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「長岡京」発掘のあゆみ

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「長岡京」発掘のあゆみ

昭和29年(1954)中山修一氏らによる長岡京朝堂院南門跡(ちょうどういんみなみもんあと)の調査を皮切りに、現在に至るまで長岡京域内(現長岡京市、向日市、大山崎、京都市の一部)での発掘調査が行われています。

発掘調査の結果、条坊(じょうぼう)制によって整然と区画された完成度の高い都であったことが明らかになってきました。

平成16年(2004)には長岡京発掘50周年、平成22年(2010)には長岡京発掘2000次を迎え、JR長岡京駅前に「長岡京発見之地」の石碑が建立されました。

埋蔵文化財をめぐる動き

「長岡京」発掘調査関連年表
年度「長岡京跡」の発掘埋蔵文化財関連の動き
昭和29年(1954)「長岡京」の調査を開始する 
昭和30年(1955)朝堂院南門(会昌門)が発見される(向日市鶏冠井町) 
昭和34年(1959)大極殿院後門(昭慶門)の調査が行われる(向日市鶏冠井町) 
昭和35年(1960) 名神高速道路の調査により山城盆地で最古の弥生時代集落(雲宮遺跡)が発見される
昭和36年(1961)大極殿院後殿(小安殿)・大極殿の調査が行われる 
昭和37年(1962) 
昭和39年(1964)朝堂院地区の調査が本格化する(向日市鶏冠井町)大極殿、小安殿跡が史跡に指定される
昭和40年(1965) 葛原親王伝承地の保存運動が行われ、昭和44年には史跡公園として整備される 
昭和41年(1966)乙訓寺の調査が行われる(長岡京市今里)「乙訓の文化遺産を守る会」が発足する
昭和42年(1967) 「天王山の緑を守る保存運動」が始まる
昭和43年(1968)第二次内裏地区の調査が行われる(向日市鶏冠井町) 
昭和44年(1969)内裏正殿の調査が行われる(向日市鶏冠井町)五塚原古墳の保存運動が始まる
昭和45年(1970)「長岡京」ではじめて木簡が発見される(向日市森本町)福西古墳群、大枝古墳群の保存運動が始まる
昭和48年(1973)

第二次内裏内郭築地回廊跡が史跡に指定される

左京域の調査が開始する(向日市上植野町)

内裏朝堂院周辺で官衙遺構が検出される(向日市鶏冠井町)
昭和49年(1974)

「長岡京」の条坊がはじめて発掘調査によって検出される(向日市上植野町)

京都市域において「長岡京」の調査が開始する

勝龍寺城を史跡公園にする保存運動が始まる
昭和51年(1976) 

長岡宮跡の下層から乙訓郡衙と推定する奈良時代の遺構群が検出される(向日市鶏冠井町)

(財)京都市埋蔵文化財研究所が発足する

昭和52年(1977)

長岡京市域において本格的に「長岡京」の調査が開始する

左京三条二坊八町で「太政官廚家」に関係する大量の木簡が出土する(向日市鶏冠井町)

中山修一氏らが長岡宮跡発掘調査団を結成する(翌年に長岡京跡発掘調査研究所と改称) 
昭和53年(1978)大山崎町域で「長岡京」ならびに山崎津の調査が開始する
昭和54年(1979)

右京二条三坊二町で一町を占有する大規模な宅地の大型建物が確認される(長岡京市井ノ内)

内裏南方官衙地区で築地が確認される(向日市鶏冠井町)

西二坊大路・三条大路が確認される(長岡京市今里)

昭和55年(1980)朝堂院西第三堂の調査が行われる(向日市鶏冠井町)

恵解山(いげのやま)古墳から大量の鉄製武器類が出土する

長岡宮築地跡が史跡指定される

昭和56年(1981)

西一坊大路が確認される(長岡京市神足)

朝堂院西第一・二堂の調査が行われる(向日市鶏冠井町)

恵解山古墳が国史跡に指定される

 (財)京都府埋蔵文化財調査研究センターが発足する

長岡京跡連絡協議会が開始する

昭和57年(1982)

東二坊大路が確認される(長岡京市神足)

右京七条四坊の川跡(西山田遺跡)から祭祀遺物が多量に出土する(長岡京市下海印寺)

朝堂院西第四堂の調査が行われる(向日市鶏冠井町)

(財)長岡京市埋蔵文化財センターが発足する
昭和58年(1983)谷田瓦窯群の調査が行われる(長岡京市奥海印寺)
昭和59年(1984)朱雀大路の西側溝が確認される(向日市上植野町)

近世勝龍寺城跡の存在が確認される

向日市文化資料館が開館する。

  物集女車塚古墳が府史跡に指定される
昭和60年(1985)

北辺官衙北部で礎石建物が確認される(向日市寺戸町)

川原寺の調査が行われる

 
昭和62年(1987)二条大路が確認される(向日市鶏冠井町)
昭和63年(1988)左京一条三坊の川跡から長岡京造営に関係する木簡が多数出土する(京都市南区)(財)向日市埋蔵文化財センターが発足する
  
  
平成元年(1989)五条大路が確認される(馬場)
  
平成2年(1990)

右京六条二坊で条坊交差点と宅地内の状況が確認される(開田)

左京の七条条間小路南側溝から告知札木簡が出土する(神足)

第2次内裏地区で大型建物が確認される(向日市鶏冠井町)

左京七条三坊の川跡(水垂遺跡)から祭祀遺物が多量に出土する(京都市伏見区)

平成3年(1991)

右京三条二坊九町の宅地域で多くの木簡が出土する(今里)

左京五条二坊で条坊交差点が確認される(馬場)

左京二条二坊十町で一町を占有する離宮跡が確認される(向日市鶏冠井町ほか)

平成4年(1992)右京六条二坊二町で宅地内の状況が確認される(開田)

長岡京型の条坊復元が提示される

南栗ケ塚遺跡で平安時代の大規模な建物(第三次山城国府)が確認される

平成5年(1993)

六条大路が確認される(長岡京市神足)

左京六条二坊の条坊側溝から「紀千世」墨書土器が出土する

左京六条二坊で条坊交差点が確認される(神足)

右京六条三坊二町で鋳造施設が確認される(天神)

大山崎町立歴史資料館が開館する
平成6年(1994)左京六条一坊十町で漆紙文書が出土する(神足)
平成7年(1995)

右京四条一坊十二町で長岡京期の竪穴建物が確認される(一文橋)

左京二条三坊十五町で一町を占有する大規模な宅地が確認される(京都市伏見区)

平成8年(1996)

右京二条三坊四町の宅地で建物解体時の祭祀跡が確認される(井ノ内)

朝堂院西外郭で地鎮芝垣遺構が確認される(向日市鶏冠井町)

東一坊大路の西側溝から「春宮坊」「御贄」木簡が出土する(向日市森本町)

平成9年(1997)

大極殿院前庭で宝憧遺構が確認される(向日市鶏冠井町)

右京六条二坊で条坊交差点が確認される(開田)

井ノ内稲荷塚古墳と走田9号墳石室が長岡京市指定文化財となる
平成10年(1998)北辺官衙地区で宮城門の地業跡が確認される(向日市森本町)
平成11年(1999)右京六条一坊十一~十四町を占有する敷地内で掘立柱建物を多数確認(長岡京市神足)恵解山古墳出土品が府指定文化財になる
 左京北一条三坊二・三町で平安遷都のための仮内裏である「東院」が確認される(向日市森本町・京都市南区) 
平成12年(2000)

六条条間小路の北側溝から日本最古の「蘇民将来」札が発掘される(長岡京市開田)

大極殿閤門が発掘される(向日市鶏冠井町)

右京一条二坊の川跡から祭祀遺物が多量に出土する(向日市寺戸町)

平成13年(2001)

右京七条二坊七町で「用銭」木簡が出土する(神足)

右京七条二坊で条坊交差点が確認される(神足)

朝堂院西第四堂の規模が確認される(向日市鶏冠井町)

平成14年(2002)

右京四条三坊九町で緡銭が出土する(今里)

右京六条二坊五町で宅地内の護岸溝が確認される(開田)

平成15年(2003)右京六条一坊十一町で製鉄関連の遺物が出土する(神足)神足遺跡で銅剣が出土する
平成16年(2004) 長岡京発掘50周年を迎える
平成17年(2005) 
平成18年(2006)右京六条一坊五町で西一坊坊間大路と六条条間南小路が確認される(東神足)
平成19年(2007)右京三条四坊一町で瓦を伴う建物が確認される(井ノ内)
平成20年(2008)

右京五条三坊三町で条坊交差点が確認される(長岡)

右京三条三坊十四町で大型の廂付建物が確認される(今里)

平成21年(2009)

右京六条二坊五町で宅地内の状況や多彩な遺物が確認される(開田)

右京四条二坊九町で足跡痕跡が確認される(今里北ノ町)

長岡京発掘2000回(宮跡477回、右京990回、左京535回)を迎え、「長岡京発見之地」の石碑を建立する

伊賀寺遺跡で縄文時代の玉作り関連の遺物が見つかり、関西最大級の規模の集落であることが判明する

平成22年(2010) 長岡京右京域の調査が1000次を超える
平成23年(2011)右京八条二坊二・六・七町において甕据え付け穴建物を確認され大型の甕が出土する(調子)
 右京五条三坊三町において三町内への通路と考えられる遺構が確認される(長岡)
平成24年(2012)右京六条三坊三町で大量の瓦が出土する(天神)
平成25年(2013)六条大路と東一坊大路の交差点が見つかる(神足)長岡京市埋蔵文化財センターが発足30周年を迎える
平成26年(2014)二条大路南側溝が見つかる(今里)恵解山古墳公園が開園する
平成27年(2015)

西二坊坊間小路が見つかり、大規模な溝は水運に利用された可能性が指摘される(開田)

六条条間小路(開田)、四条条間小路(長岡)が見つかる

平成28年(2016)六条条間小路(開田)、八条大路北側溝の可能性がある溝(久貝)が見つかる乙訓古墳群が国史跡に指定される
平成29年(2017)

六条条間小路と西二坊坊間小路の交差点が見つかる(開田)

右京二条三坊二町の中央に配置された大型建物の脇殿にあたる建物が発見され、一町を占有する貴族の邸宅であると判明(井ノ内)

平成30年(2018)

右京八条三坊十六町で奈良時代末~長岡京期初期の貴族邸宅が見つかる(下海印寺)

右京六条三坊三町で大型建物、築地、付属建物が発見され、2町以上を占有する大規模な施設の存在が明らかとなる(長岡)

平成31年(2019)

令和元年

西三坊坊間東小路(長岡)、五条大路北側溝(開田)、東一坊坊間大路(神足)が見つかる

令和2年(2020)

勝龍寺城土塁空堀跡が市史跡に指定される

  ※長岡京市で行われた発掘調査および事業は太字で紹介しています。