、市や行政機関にしかできないこともある。しかし一方で、住民の方々自身にしかできないこともある。それぞれの役割分担のもと、安心・安全な長岡京市づくりにともに取り組んでいきたい。
併せて、ご協力いただいた住民、各機関の皆さんに心から感謝申し上げたいと思う。
長岡京市『防災の日』防災訓練のようす
(10月28日長岡京市内にて)
10月26日 便利な時代
例えば、ふと目にした素敵なコラムで、とあるアーティストのとある曲が紹介されていたとしよう。
その文章に魅了されれば、当然、その曲を聴いてみたくなる。
そうなると、一昔前までは、レコード屋さんに走るか、レンタルショップで探すかするしかなかった。
そして、大概の場合は「後日に…」と思いながら、ほとんどが忘却の彼方へと消え去ってしまう。
しかし、現代では、曲のタイトルとアーティスト名を入力し検索するだけで、何かしらの音源に巡り合うことができる。ましてや、音楽の有料コンテンツならなおさらだ。
本当に便利な世の中になったものだとつくづく思う。
小説に出てくる美術館や絵画。歴史書をめくれば知らない地名や人物など。これまで知らないままで、読み飛ばしてきた情報。
今や、パパッと検索すれば、画像や映像、その背景から場所まで簡単に情報を得ることができる。
そして、再度、そこから読み込めば、知識がない時以上に深く文章を味わうことができる。
あまり博識ではない本の虫の私にとっては、たまらない時代になった。
確かに、ネットで検索しただけの情報だけで蓄えた知識というのは薄っぺらいものかもしれない。
しかし、小説や物語、歴史書や専門書、コラムなど一つのまとまった文章を核にしながら、検索情報を重ね合わせていくことで、より文章を立体的に深く掘り下げ、知識を深く定着させていくことができるし、心に残るものになるという相乗効果を果たせるのではないだろうか。
先ほど検索したエルトン・ジョンの曲を聴きながら、もう一度コラムに目を通す。
うん。いい文章だ。
10月19日 場所の時代
10月11日から12日にかけて新潟県・長岡市で開催された全国都市問題会議に参加した。
今回の訪問で楽しみにしていた一つが、シティホールプラザ「アオーレ長岡」を直接見ることだ。
「アオーレ長岡」は、JR長岡駅に直結し、市役所庁舎に加えシティホールなどの公共施設が入る複合施設。とりわけ、その中央に位置するオープンスペースは「まちの中土間(ナカドマ)」のコンセプトの下に配置されており、多くの市民が過ごすことのできるスペースとして賑わいを見せている。
近年、整備された公共施設の中でも全国的に注目を集めている。
今回の会議の中では、「アオーレ長岡」を設計された隈研吾氏の講演もあり印象的なものだった。
20世紀の時代、建築物は建築物そのものの特徴や奇抜さが競われた。それは、ある意味、周辺から切り離され、いかに目立つかということが求められた。
しかし、21世紀に入り、世界の潮流は、周辺環境との調和やつながりを大切するようになったそうだ。
そして、それは単に建築物という物理的な世界だけではなく、そこで動く人々の活動も含めた一体性を指す。
そのように聞き、改めて「アオーレ長岡」を眺めてみると、ナカドマに配置されたテーブルで、学生たちが勉強にいそしむ姿や仕事の打ち合わせをされている方々の姿など、「暮らす」ということとの一体性を感じさせる風景がそこにはあった。
本市においても、現在、市庁舎整備に向けて基本設計の真最中。
そんな「まち」と「施設」の関係性やつながりを大切にしたものを目指したいと思う。
シティホールプラザ アオーレ長岡のようす
(10月11日アオーレ長岡にて)
10月12日 安全・安心を考える
『安全・安心長岡京市子ども絵画展』の表彰式が行われた。
長岡京市少年補導委員会と向日町警察署、乙訓防犯協会が毎年実施をされており、今年で3年目を迎える。今回は、市内の小学生から431点もの応募があり年々増えつつある。
6日に行われた表彰式では、数多くの応募作品の中から、市長賞、議長賞、向日町警察署長賞、各団体の会長賞および佳作などの入賞者に賞状と記念品が贈られた。
「安全・安心」と聞けば、今年は自ずと自然災害が思い浮かぶ。大阪北部地震、7月豪雨、その後相次ぐ台風被害。北海道での地震もあった。
一方、今回の絵画展に出展された作品は、自転車事故防止や歩きスマホを止めようとの呼びかけなど交通安全にかかわるものや、特殊詐欺防止や戸締り、薬物防止など防犯面での啓発ポスターなどの力作が多い。
一口に「安全・安心」と言っても幅広いテーマが存在する。
しかし、自然災害と交通安全・防犯分野とでは大きな違いが存在する。
それは、自然災害のように避けられないものと、交通安全・防犯のように私たちの心がけ次第で避けられるものとの違いだ。
自然災害は避けられない。でも、交通事故や犯罪はなくすことができる。
今回の絵画展を通じて、多くの子どもたちがそのことに気づいてくれたのではないだろうか。
子どもたちから大人に向けて、そうした意識が広がることを願いたい。
安全・安心長岡京市子ども絵画展の表彰式の様子
(10月6日市役所にて)
10月5日 空き家対策スタート!
9月28日、長岡京市議会9月定例会が閉会をした。
今定例会で可決・成立したのが『長岡京市空き家対策の推進に関する条例』だ。
平成25年の住宅・土地統計調査によれば、本市の空き家率は9.8%で全国平均の13.5%と比較をしても現状ではそれほど高いものではない。
しかし、人口が急激に成長した時代からおよそ半世紀が経過をし、高齢化も進展する中では、今後、空き家の急激な増加が予想をされる。
そうした中、今回の条例においては、空き家(空き家予備軍を含め)の発生を事前に予防し、資産としての流通促進や有効活用を図ろうとすることに主眼を置いている。
また、空き家対策特別措置法を補完すべく「管理不全空き家」を指定することにより、緊急的な空き家の安全措置等を行うことができるように定めたことも一つの特徴だ。
条例制定を受け、10月に入り、空き家バンクを開設。所有者からの物件登録や、賃貸・購入等の希望者とのマッチングを図る。
同時に、京都府宅地建物取引業協会、全日本不動産協会京都府本部、京都司法書士会、京都府行政書士会、長岡京市商工会など専門家団体とも連携をし、活用に課題のある空き家の個別相談窓口となる行政プラットフォームもスタートをする。
こうした空き家対策の始動を広く市民に広報するために、今回、吉本興業の京都府住みます芸人の大道芸コンビ「モンブラン」の木下さんに空き家バンクの第1号登録者となっていただき、これからリアルタイムでの空き家物件探しも始まる。
いよいよ本格的な空き家対策のスタート。是非、市民の皆さんにも関心を持っていただきたく思う。
空き家行政プラットフォームのプレスリリースのようす
(10月1日市役所にて)
9月28日 雑誌に求められるもの
月刊誌「新潮45」が休刊することとなった。
10月号でのLGBTをめぐる企画記事への批判が高まりを受けてのことだ。
「新潮45」では、8月号での国会議員の投稿記事をめぐり様々な議論や批判が巻き起こっており、今回の企画記事はそれに対する反論的なものである。
新潮社の社長の言を借りれば、その記事の「ある部分に関しては、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」ということであり、深い反省を込めて休刊を決断したとのことだ。
発端となった8月号の記事から今回の記事まで、私自身も読んでみた。
その主張について、私はまったく理解できないし同意できる類のものではないと思う。社長の発言にあるように「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」も見受けられる。よって、これら記事の内容を擁護するつもりは全くない。
そう前提をおいたうえで。
日本の言論空間を形成する伝統ある雑誌が一つ失われたことは残念なことだと思う。
これまでから、雑誌とりわけ月刊誌というのは、テレビや週刊誌以上に、一つのテーマを深く掘り下げ、時には大きな波紋を起こすような記事や特集が掲載されてきた。時には反発や批判が出ることを承知の上で。
ポピュリズムや商業主義とは一線を画した気骨こそが、健全なジャーナリズムを支え、我が国の言論の自由を保障する礎であったのではないだろうか。
今回、掲載された記事の内容の是非はともかく、この記事を掲載した編集部に果たして、どれほどの気骨と覚悟があったのか。一連の経緯を見ている限りまったく感じられない。
かつて、英国のW.チャーチル元首相は、敵対する野党議員に対してこう述べている。
「あなたの主張は死んでも受け入れない。
しかし、あなたがそう主張する機会だけは死んでも守る。」
この精神こそが、民主主義の根幹を支える言論の自由を守る姿勢として必要なものだと思う。
日本の言論空間として、雑誌に求められる役割は大きいものだ。
「主張をする機会」を守るためには、主張する側の覚悟も求められる。その気概に期待したい。
9月21日 絶海の孤島~南硫黄島
見渡す限りの海原にそびえ立つ孤島。四方を断崖絶壁に囲まれたその島の威容は、外界とのつながりを拒絶する意思を明確に示しているかのようだ。
東京都小笠原村・南硫黄島。
東京の南およそ1,300kmに浮かぶ絶海の孤島。面積3.54㎢でありながら標高は約1,000mの火山島。
これまでからほとんど人が足を踏み入れたことはないと言う。
先日放映されたNHKスペシャル『秘島探検 東京ロストワールド』を観た。
前人未到の南硫黄島に各分野を代表する科学者や冒険家、潜水や山岳の専門家などが特別チームを組み調査を行ったドキュメンタリー。
島ができたのはおよそ3万年前。地球の歴史からすれば子どものような若い島。
人が近寄りがたかったが故に、手つかずの自然が残り、高低差から来る多様な気候条件の中、独自の進化を遂げた多くの生物が現存している。まさに進化をリアルタイムで検証できる実験場だそうだ。
私たちの好奇心をくすぐる素晴らしい番組だ。
私たちは子どものころから、日本の国土は狭く、その中で1.2億人の人々が暮らしていると教えられた。
確かに国土面積は37万8,000㎢で世界196か国中60番目。しかし、排他的経済水域を見ると世界第6位。非常に大きな国だ。
わが国には、まだまだ未知の地域がたくさんある。そして、それは我が国が持つ多様性を象徴している。
国を挙げて地方創生が叫ばれる中、そうした多様性ある国土という足下を見つめることから始めなければならないのかもしれない。
9月14日 平成という時代~1995年を境に
平成という時代が終わろうとしている。
そんな時期に差し掛かり、新聞紙面でも平成という時代を振り返る企画が掲載されている。
皆さんにとって、平成とはどんな時代であったろうか?
私にとっては平成7年、1995年というのが平成という時代を象徴する年だったと感じている。
「それまで」と「それから」を分かつ、大きなメルクマールの年であった。1月には、阪神淡路大震災が発生。その後、東日本大震災をはじめ様々な災害が起こることとなる。
3月には、オウム真理教による地下鉄サリン事件。平成の終わりに、教祖の死刑が執行されたことが、なおのことこの時代の象徴のように感じる。
そして、「Windows95」の発売を機としたインターネットの急速な普及と拡大。現在の暮らしを取り巻く環境は、ここを機に目まぐるしく変化をしてきたと言っても過言ではない。
冷戦の終結により米ロを基軸とした国際情勢が変化し、経済発展を遂げる中国が台頭。
バブル崩壊と長期に渡る日本経済の停滞。社会の閉塞感を感じさせる凶悪事件の数々。
気候変動と異常気象。技術革新。我が国で生産年齢人口が減少し始めたのも1995年だ。
まさに不透明さで覆い尽くされた不安の時代。それが一言でいえば平成という時代ではないだろうか。
これから迎える新しい時代。切り拓いていくのは私たち自身である。
9月7日 9月議会開会、台風21号
8月31日。長岡京市議会9月定例会が開会した。
決算議案を中心に、大阪北部地震や7月豪雨への対応のための補正予算案や空き家対策、生産緑地等をめぐる条例案を提案し、およそ1ヶ月にわたる審議が続く予定だ。
そんな中で、関西一円を襲った台風21号。
本市においても多数の被害が生じている。今回の台風は雨よりも激烈なる風による被害が大きいものとなった。
民家や事業所などで屋根や家屋等の破損が多数生じているほか、ビニールハウス等での農業被害。また、今回は何よりも停電による影響が非常に大きかった。
こうした事態を受け、長岡京市議会では6日(木曜日)、7日(金曜日)に予定をしていた本会議・一般質問の日程を一日延期し、7日(金曜日)、10日(月曜日)へと変更していただいた。
そのおかげもあり、私自身も、被害を受けた様々な箇所の視察もすることができた。
改めて、今回の台風被害の大きさを感じている。
しかし一方、徐々にではあるが、復旧への道のりを一歩は踏み出せていることも感じた。
多くの市民や事業者の方々の努力の結果に心から敬意を表したいと思う。
市役所としても全力で復旧に努めていく決意だ。
台風21号による被害状況視察のようす
(9月6日長岡第六小にて)
8月31日 夏の終わりの思い出
長岡京音頭が響き渡る。目の前には、立ち並ぶ夜店に行列をつくる人々。たこ焼きやとうもろこしを焼くこうばしい香りが立ち込める。りんご飴の懐かしい味。そして、熱気で汗ばむほどの人いきれ。
五感をフルに稼働させながら、子どもの頃の楽しかった記憶を思い出す。
8月25日。恒例の長岡天満宮の夏祭りが行われた。
今年は土曜日に重なり、子どもたちにとっても夏休み最後の週末。天満宮の境内はすごい数の人や親子連れで埋まった。
子どもの頃、天満宮の夏祭りは夏の終わりを感じさせる風物詩だった。
宿題などの不安を抱えながらも、夏休みを満喫し尽くそうと、もらった小遣いを握りしめ、何を食べようか、それとも射的や当てものをしようかと思い悩んだものだ。
そんな記憶を振り返りながら、当時と今とで大きく変わったことに気づく。
「暑さ」だ。
今年は猛暑ということもあるが、近年の夏祭りは毎年のように汗まみれ。
確かに、当時も暑かった。
それでも、祭の帰り、天神さんから自宅へと帰る坂道で夜風にあたると、ほんの少しだけ秋の気配を感じていたし、暑さの度合いも質ももっと違った気がしてならない。
そういえばもう一つ、変わったこと。
夏祭りで涼を取る手段も、子どもの頃はかき氷だった。今は、もちろん生ビール。
そんなことを考えながら、残った生ビールを一気に飲み干す。
大人になっても祭は楽しいものだ。それだけは決して変わらない。
長岡天満宮夏祭りのようす
(8月25日長岡天満宮にて)
8月24日 父、逝く
8月14日。私事ながら、父・克爾が亡くなった。
食道がんの手術から8年。最後は苦しむこともなく病院で穏やかに息をひきとった。
葬儀に際しては、多くの方にご弔問・ご弔意を賜り多くの方に送っていただいた。この場をお借りして感謝申し上げるとともに、不行き届きも多々あったかもしれない。お詫び申し上げたい。
享年76歳。少し早い気もする。
ただ、息子の私から見ても、父は多くの友人に囲まれ愉快で楽しい人生を過ごしたと思う。
自由奔放で豪放磊落な人だった。
家族や家庭をあまり顧みることもなく、自分自身の気の向くままに生きたが故に、きっと母は苦労したと思う。
それでも、背中で教えてくれたことも多い。
豪快な面もありつつ、取り分け人付き合いに関してはとても繊細で気遣いのできる人でもあった。
私自身が政治の世界を志すと決めた際も、何も言わず、一生懸命背中を押してくれた。
今の私があるのは父のおかげであると言っても過言ではない。
正直、まだ父がいなくなった実感を持てずにいる。
家に帰ると「おう、」と声をかけてきそうな。
しかし、その父はもういない。
自身の肩にまた一つ、大きな責任という名の荷をかつぐ。そのことをしっかりと胸に刻み、これからも父の名に恥じないように生きていきたい。
本当にありがとう。そして、お疲れ様でした。8月10日 残された宿題~長岡天神駅周辺のまちづくり②
7月15日。バンビオ・メインホールにおいて『どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神』と題し、まちづくりを考えるシンポジウムを開催し、多くの市民にもご参加いただいた。
冒頭に、阪急長岡天神駅周辺整備基本計画策定委員会の委員長もつとめていただいている立命館大学の及川清昭教授から各地の駅前の風景の紹介も含めた基調講演をいただく。
引き続き、私から、この間の経過や阪急京都線の高架化の議論の進捗状況、駅前広場・アクセス道路の位置、土地利用計画など課題となっている論点を紹介。
その後、高松丸亀町商店街振興組合の古川康造理事長、阪急電鉄株式会社の上村正美都市交通事業副本部長、元京都府建設交通部技監の村松徹也氏、長岡天神駅まちづくり協議会の橋本光夫会長などとのパネルディスカッションを行った。
パネルディスカッションではそれぞれ活発なご意見をいただき有意義な議論ができたと思う。
特に、「長岡天神らしい、個性を活かした」まちづくりをしていくべきだという点では概ね一致できたのではないだろうか。どこにでもある見慣れた駅ではなく、「長岡天神駅」だとわかる駅周辺のまちづくり。
議論を通じて、私の中のイメージとして浮かび上がってきたキーワードは「歩いて楽しい」「回遊性のあるまちづくり」というものだ。
そのためにも、駅やハードの構造だけではなく、周辺地域全体との一体性や整合性を持ったまちづくりが必要となる。それは、当然、地権者や近隣商店、住民の皆さんと一緒に考えていかなければならない点だろう。
その意味でも、事業化に向けた現段階での議論と合意形成がとても重要になってくる。
引き続き、私たちからそうした課題を提起していきたいと思う。
まちづくりシンポジウム『どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神』の様子
(7月15日 バンビオメインホールにて)
8月3日 残された宿題~長岡天神駅周辺のまちづくり①
長岡京市にとって、積年の大きな課題が阪急長岡天神駅周辺の整備だ。
昭和30年代に行われた各都市計画決定以降、具体的な事業化はなされずに今日に至っている。
本市では、この間、JR長岡京駅前の再開発事業や京都第二外環状道路とそれに伴う阪急新駅の整備など大きなプロジェクトに取り組んできた。これらは、それぞれ事業化に至る環境の変化に応じたものであり、タイミングとしては適切であったし、大きな成果を残せたものだと評価をしている。
一方、こうした大事業に優先的に取り組んできた結果として、阪急長岡天神駅周辺の整備が残されたこともまた事実であろう。
そして、大きなプロジェクトが完了し成果を生み出した今日、改めて、長岡天神駅周辺のまちづくりを時代に併せて本格的に再始動させなければならない。それが、私自身、市長に就任した際の決意でもあった。
そこで、まず取り組んだことが、地元・周辺地域の地権者の方々と協働してまちづくりについて考えるプラットフォームを作ることである。それが、平成27年夏に設立いただいた『長岡天神駅周辺まちづくり協議会』だ。どんな計画を作ろうとも、それを具体化するためには地域自身の皆さんの協力と努力が不可欠である。
そして2年余りの議論を経て、本年3月「まちづくり基本構想」を策定いただくことができた。
併せて、本市の中心市街地に位置し特急も停車する長岡天神駅は周辺地域の方々だけではなく、市民全体にとっても、市のまちづくり全体にとっても重要な課題であることは明白だ。巨額の事業費もかかる。また、具体的な事業化を考えた場合、鉄道事業者や国・府などとの連携が欠かせない。
そこで、平成28年度に『阪急長岡天神駅周辺整備基本計画策定委員会』を設置し、協議会と連携しつつ、市民代表や関係者、専門家の皆さんの間で議論を進めてきている。
こうした議論を経てきた中で、鉄道の高架化やアクセス道路の整備、駅前広場の位置や土地利用計画などいくつかの論点が見えてきた。今年度中には市としての基本的な考え方となる「基本計画」を策定する予定でもある。
先月、15日にはこれら議論の経過や検討状況を広く市民の皆さんに知ってもらい、ともに考えていただくため、「どうする!?ながてん~一緒に考えよう 便利で楽しい長岡天神」と題したシンポジウムも開催した。その内容は、次回に譲りたい。
7月27日 サッカー・ワールドカップを振り返り
連日のうだるような暑さ。蝉も蚊も音を上げるほどだというからたまらない。
およそ1ヶ月にわたり繰り広げられたサッカーの祭典、FIFAワールドカップ・ロシア大会は、自国開催での優勝以来、20年ぶりというフランスの優勝に終わった。
グループリーグでの安定した戦いぶりに加え、決勝リーグに上がってからは、初戦の対アルゼンチン戦を見事な逆転で勝利し勢いにのり(個人的にはこの試合が決勝リーグのベストゲームではないかと思っている…)、準々決勝の対ウルグアイ戦を2-0で貫録勝ち。準決勝の対ベルギー戦は猛攻をよく守りきり、セットプレーからの1点を死守。決勝のクロアチアとの大一番は、若干、クロアチアの連戦の疲れに助けられた部分もあったかに思うが、攻守ともに充実したフランスの優勝に納得する向きが多いのではないだろうか。同時に、今回の選手層を見ているとまだまだ強くなりそうな予感もする。
今回のロシア大会では、VARの導入やセットプレーからの得点の多さなどが特徴的な大会でもあったが、私自身の中で印象に残ったのはゴールキーパーの活躍だ。
優勝したフランスのロリス選手やベルギーのクルトワ選手、イングランドのピックフォード選手、クロアチアのスバシッチ選手などベスト4チームのGKは大会を通じて数多くのスーパーセーブを連発したし、メキシコやコスタリカなど南米勢のGKの予選リーグでの活躍も目についた。
特に、決勝リーグ初戦でのデンマークvsクロアチアでのPK戦での両GKのセーブと死闘はワールドカップ史に残るのではないかと思う。
日本代表の活躍も含めて、熱い熱い饗宴が幕を閉じてしまい、少々のサッカーロス感にひたっている。
あの「あつさ」ならもう1ヶ月、続いてくれても良かったのに。7月20日 平和について考える
7月19日は長岡京市『平和の日』。
今年で制定30周年の節目を迎えることとなった。
先の大戦のあった昭和から平成という時代へ。そんな時代の変わり目に『平和の日』が制定され、その平成も来年には新たな元号の時代へと移り変わっていく。
時の経過とともに記憶の風化はすすんでいる。そこで、長岡京市ではこの度、デジタルアーカイブとして『長岡京市バーチャル平和祈念館』を開設した。
本市にもある戦争に関する資料や証言などを掲載し、学校教育など幅広い場面で活用を促そうとするものだ。戦争は遠いどこかの出来事ではなく、私たちの身近な場面にあったという事実を、子どもたちに感じてもらえたらと思う。
そして、今年の平和を考える市民フォーラムでは、拉致被害者でもあり新潟産業大学准教授として活躍しておられる蓮池薫氏を講師にお迎えし「夢と絆」と題した講演をいただいた。
拉致とは、命以外のすべてを奪われることに他ならない。未来への夢や希望も。家族との時間や絆も。
拉致された1978年7月から2002年の帰国までの記憶を克明に淡々と語られる口調と、壮絶な日々に違いなかったであろう現実とのギャップが、聴く者の心を圧倒する。
「拉致された24年間の中で、希望を捨て、最悪の事態を避けることだけを考えた。」
その言葉は、平和という当たり前の日常を謳歌している私たちに重みをもってずしりとのしかかる。
心静かに、私にとっての平和とは何か、しばし考えてみる。
平和を考える市民フォーラム’18での蓮池薫さんの講演
(7月14日 中央公民館にて)
長岡京市バーチャル平和祈念館 開設!
日本における戦争終結から70年以上が経過し、戦争体験者が減少、戦争に関する資料が失われつつある今、
戦争に関する体験記、資料、平和教材の閲覧をインターネット上で自由に行うことができる『長岡京市バーチャル平和祈念館』を開設しました。
皆様、ぜひぜひご利用ください!
7月13日 災害を乗り越えて
先週は当欄も休ませていただいた。
というのも、西日本を襲った長雨の対策に追われたからだ。
台風7号とそれに伴う前線の発達による長期間による降雨は、西日本を中心に甚大な被害をもたらした。平成史上、最悪の水害となってしまった。
今回の災害で亡くなられた皆様のご冥福と未だ行方不明の方々の早期の発見、被災をされた方々へのお見舞いと被災地の一日も早い復旧・復興を心より祈る。
本市においても、7月5日の降りはじめからの累積降雨量は393㎜。平成25年の台風18号の際に記録した295㎜を一気に凌駕した。
それでも、前半に非常に強く降り、後半は比較的小康状態が保たれたおかげもあってか、幸いにして、人的・物的被害はほぼ無く乗り超えることができた。一方、6日夜半からの特別警報後に被害が拡大した地域の様子を見るにつけ、彼我の差は紙一重でもある。そのことを私たちは肝に銘じなければならない。
このひと月で、私たちは6月18日に発生した大阪北部地震、そして、今回の西日本豪雨という2つの大きな災害を経験した。
地震対応においては、前触れなく訪れる地震への迅速な対応や、発災時の職員の参集体制、鉄道網等インフラが停止した際の脆弱性などをまざまざと見せつけられた。
また、今回の豪雨対応においては、市内6か所に設けた避難所での対応や住民に対する情報伝達の手段、また、市役所内における情報共有や意思決定の方法など、多くの課題に気づくことができた。
こうした教訓を一つひとつ、今後に活かしていく地道な取り組みが今こそ求められている。
避難所への持ち出し品の用意や、
ハザードマップでご自宅の被害想定や避難所を確認するなど、
この機会にぜひ取り組んでみてください。
6月29日 短冊に願いを込めて
6月も終わりを迎え、いよいよ7月に入る。まちなかでも、チラホラと竹の七夕飾りを見かけるようになってきた。
皆さんは、今年、どんな願い事を短冊に添えられるだろうか?
「痩せますように」「お腹まわりをへこませたい」「体脂肪率を…」
四十も半ばを過ぎると、ついついからだ・健康や体型のことが気にかかる。
7月7日、七夕当日。
JR長岡京駅前のバンビオにおいて、『ご当地タニタごはんコンテスト』の近畿・北陸・中部ブロックの予選大会が開催をされる。
体組成計など健康器具で有名なタニタさんが、各地の郷土料理をタニタ基準での健康食として現代風にアレンジ。そのレシピを全国規模で競う。そんな催しの予選会場に本市を選んでいただいた。
当日は書類審査を勝ち抜いた10組によるプレゼンテーションから、健康チェックなどのタニタブース、協力企業さんによるマルシェなど多彩な催しが行われる。
また、地元地域の皆さんにもご協力いただき、『ママ・キッズまるごとマルシェ×バンビオの七夕』を同時開催。エリア全体での盛り上げを図る。
さてさて、短冊に願い事を書くだけではなかなか叶わないのが現実。
「願い事」から「実践」へ。
ぜひぜひ、そのヒントを見つけるためにも、今年の七夕はバンビオにご集合ください!
会場では健康やフードにまつわるブースがたくさん!
ぜひお立ち寄りください!
6月22日 地震発生~引き続きの警戒を
週初め、月曜日の朝を地震が襲った。
6月18日、午前7時58分。大阪府北部を震源とするM6.1の地震が発生し、長岡京市では震度5強の揺れを観測。本市においては、即座に災害対策本部を設置。情報収集とその対応に追われた。
本市では、ケガによる救急搬送が1件、民家等での瓦の落下や塀の倒壊などが18件、その他、文化財の損傷が4件(いずれも6月20日現在)。甚大な被害は生じてはいない。
しかし、近隣の自治体においては亡くなられた方もあり、大きな被害が生じている。
改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災をされた皆様にお見舞いを申し上げたい。
公共施設においても、市役所東棟でのガラス破損、西山公園体育館での天井の損傷、スポーツセンター体育館の窓枠の損壊、多世代交流ふれあいセンターでの天井の亀裂が見つかったほか、小中学校でも一部校舎や窓ガラスの破損があったが既に応急対応は済み、通常通りの授業が行われている。
今回の地震では阪急電鉄、JR両鉄道の運休が最も大きな影響を与えた。
JR長岡京駅、阪急長岡天神駅の両駅を中心に、長時間、駅で足止めされた方も多く、長岡京市ではJR駅前のバンビオの市民ギャラリーと特別展示室を開放。最大200名を超える方が待避をされた。
気象庁からは、地震発生から1週間程度は同規模の地震への注意が呼びかけられている。
もうしばらくそれぞれに注意と警戒を怠らないようお願い申し上げる。
6月15日 サイは振られた
2018年6月12日が、歴史の中の1ページに刻まれることは間違いない。
敵対してきた米国・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長が、シンガポールで固い握手を交わし、共同声明に署名をした。
核開発をめぐり緊張状態が続いてきた米朝関係を、対話によって解決しようとする意志が示されたことは歓迎すべきことだろう。
しかし、このことが実際に朝鮮半島の非核化につながる第1歩となるのか否かについては、まだまだその推移を見守らなければならなさそうだ。
識者等からの批判的な反応は概ね、合意内容の具体性のとぼしさが指摘されている。
非核化に欠かせない査察についてまったく言及がなかった点や、非核化への期限すら決まっていない点などである。
一方、当事者双方にとっては政治的に意義があったことは間違いない。
全世界の耳目が集まる中、金正恩委員長は、体制に対する保証と一定の時間を稼ぐことができた。トランプ大統領にとっては、秋の中間選挙に向けた外交上の成果に対する期待感を醸成できた。
今回の会談は、これまでの外交の常識的な考え方からすれば、事前の事務方による協議を積み重ね、一定の合意を得るという手順を経たものではない。その意味で、何かが決まったわけではない。
ただ、少なくとも、何かが「動き出した」ということだけは間違いのない事実であろう。
動き出した事態に対して、米朝は当然のことながら、韓国、中国、ロシアなど周辺諸国も一気にそれぞれの思惑に基づき動き始める。日本政府も決して乗り遅れてはならない。
サイは振られた。
出る目は吉か凶か。まだまだサイはまわり続ける。その盤からしばらく目が離せそうにない。
本市が「平和の日」を制定して30年。
7月14日に「平和フォーラム」を開催する。
講師に北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さんをお招きし、拉致問題について考えます。
6月8日 海を渡れ
6月5日、6日の両日にかけて、全国市長会のため東京出張へ。
全国市長会に併せて、様々な会議や勉強会、セミナー等が行われるのだが、今回、参加した中で大変印象的だったものを二つご紹介したい。
一つは、電子政府・電子自治体に関する勉強会。
講師は、佐賀県などで早い時期から行政の電子化に取り組まれていたe-Corporation.JP株式会社の廉宗淳代表取締役社長。
韓国の行政や社会システムのICT化の状況について報告をいただいたのだが、その進み方たるや世界のトップレベルであり、ほぼすべての行政手続きや銀行決済などが全世界どこにいても利用が可能だそうだ。正直、私自身勉強不足で、韓国がここまで進んでいるとはまったく知らなかった。
もう一つは、防災・危機管理トップセミナーでの東京大学・片田敏孝特任教授の講演。
先生は、災害時の避難行動などを専門にされているのだが、避難勧告・指示が出てもなかなか避難をしない住民が多い日本に対して、2017ハリケーンカトリーナの際の米国では、380万人に対する避難命令に対して、実際に避難をしたのは650万人。結果、それによってパニック状況が起こるのだが、この差の背景に、「命を守ることに対する主体性」の有無を指摘。行政への依存心が強い日本に対して、アメリカでは個人の主体性が非常に強い傾向があるそうだ。
議員になりたての頃、ある先輩から、政策の勉強をするならば「川をさかのぼり、海を渡れ」と教えられた。歴史を振り返ることと、諸外国の状況を勉強することを意味する言葉だ。
今回の二つの事例からも、自分自身の身の回りばかりを見ていると、それが常識になってしまい思考停止に陥ってしまう。そのことの弊害を指摘されたような気がする。
まさに「海を渡る」ことで、自らのいる場所の状況を振り返ってみることの重要性を教えてもらった。6月1日 長岡京市から世界へ
サッカーの世界最高峰と言えばヨーロッパだが、そのクラブチームNO.1を決めるのがUEFAチャンピオンズリーグだ。
5月27日、レアル・マドリードとリヴァプールの決勝戦。3-1の勝利で、レアル・マドリードが3連覇という結果に終わった。
Rマドリード・ベイルの華麗なバイシクルシュートが決勝点となったが、息をのむようなプレーがあった一方、リヴァプールのGKカリウスにとってはあり得ないようなミスが2連発。
世界のトッププロが集う試合でもこんなことがある。それほどにプレッシャーが大きいということか。
さて、いよいよ6月に入り、FIFAワールドカップ2018ロシア大会の開幕が目の前に迫ってきた。
昨日、日本代表23名も発表をされ、長岡京市出身の宇佐美貴史選手(デュッセルドルフ)も選ばれた。
長岡京市から世界へ。
このところ、なかなか結果が残せていない日本代表だが、勝利を重ね予選リーグを突破してもらうと同時に、宇佐美選手の活躍を心から期待をしたいと思う。
日本代表の戦いもさることながら、世界トップレベルの選手たちの熱い真剣な戦いとそのプレーを期待できるのがワールドカップだ。世界標準を通してこそ、今の日本のレベルがはっきりするに違いない。
6月は眠れない夜が続きそうだ。ピッチでの活躍を期待しています!
5月25日 中野家住宅 meets なかの邸
悠久の歴史の中で、京の都・東寺のあたりを起点とし、長岡京市・大山崎を抜け、西宮まで至った西国街道。当時の人や物の流れを支えたまさに歴史街道だ。
そんな街道沿いに位置し、往時のたたずまいを感じさせてくれるのが『中野家住宅』だ。
『中野家住宅』は、伏見市長や衆議院議員、京都商工会議所会頭など要職を歴任し、政界・経済界で活躍された故・中野種一郎氏の生家。平成22年にはその価値が評価され、国登録有形文化財に登録をされ、その後、平成26年9月に、ご子息・康男氏の遺志として長岡京市にご寄贈いただいた。
そして今回、一般社団法人暮らしランプが運営される「おばんざいとお酒 なかの邸」として新たな一歩を踏み出すこととなった。
長岡京市では、阪急西山天王山駅や京都縦貫自動車道長岡京ICからも近い立地を活かし、①市内経済の活性化や観光振興につなげる、②市有財産の有効活用を目指すという方針のもと、民間の事業者から『中野家住宅』の活用方法について広く提案を募ってきた。
今回ご提案をいただいた暮らしランプは、障がい者の雇用や就労支援を行っておられ、「なかの邸」では障がい者の夜間就労と観光拠点の創出をコンセプトとした施設運営を目指し、今年秋ごろのオープンに向けて事業の準備を進めていただいている。
また、今回の事業にあたっては、障がい者の多様な働き方と雇用所得の増大を目的とした日本財団の助成を活用させていただく。
先日行った共同記者会見では、そんな事業者や財団の熱い思いを語っていただいた。
今回の事業を通じて、多くの方に「なかの邸」をご利用いただくことが、何よりも、ご寄贈いただいた中野種一郎氏のご功績を広く知っていただくことにもつながる。
秋に向けて楽しみな事業がまた一つ動き出した。是非、皆さん、ご期待ください!
おばんざいとお酒なかの邸 記者発表のようす
(5月24日中野家住宅にて)
5月18日 誰もが共に自分らしく暮らす長岡京市を目指して
あいにくの雨の中ではあったのだが、さる5月13日。
4月に施行した『誰もが共に自分らしく暮らす長岡京市障がい者基本条例』の記念キックオフイベントを本市中央公民館において開催をし、多くの方にご来場いただいた。
基調講演には、ご自身も障がいをお持ちでEテレ「バリバラ」などでも活躍されている西宮市社会福祉協議会職員の玉木幸則さんをお招きし、その後、当事者や障がい者に関連する団体、市商工会の代表者によるシンポジウムを開催。
また、鳥取県が中心に進めておられる「あいサポート運動」の協定を、野川聡鳥取県副知事にもご参加いただく中で結ばせていただいた。
今回のイベントを通じて、最も印象に残ったのは、玉木氏の講演でおっしゃった言葉だ。
今の社会は、障がいをお持ちの方への合理的配慮の必要性は認めるものの、まだまだ、「可能なかぎり」「できる範囲で」という大前提がある。自身が目指すフル・インクルーシブな社会とは、そうしたカッコ書きをなくすことだ。
私たち自身が重く受け止めなければならない言葉だと思う。
そして、同時に、様々な制約がある中でも、「今、この瞬間に何ができるのか」を真剣に考え続けることが何よりも大切なのではないだろうか。
本市の基本条例はスタート地点に立った。
これから長岡京市でこうした条例の理念を共有する輪をさらに広げていければと思う。
5月11日 違いを知るということ
実際に海外を訪れてみると、彼我の生活習慣や文化の違いを目の当たりにする。
単なる外形的な違いのみならず、国民性(一括りにするのは少々危なっかしいが…)と言っても良い価値観や考え方の違いもまた体感するものだ。
最近では、四月に訪れた中国・寧波において、自身でも痛感したものだ。
先日、本市の30年来の友好都市である米国・アーリントンでの短期交換留学プログラムに参加した、中学生・高校生たちが帰国の報告に訪れてくれた。
GW期間を利用し、10日間のホームステイを終え、元気に帰ってきた子どもたちの顔つきは、出発前と比較をすると、とてもたくましくなっている。
現地の学校で、ホストファミリーとの生活の中で、あるいは街中で。
様々な場面で経験した「驚き」が、彼らにとってはとても新鮮だったのだろう。貴重な経験を自分の言葉で熱く語ってくれた。
当然、一人ひとりの感じ方は少しずつ異なるものの、総じて言えば、その「驚き」は日本と米国の文化の違いに根差したものではないかと思う。
その「違い」を知った彼らは、次に、その「違い」を理解し合いたいと感じているはずだ。
相互理解を深めるためには、お互いのより深いコミュニケーションが必要となる。
さらにコミュニケーションを深めるためには、その手段としての「言語」が求められる。
「もっと英語ができるようになりたい」
そう口々にする彼らの心に、異なる文化を理解し合うため、語学に対する大きなモチベーションを生んだとするならば、このプログラムは大成功をおさめたのだと思う。
学生のアーリントン短期留学 帰国報告会の様子
(5月7日市役所にて)
5月2日 チャーチルの決断
ゴールデンウィークをいかがお過ごしだろうか。
私も時間を見つけ、映画『ウィンストン・チャーチル~ヒトラーから世界を救った男』を観た。
辻一弘さんがアカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞されたことでも話題になった作品だ。
舞台は1940年5月。第二次世界大戦の初期。ヒトラー率いるドイツの勢力が拡大する中で、宥和政策を進め不信任を受けたチェンバレンの後任としてチャーチルが首相に就任する。
日に日に悪化する戦線。ナチスドイツの勢いは増す一方。
ドイツ軍に追い込まれた英国軍はフランス・ダンケルクの海岸で孤立状態となる。そして、いよいよ英国にもドイツ軍上陸の危機的な状況が訪れる。
ヒトラーに屈するか、最後まで戦うか。その決断が迫られる。
国民的な人気はあるものの、独特の個性を持つ変わり者であるが故に、政党内や王族からも決して好かれていないチャーチル。
徹底抗戦を訴え続けたチャーチルだが、ドイツとの和平交渉を主張するチェンバレンやハリファックスらの攻勢に、葛藤し、和平交渉へと大きく気持ちが揺れる。
そして、彼が最後に下した決断は?
彼を、その決断に至らしめたものは何か?
この時の彼の決断が、第二次世界大戦の結果を決定づける。そして、それは結果として、今日の世界秩序をかたちづくったと言っても決して過言ではないだろう。
政治に携わるものの一人としては、必見の作品ではないかと思う。
4月27日 寧波市訪問~友好都市盟約35周年
4月18日から21日の4日間、中国浙江省・寧波市を訪れた。
本市との友好都市盟約35周年を記念した招へいに応じたもので、市議会議長をはじめ市議8名との公式訪問団での訪問となった。
私にとっては市長就任時からおよそ2年半ぶりの訪問であったが、この間の寧波の急成長には目を見張るものがある。また、相互訪問等を通じて培ってきた多くの友人とも再会を果たすことができた。この35年間、先人の皆さんを含め築き上げてきた両市の太い絆を再確認させられた。
今回の訪寧波を通じて私自身は2つのことを念頭においた。
一つは、これまで築いてきた友好という土台の上に立って、さらに経済的な交流を強化したいということ。
そして、もう一つは、次の時代の交流を担う世代のつながりを強めたいということだ。
本市では、昨年に寧波の事業所のお力をお借りし「京都長岡京伝統工芸館」を開設した。今回は、現地で経済交流会を開催し、在寧波の観光事業者などへのPRを行うとともに、公式会見では裘東耀市長からも観光事業での連携を強化したい旨の発言も頂いた。
また、寧波市で中国初出店に取り組まれている阪急百貨店(H2Oリテイリング)の建設現場の視察や現地法人の方、また、京都から寧波に進出をされている企業の方々との交流の機会を得ることができた。
二点目については、寧波の効実中学校(日本の高等学校にあたる)と府立乙訓高等学校との姉妹校締結に向けた協議をスタートさせる確認書を取り交わすこともできた。次代を担う子どもたちの交流の端緒をつくることができたのではないだろうか。
この秋には、寧波市からの訪問団を受け入れる予定だ。
ここを一つの通過点として、新たな時代の寧波市との関係を創りあげていければと願っている。
寧波市表敬訪問のようす 裘東耀 寧波市長と
(4月20日中国 寧波市役所にて)
4月13日 常識を疑ってみる
この季節の楽しみの一つと言えば、食卓に並ぶタケノコだ。
今年は、どうやら豊作だと聞いており、農家の方々は寝食を忘れるほどにお忙しいことかと思う。
シンプルに昆布出汁で炊いたタケノコはまさに絶品。白くて柔らかく、エグみがほとんどないのが長岡京市のタケノコの特徴だ。
このタケノコを食べれば、他のタケノコは食べられないと言っても過言ではない。そう自負している。
ところが、先日、ある講演会で、こんな問題提起があった。
全国のタケノコ好きの方の中には、「エグみがあるからこそのタケノコ」「タケノコの固い歯応えがいいんだ」と言った声があるそうだ。
私たちが誇りに思う、「タケノコの柔らかさやエグみの無さ」こそが強み、との常識がまったく覆される意見だ。
もちろん、そうした声がマジョリティであるか検証されたわけではないし、仮にそうだとしても、この地域で採れるタケノコをそのように育てるべきかどうかは別問題だ。
しかし、一方ではたと考えさせられもする。
私たちが、あまりにも当たり前で常識だと信じ込んでいることでも、地域や文化が変わればもしかしたら常識ではないのかもしれない。
そう「考えてみる」ということが大切なのかもしれない。
確かに、発展途上国では、お徳用フルボトルの洗剤よりも、小分けにした洗剤が売れるという。
アメリカでは、私たちにとっては高級な「霜降り牛」は脂っこくて、体に悪いので敬遠されるとも聞く。
何かにつけ、自分たちが盲信している常識を疑ってみる姿勢を忘れずにいたいと思う。
そこにこそ新たな発見やビジネスチャンスがあるのかもしれない。4月6日 新たな種を蒔く
新しい年度の始まりというのは、気持ちが引き締まるものだ。
4月2日には、新たに17名の新入職員をむかえ、人事異動があった管理職に辞令を交付した。
私事にはなるが、今年度にはいただいた任期を迎える区切りの年となる。
就任当初は、自分自身が思う政策や施策・事業を、日々、淡々と動いていく市政の中に、どう反映させていったらよいのか戸惑いもあった。実現できるかどうか、不安も焦りもあった。
しかし、今、この瞬間、多くの公約が実現に向けて着実な歩みを進めていると断言することができる。
これも偏に、多くの職員の理解と協力があってこそだと感じている。
そして、同時に、『対話』を積み重ねることの重要性を感じる。『対話』には時間がかかるかもしれないが、そこでの共有こそが速やかな事業の進捗を図ることができる。
一方、中心的に取り上げてきた課題やテーマが固定化しつつあるのでは、という懸念も持っている。
もちろん、それらが重要なことに変わりはない。
しかし、それらの他に、新たな課題が生じているのではないか。あるいは、環境や状況の変化によって対応すべき方針を見直さなければならないのではないか。といった点検は絶えず必要だ。
すでに蒔いた種を、育て、花を咲かせる。
同時に、これから咲かせる花の種を蒔くことも不可欠である。
今年度は、そんな一年にしていきたいと思っている。
新年度がスタート、職員との「対話のわ」にて。
(4月2日、市役所で)