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くらしの中の人権

[2020年6月18日]

ID:8552

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ネットの先には人がいる

 新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が解除され、少しずつ以前の日常の生活を取り戻しつつあります。

 一方で、感染の疑いがある人や対策に携わった人たち等に対して、インターネットやSNS上で、根拠のない情報に基づく嫌がらせや心ない書き込みといった誹謗中傷が相次いでいます。

   これらの行為は感染症の収束を妨げるだけでなく、人を不安に陥れ、人の尊厳を傷つける、決してあってはならない人権侵害です。 

 インターネットやスマートフォンは、いまや日常生活に欠かせないものになっています。思ったことを直接外に向けて発信することも容易になりました。うまく使えば、私たちの暮らしをとても豊かにする本当に便利なものです。

 一方で、画面の向こうにいる相手が見えず、また不安を感じる原因がわからないために、冷静な判断を欠いてしまうこともあるのかもしれません。また、一旦インターネット上に公開された情報は、たとえ内容が誤っていたとしても、完全に削除することは難しいと言われており、使い方を間違えれば、大変危険なものです。

 だからこそ、言葉にする前に「自分なら、このように言われるとどう感じるだろうか」「自分が書き込むことで、相手はどう思うだろうか」と考えることが大切ではないでしょうか。

 ネットの向こうには生身の人がいる。顔や息遣いがわからないからこそ、一歩立ち止まってその先を想像する習慣を持てないでしょうか。 

 新型コロナウイルスへの対策はマラソンに似て、日常生活のなかで息の長い取り組みが必要とされています。

 私たちは、それぞれの立場でできることをみんなで協力しながら行い、思いやりを持ったコミュニケーションをとることができれば、この不安と危機のときを乗り越えることができるはずです。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


新しいスタンダード

 新型コロナウイルス禍から、日常を取り戻せることを切に願う日々が続いています。

 その感染拡大防止のため、私たちの生活習慣が大きく変わりました。おそらく、収束した後も社会習慣が以前とは大きく変わるものと感じています。そのひとつが、『ソーシャルディスタンシング』です。

 今まで、公共の場で、これほど人との距離間を気にしたことはありませんでした。人と会話をするとき、適切だと思う距離には個人差があります。それを広くとる必要があると言われても、様々な感じ方をする人もいるでしょう。

 例えば、電車の座席が等間隔の空席が暗黙のうちにできていて、座ることができなかったという話を聞くことがあります。

 しかし、これは、お互いを思い合っての行動であり、この保たれた距離のおかげで、ウイルスから自分を守り、相手を守っていると理解しています。これからも、コロナ禍を経験した私たちが生み出した新しい知恵である『ソーシャルディスタンシング』を良い形で残していければと思います。

 ただ、社会的距離間をあまりに意識してしまうと、人に声をかけづらくなったり、人と交流することに戸惑いや迷いが生まれてしまったりして、困っている人を見ても助けられないというケースもあるかもわかりません。

 しかし、たとえ、手が届かない距離にあったとしても、気持ちは「あなたを思っています。」と表現する方法はいろいろあるのではないでしょうか。

 その第一歩は「笑顔」です。「笑顔」は、好意と同意を示し、赤ちゃんにも、高齢者にも、外国人にも伝わります。

 新しいスタンダードには、ぜひ、「笑顔」を添えたいものです。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


お手伝いのひと声を

 私は、「障がい」を持っていることで、思いどおりに体が動かないために、いつも大変「不便」だと感じています。 

 私には、両下肢に障がいがあり、歩くこと、食事すること、入浴すること等、大変、時間がかかります。普段自宅では歩行補助杖を使用していますが、職場では車椅子を使用しています。 

 毎朝、 私が職場の入口の自動ドアの前に着くと、「ここでいいですか」と言って、私の前に車椅子を持ってきてくれる同僚が何名かいます。手助けのために声掛けをしてもらった同僚に日々感謝し、いつも「おはようございます」「ありがとう」と気持ちが伝わるような会話を心掛けています。 

 私は、自分でできることを一つずつ増やそうという気持ちを持って、仕事に取り組んでいますが、障がいが原因となって、どうしても自分ひとりでは、できないことがあります。しかし、誰かのちょっとした手助けがあれば、やり遂げることも可能な場合があります。

 いろいろな障がいを持った方々も、日々、学習や仕事を懸命にこなして社会で生活されています。

 皆さんも、学校や職場、ご近所などで障がいを持った方が困っておられるところに出会ったら、「何かお手伝いできますか」とひと声掛けてみてください。

 例えば、目や手足が不自由な方であれば、駅などでの階段の上り下りや、狭い路地の歩行で隣に寄り添って案内することが大きな助けになります。また、耳が不自由な方であれば、紙に書きながら会話をすることで意思疎通が容易になり、ストレスを減らすことができます。声掛けをして頂いた方がそばにおられるだけで安心することもあります。 

 皆さんのあたたかい思いやりの気持ちが、誰もが安心して暮らせる社会をつくります。

 ぜひ、勇気をもって「お手伝い」のひと声を掛けてください。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


「普通」ってなんでしょう?

 私たちの生きている社会はとても複雑で分からないことだらけ。そんな社会を生きるときに必要なことは「疑問に思うこと」「知ること」「考えること」ではないでしょうか。

 ふと感じる素朴な疑問を大切にすると、社会の見え方は違ってくるかもしれませんね。

 セクシュアリティ(性)でいうと、性自認(自分の性別をどう思うか)や性的指向(好きになる性)など人それぞれの捉え方があり、その組み合わせも多種多様にあります。

 多くの人は「男」「女」という括りでとらえているので、それが「普通」だと考えてしまいがちです。しかし、そうではない捉え方もあり、その人にとってはそれが「普通」のことなのです。

 人数が多いほうを私たちは「普通」と考えがちですが、何が「普通」で、何が「普通でない」ということではなく、そのあり方はすべて対等で平等であるものなのです。

 私たちは一人ひとりの顔が違うように、性も考え方も価値観もみんな違います。どれもかけがえのない尊いもので、人の数だけその有り様があります。

 だからこそ、自分の当たり前を押し付けない、相手の当たり前を否定しない、私とあなたそれぞれが尊重し合い、それぞれの違いを区別するのではなく認め合うという「豊かさ」に変えることができたら、すべての人にとって生きやすい社会になるのではないでしょうか。

 私たちが互いの違いを尊重し、みんなでより豊かな社会を作っていけたらいいですね。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


阪神大震災から25年「災害と人権」

  今年1月17日で、阪神大震災から25年の歳月が過ぎました。この震災で6千人を超える多くの方が犠牲になられ、命の重みを改めて考えさせられました。

  倒壊した家屋などから救助された人のほとんどが、家族や近所の人の手によって助けらました。また、避難生活においても、住民同士が協力して乗り切ろうとする姿が多くありました。

 発災直後での国や行政による「公助」の限界があらわになり、災害時における自助・共助の重要性など、防災や避難の在り方に多くの教訓を残しました。しかし、四半世紀が経って震災を知らない世代が増えつつあり、震災の経験や教訓の風化が懸念されています。 阪神大震災以降も、東日本大震災、熊本地震、大阪府北部地震などの地震だけでなく、台風による豪雨災害など甚大な被害をもたらす自然災害は毎年のように起きています。

 このような大規模な災害がひとたび発生すると、多くの命を危険にさらし、一瞬にして平穏な生活が奪われ、劣悪な環境化での避難生活を強いられます。誰もが切迫した状態に陥り、強い不安やストレスが重なることから、人権に対する意識が薄らいでしまいます。特に高齢者や障がい者、子どもなどの社会的弱者が大きな影響を受けることになる場合が多く見られます。

 こうした災害時には、周囲の人との助け合いや、お互いへの思いやりが重要となってきます。

 長岡京市では、毎年10月最終日曜日を「防災の日」と定め、地域の連携力を高めるとともに、お互いを少しでも思いやり、共感し合い、優しさを持って災害を乗り越えていくために、自主的な地域コミュニティを軸として、市内の全小学校区で同時に防災訓練や避難所運営訓練を実施する取り組みが進められています。

 私たちは、これまでの災害から人と人との繋がりの大切さを学んできました。「災害」と「人権」は切り離すことはできません。日頃から周りの人に対する思いやりの心を大切にし、人権意識を高めることは、「災害への備え」のひとつといえるのではないでしょうか。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


同じ地球人として

  新しい年が幕を開けました。

  今年は、いよいよ東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。例年以上に、世界各国から多くの人が日本を訪れることでしょう。

  みなさんは、最近、まちを歩いていると、鉄道の駅や観光施設等の案内板に、複数の言語が表記されていることに気づきませんか。

  以前は、日本語と英語の2種類のみで表示されている場合が多く、それでも特に大きな問題は発生していなかったように思われますが、近年、日本へのインバウンド(外国人の訪日旅行)が増加するに従い、英語圏以外の旅行者も増え、中国語や韓国語をはじめ、多言語で表記されているケースが増えています。

  また、案内板の中に「図記号」のようなものが描かれていることもあります。これは、標準案内用図記号(ピクトグラム)といって、言語表記以外で一目見てどんなものか理解する一助になっています。

  しかし、ホスピタリティ(おもてなし)の精神から、このような外国人の受け入れ体制が整備されるなか、一方では、オーバーツーリズムの問題が顕在化してきています。例えば、外国人観光客によって引き起こされる交通渋滞やごみのポイ捨てといったマナー違反が、せっかく高まった気運や、おもてなしの心の低下を招くなど、解消しなければいけない課題もあります。

  また、今後、観光客が増えるとともに、出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正により、外国人労働者の就労機会が拡大されると、日本で生活する外国人の増加が予測されます。これまでは、外国人と日常生活であまり接する機会が少なかった私たちにも、一緒に働いたり、生活したりする機会が増え、言語や生活習慣、文化などの違う人たちとの関わり合いを持つことが当たり前の日常になってくることでしょう。

  これからは、日本人、外国人とひとくくりにするのではなく、お互いが歩み寄り、「違い」を認め合い、多様性を尊重し、対等な関係を構築して、コミュニティの醸成を図っていくことが大切です。そのためには、まず、お互いの文化や慣習を理解し「見えない心のバリア」「心の中の国境」を破っていくことこそが、その第1歩ではないでしょうか。

  共に生きる社会を共に目指すために、同じ地球人として・・・

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


『ONETEAM』

 今年は、「平成」という時代が終わり、「令和」という新しい時代が幕を開けた歴史的な1年でした。

 みなさんは、この1年を振り返って、心に残った出来事は何だったでしょうか?

 もちろん、それぞれ、様々な出来事を思い出されると思います。そのひとつに、日本で開催された「ラグビーワールドカップ」を挙げられる方も多いのではないでしょうか。とくに、日本代表の大活躍は、日本中に勇気と感動を巻き起こしました。チームがひとつになって戦う意思を現した『ONE TEAM』という言葉は、今年を代表する流行語にもなりました。

 ところで、ラグビーの国際大会では、ほかのスポーツにはあまり見られない光景があります。それは、ラグビーの代表チームの選手は、自国だけではなく、様々な国の出身者が多いということです。日本代表チームも31人のうち15人が外国出身でした。日本に帰化していない外国籍の選手も7人いました。

 ラグビーは国籍にとらわれない独自の選考基準があります。基準を満たしていれば、基本的には国籍が無くても、当該国の代表になることが出来ます。そこが、当該国籍がなければ、その国の代表選手にはなれない野球やサッカーなどのスポーツとは違うところです。
 このように出身国が違う選手たちが、国籍をはじめ様々な違いを認め合いながら、まさに『ONE TEAM』となって、ひとつになる姿が、日本代表のベスト8という大活躍と合わせて、多くの感動を私たちにあたえた理由ではないでしょうか。

 一言で、違いを理解するというのは、口でいうほど簡単でないかも知れません。しかし、ラグビーというスポーツを通して、お互いの違いを理解し、多様性を認め合いながら、『ONE TEAM』になることのすばらしさを体現した、ラグビー日本代表チームの活躍は「令和」という新しい時代の幕開けを象徴するすばらしい出来事だったと思います。

 そして、いよいよ2020年は、「東京オリンピック・パラリンピック(東京オリパラ)」が日本で開催されます。

 「東京オリパラ」では、異なる文化や異なる社会的背景を持つ人間同士がスポーツを通じて出会います。障がいを持つ人たちが可能性を信じて頑張る姿がそこにあります。

 スポーツの感動を真近に感じるのはもちろんですが、国籍の違いや障がいの有無などに関係なく、お互いの違いを認め合い、お互いを理解することの大切さを感じる機会になればすばらしいことです。

 私たち一人ひとりが、『ONE TEAM』となって、「多様性」を尊重し、「共に生きる社会」の実現を目指して、『TRY』していく第1歩にしたいものですね。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


左利き?右利き?

 私の家族には左利きの人がいます。

 矯正したので、字を書くことや箸を持つことは右手ですが、それ以外はすべて左手で行います。

 私は右利きなので、日常生活の中で左利きの人の不便さに気づかないことが多くあります。左利きだからこそ有利なこともあると思いますが、一般的に不便さを感じられることが多いようです。

例えば、左利きの人は、

・ハサミやカッターは、右利きの人が使いやすいように、柄や刃の形が作られています。もし、左利きの人がカッターの刃を左手で押し上げると刃が上を向いて危険です。

・タンク付洋式トイレの水洗レバーは、右に付いています。左手でレバーを回そうとすると届かない人も多いようです。

・缶切りは、左手では開けにくい形なっています。(プルトップが多くなった理由のひとつでしょうか。)

・注ぎ口の付いた片手鍋は、注ぎ口を活用しようと思うと手の甲側に注ぐことになります。

・デジタルカメラのシャッターは、右に付いていて押しにくいようです。

・駅の改札は、通る人の右手側に切符の挿入口やカードをタッチするところがあります。

・バターナイフの刃が片側のものは、その家族に「左利きには使いにくいのに何故買ったの?」と言われたりします。

 ただ最近では、ハサミ、レードル、万年筆、扇子など左利き用のものが見られ、他にも様々なユニバーサルデザインのものが増えていますが、まだまだ不便な面が多いようです。

 日本人の左利きは11%ぐらいおられるそうです。職場でも左利きの人を見かけることがあります。その時に、「右利きの人にはわからない不便を感じているのだな。」と意識ができて、理解したり、何か助けになる行動ができる人になれたらいいなと思います。

 また、左利きの人がその人の個性として自然体でいられるよう、身の周りの様々なものが利き手に関係なく対応できるようになればと思います。

 一人ひとりが色々な個性と能力を発揮し、自然と多様性が認められる暮らしやすい社会になればいいですね。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


日本人だから○○、外国人だから○○?

  我が国では、今年から来年にかけてラグビーのワールドカップや東京オリンピック・パラリンピックといった世界的なスポーツイベントの開催が相次ぎ、徐々に機運が盛り上がってきています。外国からの観光客が年々増加している中で、さらに多くの外国の方をお迎えすることとなります。

 外国からの訪日客に関しては、以前から生活習慣や文化の違い、またマナーの問題等から、外国の方の入店拒否などを行う飲食店等の対応が物議を醸してきました。最近では、私たちが生活をする色々な場面で外国の方を見かける事が多くなり、日常的な交流の中で、それぞれの生活習慣や文化の違いに触れ、理解していこうという意識が少しずつでも高まってきていると感じています。それらの国際的なイベントを通じて更に相互の理解が深まれば意義深いものと思います。

 その一方で、最近テレビで、少し気になるニュースがありました。それは、日本の観光地にある飲食店のオーナーが、日本人観光客のマナーの悪さから「日本人お断り」の方針を掲げられ、日本人観光客の入店を拒否されているというものでした。他者には分からない様々な事情はあるのでしょうが、「日本人だから○○、外国人だから○○」というように一括りで扱う発想にはやはり危険性が潜んでいるように感じました。

 私たちも普段、知らず知らずに「高齢者だから○○、女性だから○○、男性だから○○」等の思い込みや決め付けに基づいて行動していることがあるのではないでしようか。

 自分たちの考え方や習慣を一方的に押し付けたり、国籍等で判断するのではなく、「その人自身」を知り、「多様性」を受け入れ、お互いに理解し合うよう努めることで、全ての人が暮らしやすい社会を築けるのではないでしょうか。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


逆転の発想 プラス思考で

 スポーツの世界などでは、監督や指導者が代わると新しい考え方で戦い方や選手の起用法など、今までとは違う可能性が引き出され、従来のチームと全く違って見えることがあります。

 私たちの身の回りに置き換えても、考え方を変えれば見方や捉え方が大きく変わってくることがあるのではないでしょうか。マイナス思考で捉えていたことも、プラス思考で捉えることで大きな自信につながることがあります。

例えば、

○「がんこもの、わからずや」 が 「意志が非常に強い」

○「おくびょうもの」 が 「慎重に、計画的に行動する人」

○「人の言いなりになる」 が 「人間関係を大切にして協調性がある」

○「そそっかしい」 が 「回転が速く行動的」 となります。

 このように考えてみれば、自分では「引っ込み思案」と思い込んでいる人であっても、他の人から見れば「謙虚な人」と見える場合もあるのです。また、「あの人は暗い、あの人は全然しゃべらない」と思っていたことが、「あの人はおとなしいけど思慮深い人だ」となります。

 人は誰でも「長所と短所」があると思いますが、人の短所ばかりを見つけてしまうとその人のいいところが見えなくなってしまいます。プラス思考で考えるということは、その人の「短所かもしれないけれど、それがその人のいいところ」「その性格もその人の個性」と考えることができ、その人の「いいところ」が見えてくるかもしれません。逆転の発想で、明るくプラス思考で周りを見ていきたいものです。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


それぞれの気持ち

 保育所では今、収穫の楽しみなキュウリや色水あそびができるアサガオを育てています。キュウリの苗も、アサガオの芽もどんどん伸びて子どもたちの背丈を越しました。

 夏の日差しを浴び、ぐんぐん成長しているので、うっかりするとすぐに、水分が足りなくなってしおれてきます。「たいへん!のどがかわいちゃったみたい」と言うと、子どもたちは喜んで水やりを手伝ってくれます。じょうろに水をくんではせっせと運び、水やりをしてくれます。

 ところが子どもたちは、しおれてしょんぼりして見える葉っぱや、開けた口のように見える花に、水をかけています。「早く元気になって」「おいしい水を飲んでね」そんな声が聞こえてきそうなほど、子どもたちは優しい気持ちでいっぱいですが根から水分や栄養を吸収する植物にとってはありがた迷惑な話ですね。

 そこで、キュウリやアサガオが水を飲む口は土の中にあることを話します。すると子どもたちは葉や花に水をかけるのをやめて正しく土に水をまいています。「おいしいと言って飲んでるよ」と伝えると、嬉しそうにしてますます水やりを張り切っています。

 人と人との関わりでも同じではないでしょうか?思い込みで知らず知らずのうちに嫌な思いをさせていたり、せっかくの親切に気付いていなかったりしているかもしれませんね。怒るでもなく、我慢するでもなく、思いを言葉で伝えてみてはどうでしょうか。相手と自分の「それぞれの気持ち」が分かり合えた時、「嬉しい気分」が待っているように思います。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


「くん」「さん」

 わが子が通う小学校の授業参観に行った時のことです。私はふと違和感を覚えました。それというのも、先生が子どもを指名した時に全て「さん」づけで呼んでいたからです。もっと驚いたのは、子ども同士でも「さん」を使っていたことです。私が違和感を覚えたのは、私が「男らしく」「女らしく」という言葉を当然のように使っていた世代で、男子を「くん」、女子を「さん」と呼ぶのが自分の中では当たり前になっているからだと気づきました。

 ある時、「LGBT」についての研修に参加する機会がありました。そこで、「性を正しく理解すること」「性的マイノリティの存在」「当事者が差別されいじめの対象になり生きづらさを感じていること」「国の施策や支援は始まったばかりであること」などたくさんのことを知ることができました。「性の多様性」については以前から聞いてはいましたが自分の身近なこととしてなかなか捉えられませんでした。しかし、このことは個人の尊厳に関わることであると分かりました。

 お互い名前を「さん」づけで呼ぶことは、相手を尊重し、認めていることを前提としています。特に子どもは大人の言うことに本意でなくても従ってしまうこともあります。だからこそ、私たち大人が正しく理解することで意識を高め、環境を整えることが大切だと感じました。

 今は「さん」と呼ぶ響きが心地よく聞こえます。

 子どもたちが学校と言う小さな社会の中で、お互いを認め合うことが自然と身に付くことで、子どもが大きな社会に飛び立ったとき、今よりも意識の高い社会になっていくのではないでしょうか。

(長岡京市人権教育・啓発推進計画推進本部)


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長岡京市対話推進部人権推進課人権平和推進担当

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