3 長岡京王城(7つのものがたり)
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ここがみやこ!「長岡京」王城の地
518 年に「弟国宮」、784 年に「長岡京」と2 度にわたって都が置かれました。幻の都の解明に人生を捧げた、中山修ー氏の記念館も市内にあります。
主な構成要素
長岡京復元図
条坊道路の交差点
長岡京の瓦
中山修一記念館
祭祀遺物
発掘調査風景
長岡京の鏡
長岡京デザイン
長岡京発見の地
「長岡京王城」の概要
長岡京は、桓武天皇によって造営され、延暦3年(784)11月11日に平城京から山背国乙訓郡に遷されたものです。わずか10年間の都でしたが、それまで宮・都が展開していた奈良盆地を離れた長岡京遷都は、新しい時代への幕開けであったとされています。
京域は、現在の向日市・長岡京市・大山崎町・京都市の一部からなり、東西4.3km・南北5.2kmに及びます。都のなかは、朱雀大路をメインストリートに、幅24mの大路と幅9mの小路によって碁盤目状に整備され、西側は右京、東側は左京と呼ばれました。本市域では北は二条大路から、南は八条大路までの道路が確認されており、現在の長岡京市役所南側の東西道路は、おおよそ五条大路にあたります。道路に囲まれた区域は「町」と呼ばれ、官庁や身分に応じた居住地が割り当てられました。発掘調査によって、建物跡や井戸、土器や漆器、木簡、四仙騎獣八稜鏡など、当時の生活・生産に関わる遺構・遺物が確認されています。また、「蘇民将来」呪符木簡や墨書人面土器、土馬などからは祈りや儀式の様子を窺い知ることができ、京域の南西辺、境界に位置する西山田遺跡では大規模な祭祀跡も確認されています。都の造営には、平城京や難波宮を解体して運び込まれた部材が多く利用されました。それだけでなく、谷田瓦窯群では新様式の瓦を生産しており、主要な施設に用いられました。古代寺院として知られる乙訓寺・鞆岡廃寺も、「京下の七寺」として都のなかに組み込まれたとされています。
ところが、2度の大洪水や桓武天皇の弟、早良親王の死、その怨霊などが問題となったのか、新しい都として平安京が造営され、延暦13年(794)10月22日に遷都し、長岡京は廃されました。主な建物は解体、移されてやがてかつての様子はわからなくなり、都市近郊の農村風景が広がることになります。いつしか「幻の都」と呼ばれるようになった長岡京でしたが、昭和29年(1954)当時高校教員で本市出身の中山修一氏らによって発掘調査が開始され、翌年長岡宮朝堂院南門跡(向日市鶏冠井町)が発見されました。これを皮切りに、現在までに長岡京の発掘調査は2,400回を超え、平成22年(2010)には長岡京発掘2,000回を記念して、「長岡京発見之地」石碑が建立されました。建立地は、同氏の「長岡京」発見のきっかけとなった田地や発見当時の住まいに程近い、JR長岡京駅前交差点が選ばれました。また、同氏の生家は一部が長岡京市に寄付され、その足跡と発掘調査の成果が一目でわかる施設として整備され、平成14年(2002)「中山修一記念館」が開館しました。
なお、「水陸の便なるをもって都をこの邑(長岡)に遷す」として、この地に造営された長岡京でしたが、それ以前にも本市域には、弟国宮が所在していたことが知られています。弟国宮は、継体12年(518)継体天皇によって遷都されたもので、所在地は確定していませんが、本市域北部が候補地とされています。
長岡京跡の整然と造成された街区は、都として充分に整えられていた情景を思い起こさせ、遠隔地から運ばれてきた土器や荷札木簡などの出土遺物は、列島各地からやってきた多くの人々で賑わう様子を想像させます。発掘調査の成果からよみがえる長岡京の姿は、桓武天皇が造営した「王城の地」の歴史文化を示しています。
タケノコ食えストの解説(長岡京王城)
6ー1刻まれし不滅の名(22ページ)
「長岡京発見の地」は、実はあの場所??
長岡京が発掘調査ではじめて発見される以前、中山修一先生は神足にあった田んぼが、他の田んぼより大きいこと知り、長岡京の基盤のような区画「条坊」が今も残っていることに気づいたんだ。その後、長岡京を復元した地図を作成し、長岡京の存在を発見したよ。
現在、かつて中山先生がひらめた田んぼがあった、JR長岡京駅前交差点の東北角に、それを記念した石碑が建っているよ。
長岡京は、長岡京.infoのページ(別ウインドウで開く)からいろいろ調べてみてね。
中山先生をもっと詳しく知りたい人は、中山修一記念館のページ(別ウインドウで開く)を確認して、実際に行ってみよう!
6ー2長岡京 鬼の条坊クロスワード(23〜28ページ)
長岡京の住所のかぞえ方!
長岡京の真ん中を通るメインストリートの東西で、住所の数え方が違うんだ。下の画像をクリックすると数え方のヒントがあるよ。
市内の小中学校の正門には長岡京の住所を書いたプレートがあるので見つけてみてね。
タケノコ食えストの詳細は、長岡京市の歴史文化発見ドリル「タケノコ食えストータケノコ勇者と長岡京の宝ー」のページをご確認ください。