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中小路市長の雑感日記『第40回若葉カップ』

  • ID:14168

7月26日  第40回若葉カップ

いよいよ「2024パリオリンピック」が開幕する。

スポーツが生み出す数々の熱いドラマと感動を楽しみにしたい。


長岡京市でも熱い戦いが始まった。

小学生バドミントン界の甲子園「若葉カップ全国小学生バドミントン大会」が開会し、西山公園体育館を中心に熱戦が繰り広げられている。

昭和60年にジュニアジャパンカップとして始まったこの大会も、第2回大会からは現在の名称へ。場所も西山公園体育館を主会場とするかたちとなり、本年、第40回の記念すべき大会を迎えた。

これもバドミントン協会や小学生バドミントン連盟など関係競技団体、村田製作所様をはじめとする協賛企業、地元スポーツ協会など大会運営やボランティアとして関わっていただいている多くの皆さん、そしてこの大会を目指して日々練習に取り組んでいる選手やチーム関係者など、数えきれない方々の努力とお支えの賜物だ。大会会長として心より感謝と敬意を表したい。


オリンピックでは、27日からバドミントン競技のゲームも始まる。

今回のオリンピック、バドミントン日本代表選手は12名。そのうち、なんと8名が若葉カップに出場し、その後トップ選手として活躍している。(ちなみに、他競技ながら陸上女子やり投げでメダル獲得が期待されている北口はるか選手も若葉カップ経験者!)


若葉カップに出場している小学生にとって、オリンピックは憧れの舞台であり、オリンピック代表選手は雲の上の存在に違いない。

でも、代表選手の多くが若葉カップから巣立っている事実を考えれば、オリンピックのコートと西山体育館のコートは、同じフロアでつながっているといっても言い過ぎではない。

全国の予選を勝ち上がり、ここ西山公園体育館で戦う小学生選手たちにとって、オリンピックのコートは決して遥か遠くの別の場所にあるんではない。確実につながっているこの場所の先にあるんだと思う。


まずは、目の前にあるこの若葉カップを、練習やトレーニングに取り組んできた自分自身を信じて戦い抜いて欲しい。

そして、多くの子どもたちが世界に向けて羽ばたいてくれることを願っている。


 若葉カップのようす

若葉カップのようす

6年度の雑感日記(ページリンク)

7月18日  アーリントン学生訪日団

7月7日から16日の間、姉妹都市の米国・アーリントンから20名の高校生、3名の引率の先生を長岡京市にお迎えをした。

日本へ向かう飛行機がトラブルに見舞われ、想定外のトランジットへの変更になったり(中にはパリ経由で来られた方も!)、スーツケースが届かなかったりと、その道のりは大変だったようだ。8日の夕刻に市役所でお出迎えした際は、暑さも重なり、皆さん少しお疲れ気味だったけれども、翌日以降の活動の様子を拝見している限り、とても元気に日本でのプログラムやホームステイを楽しんでくれたようだ。


これは市立中学生の米国短期交換留学事業の一環で、今年のゴールデンウイークには長岡京市から16名の中学生がアーリントンを訪れホームステイしている。

今回、長岡京市に学生訪問団をお迎えするのは5年ぶりとなる。コロナ禍での事業の中止を余儀なくされてきたが、今回、相互交流が再開できたことを何よりも嬉しく思う。


今回の訪問では、長法寺小学校や長岡中学校、乙訓高校や西乙訓高校で学生同士の交流事業が行われた。和菓子作りや水球体験、授業体験や給食を一緒に食べたり、クラブ活動に参加したりと、日本での学校生活の一端に触れる機会になったはずだ。

また、春にアーリントンを訪れた生徒のご家庭がホストファミリーとして子どもたちを受け入れてくださり、それぞれ交流を深めるとともに、日本の暮らしを体感してくれた。


ウォルト・ディズニーは、ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は、遊び心と好奇心だと言った。

遊び心とは、笑うことを愛する気持ち。

好奇心とは、常に人間の心にあって、想像力によって刺激されて生まれたもの。


 米国、日本、双方の子どもたちが、今回の交流とプログラムを通じて大きな刺激を受け、好奇心をぐんぐん膨らませ、これから歩んでいく人生の中で、何かのスイッチになってくれることを願っている。


最後に、今回のプログラムも、ホストファミリーをはじめ、大変多くの皆さんのお力添えによって支えられている。改めて、この場をお借りし感謝の意を表したい。ありがとうございました。


 

  

 

  

7月12日  居心地のよい場所

作家の飯田美樹さんによれば、『インフォーマル・パブリック・ライフ』とは、気楽に行けて、予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない、あたたかみのある場所を指す。

「朝から夜までどんな時間でも人がいる」、「誰にでも開かれており、そこでゆっくりすることが許される」、「あたたかい雰囲気があり、一人でも、誰かと一緒にいるような安心感がある」、「そこに行くと気持ちが少し上向きになる」、「そこでは人がリラックスしてくつろぎ、幸せそうな表情をしている」。

人を惹きつける街には必ずそんな場所があると。(『インフォーマル・パブリック・ライフ~人が惹かれる街のルール/飯田美樹著(NPO法人ミラツク)』)


また、数々の商業施設等のプロデュースで活躍されている商い創造研究所の松本大地さんは、「心の豊かさを求める現代生活者の台頭は、都市計画や街づくり、地域再生にも影響を及ぼす。今までのハード志向であった道路、広場、公園、図書館といった公共空間が、人々の居心地の良さやコミュニティを育てるソフト志向へと急速に変化してきた。」と指摘したうえで、まちの中での居場所の存在に加えて、そこで行われる活動を含めた「ギャザリング」という考え方の重要性を提唱されている。(『街づくり×商業 リアルメリットを極める方法/松本大地著(学芸出版社)』)


この間、時間を見つけては、人が賑わう色んな施設を訪れてみている。

例えば、滋賀県の大津びわこ競輪場跡地で開発された「ブランチ大津京」は、事業コンセプトが「公園の中の商業施設」とあるように、大きな芝生広場やグランド、スポーツ施設、商業施設が融合したとても素敵な空間だ。

大阪の「もりのみやキューズモールBASE」は、屋上に本格的なランニングトラックを有する面白いデザインが目を引く施設で、スポーツや健康に特化したコミュニティ型ショッピングセンターとして賑わっている。

もう少し規模の小さいものでは、大阪市福島区にある「そよら海老江」。ここはキーテナントのスーパーマーケットに加え、子育て世代の居場所形成を意図した店舗を中心にした商業施設となっている。


これらに共通しているのは、「もう少しこの場にいたい」と思わせるようなスペースや空間がうまく配置されており、そこに人々の日々の暮らしの存在を感じることだ。

現在、長岡京市においても公共空間を活用し居心地のよい場所を創出していこうと、試行錯誤を重ねながら様々な事業に取り組んでいる。これからも、多様な場所を訪れ現地を実感しながら、まちづくりの参考にしていきたい。


 ブランチ大津京

ブランチ大津京

 もりのみやキューズモールBASE

もりのみやキューズモールBASE

 そよら海老江

そよら海老江

7月5日  一片冰心

一片冰心(いっぺんひょうしん)

唐の時代の詩人・王昌齢が旅立つ友人に贈った詩の一説にある言葉で、俗塵に染まらず清く澄みきった心境を表す。宝石箱(玉壺)にある、ひとかけらの氷のように清く澄んだ様子を指す故事だ。

そんな心持ちでおられるのだろう。

京都を代表する政治家のおひとり、谷垣禎一先生がこの度出版された回顧録のタイトルが「一片冰心」。

ある方から是非にと薦めていただき拝読した。


谷垣先生の経歴は語るまでもないが、政府においては数々の閣僚を歴任、党においても要職を努められた大政治家。2009年、野党となった自由民主党の総裁として苦境を切り開き、政権復帰後、安倍政権での幹事長時代にサイクリング中の事故という不運に見舞われ、2017年の政治家を引退される。

今回の回顧録では、生い立ちから今日までを振り返りながら、政治家としての成長、「加藤の乱」の内幕、野党時代に党をまとめていくご苦労や東日本大震災時の大連立構想、税と社会保障の一体改革などが、率直かつ誠実に語られる。これらは、平成の政治史を検証するうえでも大変貴重な証言だと言えるのではないかと思う。


本書では、現在の政治状況をめぐっても、豊富な政治経験に裏打ちされた指摘がなされるほか、ご自身の信念が語られる。


中でも何度か出てきて印象深い言葉が「とにかくおさまっている状況をつくるのが政治」だ。

意見が対立しても、どこかの地点で議論をまとめる責任が与党にはある。まとめなくていい野党とはそこが大きく違う。

絵を完璧に描きあげることにこだわるのではなく、対立した双方の落としどころを探りつつ、「このへんは塗り方が少し粗いけど、全体としてはなかなかうまく描けている」という状況をひとまず目指し、その後、粗くなったところを修正するなど、現状を少しずつ前進させていく。

保守本流の道を歩んで来られた大政治家の言葉から私たちが学ぶべきことは多い。


6月28日  疑わしきは罰せず

その日のニューヨークはうだるような暑さ。
裁判所の一室に集められた12名の陪審員の男たち。
評決の対象は、虐待された父親をナイフで刺し殺したとされるスラム街で生まれ育った18歳の少年の裁判。
有罪か無罪か。評決は全会一致が原則。有罪となれば被告の少年は死刑判決が下される。
裁判で示されたのは、近隣に住む女性や老人の目撃証言や、少年のあいまいな供述、凶器の飛び出しナイフなど被告に圧倒的に不利なものばかり。評決はあっさり有罪と決するかに思われたのだが…。

1957年に制作された、シドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演の映画『十二人の怒れる男(12 angry men)』をこの週末に観た。きっと、先週取り上げたドラマ「アンチヒーロー」に感化されたのだろう、学生時代の記憶がふと蘇り、観返してみた。

評議が始まると、有罪だという確信が持てない陪審員の一人が言う。
「話し合いませんか。一人の命がかかっているんです。」
ここから裁判で示された証言や証拠が一つひとつ検証される形で物語はすすむ。
すると、なされた証言の信憑性が欠如していること、現場の状況の不自然さ、あるいは犯人とされた少年の生い立ちへの偏見などが次々と明らかにされていく。
その度に、一人、また一人と自らの当初の判断を覆す。最後に全員一致で出した結論は無罪。

一人の命を奪うこととなる有罪の評決を下すのなら、よほどの確信を持たなければならない。
確信が持てない限り無罪の判断を下す。
無罪という判断は、決して犯人が犯罪を犯していないことを意味するわけではない。
有罪ではないというだけ。すなわち「not guilty」なだけなのだ。
「疑わしきは罰せず」
刑事裁判におけるその鉄則を忘れてはならない。

6月21日  アンチヒーロー

右手に高々と掲げられた天秤(てんびん)。左手には握りしめられた剣。目隠しに顔を覆われながらも屹然と立つ女神。

テミス-司法の公正さを象徴する女神像。

天秤は「公平・平等」を、剣は「正義を実現する強い意志」を、そして目隠しは「私見を廃した客観性」を表現していると言われている。


この春にTBS系で放映された長谷川博己さん主演のドラマ『アンチヒーロー』が最終回を迎えた。

どんな手段を使ってでも無罪を勝ち取る弁護士・明墨が、過去に検事として携わった冤罪事件とその背後に蠢く司法の闇を追求するリーガルミステリー。

ドラマのクライマックス、最終話で次々と明らかになる事実によって、それまで感じてきた疑問や初回から仕掛けられてきた伏線が一気に解消、回収されるシナリオ、予想を覆す展開で、久しぶりに見ごたえのあるドラマに出会うことができた。


何よりもドラマが投げかけるテーマはとても深く、観ているものを考えさせる。

主人公の行動の数々は決して正義と言えるものではない。

では、正義でなければそれは悪なのか?巨悪を糺すための悪は正義なのか? 

場面が変わり、真実が明らかになるごとに、そんな問いが私たちに突きつけられる。

こうした問いを通じてこのドラマが伝えたかったのは、テミスに象徴される正義や公正といった司法の根幹にあるものの脆さであり、それを支える人間の弱さではないかと思う。


最終話、明墨弁護士は法廷でこう語る。

「法律とはいったい何なんでしょう。我々は法律によって、白か黒かを公平に判断することができます。ですがそれもしょせん、人間が作り上げた尺度です。法によって白になったことが、本当に白なのか。黒の奥には、実は限りない白が存在しているのではないか。それを考え続けることこそが、こんな世の中を作ってしまった我々の役割なのかもしれません」


法や制度が仮にどれだけ優れていたとしても、それは人間によって運用されているという事実を決して忘れてはならない。

そして、もう一つ、人間は弱いということも。


6月14日  能登半島地震からの教訓

6月12日、全国市長会の日程と併せて東京で開催された「全国防災・危機管理トップセミナー」に参加した。

その中で、今年1月1日に発生した能登半島地震で甚大な被害を受けられた輪島市の坂口茂市長、珠洲市の泉谷満寿裕市長から、被害の実態や災害対応をされた経験を経た教訓についてご報告をいただいた。

輪島市の坂口市長が示された被害の画像からは、改めて今回の地震が想定をはるかに上回る規模であったことを痛感する。加えて、元旦の発生ということもあり、初動における災害対応は混乱を極めたであろうことは、お話の端々からうかがえる。   
また、最大の課題として、避難所でのトイレの確保を挙げられた。仮設トイレについて一定の備蓄はあったものの、衛生的な管理が難しく、コロナやインフルエンザ、ノロウィルスなどの感染症も発生するなど、そのことが7000人にのぼる二次避難への決断の背景にあったそうだ。

珠洲市の泉谷市長が強調されたのは、その地震の激しさだ。
今回の地震はマグニチュード7.6。昨年5月の地震が6.5。この違いの凄まじさが生々しく語られた。全壊が1,672棟、その他半壊等も加えると5,000棟を超える建物が被害を受け、市民の約4割が自宅で暮らしを継続することが難しい状況にある。
発災当初のポイントとして、県に対する迅速な自衛隊の派遣要請、ヘリ要請を通じた被害状況の把握、病院等の医療機関など医療資源がどの程度確保できるかといったことを確認することが大切だと指摘。次いで、食料など物資の確保と配送体制の構築、マスコミ対応の重要性など、ご自身の体験からの貴重な教訓をリアルに示唆いただいた。
住民の生命を守ることを最優先にした両市長が、災害体験から得られた教訓を、私自身、そして長岡京市の今後の安心・安全の備えとして活かしていきたいと思う。
いまだ災害対応で多忙を極めておられるなか、ご講演いただいた両市長に心より敬意と感謝を表したい。


 

6月7日  民主主義の原風景

フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルは、19世紀初頭のアメリカに渡り、各地を旅行する中で、自由や平等を追求し、まさに発展を遂げようとする民主主義が政治、経済、文化や人々の暮らしの中でどのように根付いていくのかを観察し、後に名著『アメリカのデモクラシー』を著した。

 トクヴィルによると、民主主義が拡大していく背景には「平等化」という大きな趨勢があるとする。

そして、その「平等化」を促す要因に当時のテクノロジーの変化を指摘する。

銃や火器の拡大によって起こる戦闘形態の変化や、印刷術や郵便といった新しい伝達手段の浸透によって貴族など一部の階級だけが持ちえた情報や知識が広く市民にも共有されるようになった。その結果、知的エスタブリッシュメントの権威は相対的に落ち、民衆・市民の政治参加、発言力を高めるムーブメントが起こった。

もちろん、当時、こうした動きに対する否定的な意見もあった。

高い教養や科学的な知見があるとはいえない人たちが、物事の真偽や適切な判断をできるのかという声だ。

しかし、トクヴィルが建国の地ボストン近郊でタウンシップという自治組織を観察した結果、人々の有する識見の高さや地域に対する関心、諸課題に対して他人事ではなく我が事として捉えているなど、その姿を高く評価する。

まさに「上からエリートが大衆を引っ張り上げるのではなく、下から知性の裾野を広げていくことで、秩序ある社会をつくる」姿がそこにあったのだ。

(参考文献『実験の民主主義/宇野重規著(中公新書)』)


米国アーリントンで参加させていただいたタウンミーティングは、まさにそんな時代から続く原風景なのだろう。建国当時からの理念は今もなお綿々と紡がれている。

今日から市議会6月定例会が始まる。心して臨んでいきたい。


 米国アーリントンでのタウンミーティング

米国アーリントンでのタウンミーティング

5月31日  画聖(カリスマ)雪舟

「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」であるように、何かを会得しようとすれば、まずは繰り返し「マネ」をし、基本を押さえることが肝要だ。

茶道や武道、芸事においても、その修行の過程は「守破離」という言葉で表現される。

「守」とは師の教えや型を忠実に守る基本の段階。「破」とは自分で考え工夫すること、すなわち自立の段階。そして「離」とは独自の新しい世界を確立・創造する段階を指す。


京都国立博物館で先日まで開催されていた、特別展『雪舟伝説~「画聖(カリスマ)」の誕生』は、美術史における日本画の発展の歴史を、雪舟を起点とした、まさに「守破離」のプロセスとして振り返った素晴らしいものだった。

雪舟という名を知らない人はほとんどいないだろうし、「天橋立図」や「山水図」など有名な水墨画のイメージが頭に思い浮かぶはずだ。一人の画家として6件もの国宝指定は群を抜く(この特別展ではすべての6件すべての国宝が一堂に。それだけでも見ごたえ十分)。

同時に、後世の美術にも大変大きな影響を与えたインフルエンサーでもある。

「竹林七賢図屏風」を描いた桃山時代を代表する絵師・長谷川等伯は、雪舟を敬愛し「自雪舟五代」と款に記した。江戸時代初期の狩野派・狩野探幽は雪舟の画風を取り入れながらイノベーションを起こし江戸絵画の基本を築いたと評されるし、琳派の代表的画家である尾形光琳もまた雪舟から多くを学んだとされる。

こうした日本美術史上のビッグネームが、雪舟の絵画を模写し「真似」んだ軌跡が併せて語られるのも、今回の特別展の魅力だ。

巨人たちもまた日々の切磋琢磨と不断の努力によって新しい世界を創造してきたのだ。


なお、若き雪舟は中国で奥行きの表現や空間構成など中国古典絵画の技法を正統に学んだそうだ。その時に滞在したのが寧波(長岡京市の友好姉妹都市)の寺院。そう聞けば、なおさらのこと愛着が生まれるというものだ。


5月24日  P.S. 米国アーリントン訪問記

ボストン-レッドソックスの本拠地フェンウェイパークにほど近いレストラン。

ランチの場面に駆けつけてくれたのは、15年前、アーリントンとの短期交換留学プログラムに参加したOB・OGたち。当時はあどけなかったに違いない中学生たちも、いまや立派な社会人。

ひとりは、結婚して今年から生活の拠点をニューヨークにおいている。

ひとりは、サンフランシスコでコンサルタントとしてバリバリ仕事をしている。

ひとりは、勤務している日本の企業から長期出張でニューヨークに滞在中。

そんなみんなが、私たち訪問団の滞在を聞きつけ、わざわざ会いにきてくれた。

そのこともうれしければ、何よりも、このプログラムを経験した中学生たちが、実際に世界を股にかけて活躍している姿を目の当たりにしていることをうれしく思う。

 

これから始まるタウンミーティングに向けて、人がまばらに集まり始めたアーリントンのタウンホール。

タウンミーティングに長岡京市からの訪問団が参加することを聞きつけ、長年の両市の交流に携わった様々な皆さんがお越しいただき、エントランスで待機していた私たちに話しかけてくださる。

結婚してアーリントンに定住しておられる女性は、お子さんが短期交換留学プログラムでこの夏、長岡京市に来られる予定。とても楽しみにしている様子のお子さんと一緒に会いに来てくださった。

片言の日本語で話しかけてくれた年配の女性は、息子さんが現在、北海道・札幌でシステムエンジニアとして仕事をしておられるとのこと。その息子さんも、10年以上前にこのプログラムで初めて長岡京市を訪問。日本のことが大好きになり、後に日本語を学ぶために再度訪日し、現在に至っているそうだ。


長岡京市とアーリントンとの友好姉妹都市としての40年の歴史。短期交換留学プログラムも20年。

壮大な世界の中の小さな二つのまちの交流が、多くの人の人生に影響を与えている。年月だけではなく、そんな多くの人生の重なりが両市の絆として息づいている。それを再確認できた訪問となった。


 タウンミーティング前のひととき

タウンミーティング前のひととき

5月17日  米国アーリントン訪問記(下)


前週に引き続き、4月26日(金曜日)から5月2日(木曜日)の米国・アーリントン訪問の様子をお伝えさせていただきます。


○ダリン小学校を訪問
アーリントン内のダリン小学校を訪問。体育館での歓迎セレモニーでは、アーリントンの小学生たちが合唱、長岡京市の中学生が歌と踊りをそれぞれ発表。その後、低学年の生徒たちに対して、習字・折り紙・けん玉など、それぞれグループに分かれて教えるプログラムも。英語で苦労しながら教えている姿がとても印象的でした。


 

  

○セレクトメン議長・タウンマネージャーと懇談

タウンのオフィスにお邪魔し、ステファン・デコーシー セレクトメン議長、ジム・フィーニー タウンマネージャーと懇談。日本と米国の地方自治の仕組み、自治体制度の違い、双方の自治体が抱えている課題などについて意見交換。今秋の長岡京市への訪問や友好交流のあり方についても話し合いました。


 

  

○ロビンス図書館を視察
アーリントンにあるロビンス図書館を視察。大変、長い歴史を有する図書館で、元々は篤志家の寄贈によって設立され、その後公共図書館へ。図書はもちろん、福祉や環境の観点から、たまにしか使わないような日常用具(キャンプ道具やゲーム類など)も貸し出しされているのが面白い。コミュニティセンターの役割も果たしているようだ。

 

  

○アーリントン消防署を視察

図書館に引き続きアーリントン消防署の視察。自分自身が乙訓消防組合の管理者でもあるからか、関心は消防車と救急車の搬送体制、通信指令システムなど尽きない。日米比較で、共通している点や異なる点など勉強になりました。

 

  

○現地ローカルメディアACMiにてインタビュー
現地のケーブルテレビからインタビューの申し出をいただきました。英語でのやり取りは、やはり緊張します。


 

  

○フェアウェルパーティー
中学生たちを受け入れてくださっているホストファミリーの皆さんが一堂に会してのフェアウェルパーティー。皆さんのご協力に対して感謝の気持ちをお伝えしました。

 

  

○アーリントン警察署の視察・40周年記念植樹、そして帰国
訪問の最終日はアーリントン警察署を中学生たちと一緒に見学。併せて、敷地内にて40周年を記念してソメイヨシノの植樹を。友好の証として大きく成長してくれることを願う。
そして、すべての日程を終え、一路帰国の途へ。

お世話になった皆さん、歓迎をいただいた皆さんに、心より感謝申し上げます。

 

  

 

  

5月10日  米国アーリントン訪問記(上)

 4月26日(金曜日)から5月2日(木曜日)の7日間、米国・アーリントンとの姉妹都市盟約40周年を記念し訪米しました。

 友好代表団のメンバーは、市長、白石多津子市議会議長、小原勉友好交流協会会長にくわえ、通訳兼コーディネーターの遠山さん、議会事務局長、秘書課長の6名。

 現地では、ホームステイ中の中学生訪問団とも活動をともにしました。

 その様子を二回にわけて、ご報告したいと思います。


○ 長岡京市からアーリントンへ

4月26日(金曜日)午前11時30分に市役所で出発式を行い、伊丹の大阪国際空港からまずは成田空港へ。

日本時間の午後6時25分に成田発の飛行機に乗り、現地時間26日の午後6時15分にボストンローガン空港へ到着。約13時間のフライト。早速ホテルに移動し、アーリントンのタウンマネージャーのはからいで、タバーン(現地のパブ・居酒屋)にて歓迎会を行っていただく。


 

  

○ 40周年記念祝賀会

アーリントンのタウンホールにて40周年記念祝賀会が開催される。

アーリントンのセレクトメン(選挙で選ばれる5名の委員会)議長のStephen DeCourcey夫妻やタウンマネージャー(セレクトメンによって指名される)のJim Feeneyさん、教育長のElizabeth Homanさんなど行政、学校などの関係者が参加される。


 

  

○ メジャーリーグ・レッドソックス戦を観戦

28日の日曜日には、フェンウェイパークでのボストン・レッドソックス対シカゴ・カブスを観戦。

ここで中学生たちと初めて合流。みんな、疲れも見せず元気そう。そんな様子を見てホッと胸をなでおろす。吉田正尚選手も先発出場。試合も5-4のサヨナラ勝ちで大盛り上がり!


 

  

○ アーリントン高校訪問

5年前の訪問時に議論されていた建替え整備が順調に進んでいるようで新しい校舎を見学させていただく。授業の中では、中学生たちが高校生に対してソーラン節の踊りを伝授。アーリントンの高校生たちも熱心に取り組んでくれ、最後はみんなで一緒にダンス。その後、ホーマン教育長のオフィスで、今後の交換留学プログラムのあり方など議論する。


 

  

 

  

○ 在ボストン日本総領事との昼食会

鈴木光一郎在ボストン日本総領事から公邸での昼食会にお招きいただく。鈴木総領事には、記念祝賀会にもご出席いただき40周年に花を添えていただいた。ボストンの中心部から少し離れた郊外の閑静な住宅地の中にある総領事公邸は歴史を感じさせる立派な洋館。昼食をいただきながら、姉妹都市との交流の歴史や現在のアメリカの政治情勢等について意見交換を行う。


 

  

○ タウンミーティングにてセレモニースピーチ

200名を越える住民の代表者が集うタウンミーティング。ここで予算など様々な議題について熱い議論が交わされる。その冒頭での40周年を記念してスピーチの機会をいただく。スピーチ前には、これまで本市との友好プログラムに尽力いただいた関係者の方々もお越しいただき交流する機会も。大変温かい歓迎をいただいた。


 

  

4月26日  プロフェッショナルの言葉

プロフェッショナルという言葉を定義するならば、その能力が高く、その仕事の技術に優れ、確かな仕事をする人、とでもなろうか。

もちろん、何のプロフェッショナルか、その分野によって求められるものは少しずつ異なるのかもしれないが、単なる才能だけではなく、それぞれの仕事に対する真摯な姿勢、努力と経験に裏打ちされた自信という二つの要素は必須ではないかと思う。だからこそ、私たちはプロフェッショナルな存在に憧れを持つのだ。

そんな風に感じさせる、二人のプロフェッショナルの言葉から。


歌手の宇多田ヒカルさんが、ある音楽番組のインタビューで作詞について聞かれて。


「作詞は釣りみたいなもの。待つのが仕事。いつも釣れそうな場所を探している。

  子どもの学校の送り迎えをしてようが、お風呂に入っていようが、テレビを見ていようが、友達とご飯をしていても、どこか頭の奥では釣りをしている。オンとかオフとかない。」


多くのプロが絶賛する、メロディーとの絶妙な調和や、情景や心象を表す言葉の美しさなど、人々を魅了して止まない歌詞は、努力の末に生み出されているのだ。


ユーチューバーは本当に面白いのか、というトーク番組の話題の中での、漫才師・千鳥の大悟さんの一言。


「ユーチューバーにも面白い人もいるが、芸人と決定的に違うところ。

 それは、芸人は舞台に立つということ。

 舞台は、自分を見に来たわけではない人を笑かす。

 YouTubeは、自分を見に来た人だけを笑かす。

 笑かせ方の戦い方がまったく違う。」


見ていて自信のなさそうな人は決して笑えない。経験を積み、鍛えられ、得られた自信があるからこそ、私たちは安心して笑えるのかもしれない。


4月19日  世界一大きな絵

中東情勢の緊迫感が高まっている。ガザ地区でのイスラエルとパレスチナの武力衝突が、周辺諸国を巻き込む形で拡大し、今や報復の連鎖はとどまるところを知らず泥沼化している。
ロシアによるウクライナへの侵略も2年余りが経過し、双方の攻撃により、今なお、多くの犠牲者が発生しているものの、世界の関心は以前と比較をして薄れつつもあるようだ。

そんな混沌とした世界情勢のなか、世界の子どもたちが、国や宗教・人種を超えて共通の喜びを分かち合い、情操を育み、世界平和に対する意識を育てていく。そんな活動がある。それが「世界一大きな絵」というプロジェクトだ。
世界中の子ども達が、5m四方の天竺木綿(白い木綿布)に描いた絵を持ちより、つなぎ合わせることで「世界一大きな絵」を完成させるという活動で、NPO法人アース・アイデンティティ・プロジェクツが1996年から取り組んでおられる。最初のプロジェクトでは、バングラディシュで世界各地の総勢13,000人の子どもたちの絵によって100m四方の大きな絵が完成した。
以来、その取り組みは在日各国大使館などの協力を得ながら世界中に広がりを見せ、2015年には広島被爆70周年、2016年には東日本大震災復興5周年などでの実施や、各種サミット開催時など外交イベントの際の実施などでも取り組まれている。

昨年、ご縁を頂戴し、当該NPO法人とプロジェクトを率いてこられた河原裕子代表理事が本市の市役所を訪問いただき、2024年のパリオリンピック開催に合わせた「世界一大きな絵2020TOKYO~2024PARISへ」への参加を呼び掛けていただいた。
早速、教育委員会とも相談し参加を募ったところ、長岡第四小学校が協力してくれることに。
そして、長四小の6年生が一生懸命制作に取り組んでくれ、卒業間際の3月に、躍動感のあるとても素敵な絵が完成した。
この後、NPOを通じてフランス・パリへ絵が送られ、世界中から集まった絵とつなぎ合わさって「世界一大きな絵」となる。「世界一大きな絵」は秋ごろにパリにて公開される予定だ。
子どもたちの思いが大きな力となり、少しでも平和な世界に近づけることを願っている。

 

  

 

  

4月12日  批判的思考

 今年の春は、ここ数年と比較をしても桜の開花が遅めだったので、保育所や学校などへの入園・入学に際し、桜に祝福された方も多かったのではないだろうか。

 今週の火曜日、水曜日に行われた本市の市立小中学校の入学式も、風雨をなんとか耐え忍んだ桜が、初々しい新入生たちを迎えてくれた。新しい門出を迎えられた皆さんの前途が洋々たらんことを心より願いたい。


 先日、5日に行われた京都大学の入学式での、湊長博総長の式辞をネットで拝読させていただき、とても感銘を受けたのでここで取り上げてみたい。

 大学生活において自己表現することが大切だと説く中で、「自分で書く」「自分で考える」プロセスにおいて「批判的思考」の重要性を以下のように指摘されます。


『さまざまな先入観や偏見などの外的なバイアスをできるだけ排除した、正確な知識と情報に基づいた内省が必要となります。これは批判的思考(critical thinking)と呼ばれます。ここで言う「批判的」とは、他者を非難したり攻撃したりするという否定的な意味ではありません。それは、自らの判断や意志決定において、必要な情報が充分にそろっているか、思考や判断の前提は正しいか、そのプロセスは論理的であるか、好き嫌いなどの恣意的感情や偏見などのバイアスが入っていないか、などを自ら慎重に検証するということです。(中略)

ドイツのハンス・ゲオルグ・ガダマーという哲学者は、自らの充分な批判的思考の上で一定の結論に至った上でもなお、「しかし、相手が正しい(つまり自分は間違っている)可能性はある」とする精神の寛容さが必要であると言っています。「自己発現」も「自己主張」と同義ではありません。私は現代のような情報過剰の時代にこそ、このような冷静な反省的思考と精神の柔軟な寛容さをもって、自らを表現することが重要になっていると思います。』

(全文はこちら:京都大学令和6年度学部入学式式辞(別ウインドウで開く)


 ネット上では、論理や根拠の弱さを強く激しい言葉で穴埋めしようとするがごとき主張や、特定の空間に閉じこもり外部など無きに等しいように扱う言説があふれている。

 政治の世界でも、他者の意見には耳を傾けず自分自身の主張だけが正義であるといった態度や、万能の神よろしく自身はすべての意見の代弁者であるような姿勢が散見される。

 そんな時代だからこそ、冷静な反省的思考と精神の柔軟な寛容さに基づく、熟慮と節度をもった対話が求められている。


 

  

4月5日  令和6年度のスタートにあたり

 4月1日、新年度の出発にふさわしい春らしい日差しのなか、新たに23名の職員の皆さんを市役所にお迎えすることとなった。

 また、年度末には14名の退職者をお見送りしたが、今回の年度替わりにあたっては、部長級の半数近くが退職・退任されたこともあり、とりわけ市役所幹部の皆さんの異動も大きいものとなった。

 まさに新しい体制での船出となる。

 引き続き、庁内での「対話」を大切にしながら、目の前にある課題はもとより、少し先を見据えたまちづくりに取り組んでいきたいと思う。

 そこで、その船出にあたり、幹部の皆さんと一緒に次に示す4つの「対話」のルールを確認した。


  1. 話しやすい雰囲気と関係性をつくること、相手を決して否定しないこと
  2. 互いに向き合うのではなく、目指すべき同じ方向を向いて助け合うこと
  3. 失敗を責めないこと、むしろ失敗を機会として活かすこと
  4. 食わず嫌いはしないこと、新しいことや変わったことでも受け入れてみること


 いつも、「楽しい職場」でありたいと考えている。

 「楽しい職場」とは「楽(らく)」な職場ではない。楽しみながら「成果をあげる」職場でなければならない。そのためのルールだといっていい。

これはもちろん、市役所の責任者である自分自身にも課せられる。

私自身への戒めとするためにも、年度のスタートにあたりここに記す。

とはいえ、言うは易く行うは難し。そのことを肝に銘じ、今年度も全力を尽くしたい。


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