ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

明智光秀・細川ガラシャ長岡京市ゆかりの地

  • ID:8493

かつて「長岡京」の都が置かれ、王城の地として栄えた長岡京市。

京都への玄関口に位置する地の利によって、「天下分け目の天王山」で知られる山崎合戦の舞台にもなりました。

明智光秀やその娘 玉(細川ガラシャ)、細川藤孝(幽斎)、細川忠興(三斎)ゆかりの地を紹介します。

勝竜寺城公園(勝龍寺城)

勝竜寺城公園

公園として整備された勝龍寺城

細川忠興とガラシャの銅像

公園内には細川忠興・ガラシャの銅像がある

元亀2(1571)年に織田信長の命で細川藤孝によって当時最先端の城郭に改修されました。

天正6(1578)年、明智光秀の娘 玉(細川ガラシャ)が、藤孝の子で、後に利休七哲の一人となる忠興(三斎)に嫁ぎ、幸せな新婚時代を過ごしました。

本能寺の変の後、「天下分け目の天王山」で知られる山崎合戦の際には、明智光秀がこの城に入りました。

平成4年に「勝竜寺城公園」として整備したことを記念し、玉の輿入れ行列を再現する「長岡京ガラシャ祭」が毎年11月第2日曜日に開催されています。

公園内の展示室には細川幽斎が書いた書状(レプリカ)を展示。2019年11月2日には、展示室を中心に公園をリニューアルします。

勝竜寺城公園へのアクセス

  • 電車:JR長岡京駅から徒歩 約10分、阪急長岡天神駅・西山天王山駅から徒歩 約20分
  • :長岡京IC・大山崎ICから約7分
  • 住所:京都府長岡京市勝竜寺13‐1
  • 開園:午前9時~午後6時(4月~10月、11月~3月は午後5時まで)
  • 休園日:年末年始(12月28日~1月4日) *無料

長岡京ガラシャ祭-毎年11月第2日曜日に開催

ガラシャ祭の輿入れ行列の様子

ガラシャ祭での輿入れ行列

ガラシャ祭婚礼の儀の様子

勝竜寺城公園での婚礼の儀

勝龍寺城に嫁いできた明智光秀の娘 玉(細川ガラシャ)のお輿入れ行列を再現したお祭。

輿入れ行列に加え、菅原道真や継体天皇、熊谷次郎直実など長岡京市にゆかりの歴史上の人物に扮した歴史文化行列など、約1,000人の行列が、長岡第六小学校をスタートし、勝竜寺城公園までの約3キロメートルを練り歩きます。ゴール地点となる勝竜寺城公園では、多くの来場者が見守る中、玉と忠興の婚礼の儀が執り行われます。

行列のほかにも、楽市楽座と呼ばれる模擬店会場やステージショーもあり、市内外から約6万人が訪れます。

関連情報

勝龍寺城の土塁・空堀跡(神足神社の西側)

勝龍寺城本丸の北東にある土塁と空堀の跡。

藤孝は、元亀2(1571)年の改修の際に、国人(こくじん)神足氏の居館である神足城を勝龍寺城に組み込む形で総構えを整備しています。敵の侵入を防ぐための土塁と空堀に加えて、敵の侵入を一か所に集中し、攻撃を容易にするための土橋と横矢掛かりの土塁が残されています。

勝龍寺城の土塁・空堀跡へのアクセス

勝龍寺城の土塁・空堀跡の写真

神足神社の西にある勝龍寺城の土塁・空堀跡

発掘調査時の土塁・空堀跡の写真

発掘調査の時の土塁・空堀跡

  • 電車:JR長岡京駅から徒歩 約7分、阪急長岡天神駅から徒歩 約20分、阪急西山天王山駅から徒歩 約23分
  • :長岡京IC・大山崎ICから約7分
  • 住所:京都府長岡京市東神足2‐16神足公園内

恵解山古墳(山崎合戦の際の光秀本陣跡?)

恵解山古墳から眺める天王山

古墳から眺める天王山

恵解山古墳

復元された円筒埴輪が並ぶ

古墳時代中期に築造された乙訓地域最大の前方後円墳。平成26(2014)年に5世紀前半の姿を復元し、約650点の埴輪を並べて史跡公園としてオープンしました。

山崎合戦の際に、明智光秀が本陣を構えたとされる「御坊塚」は、サントリー京都ブルワリーの南東にある境野1号墳とともに、恵解山古墳であった可能性が指摘されています。

昭和56(1981)年に国史跡、平成28(2016)年には恵解山古墳をはじめとする乙訓地域の古墳が「国指定史跡 乙訓古墳群」として指定されました。


恵解山古墳へのアクセス

  • 電車:JR長岡京駅から徒歩 約18分、阪急西山天王山駅から徒歩 約15分、阪急長岡天神駅から徒歩 23約
  • :長岡京IC・大山崎ICから約5分 *駐車場なし
  • 住所:京都府長岡京市勝竜寺30

関連情報

「古今伝授の間ゆかりの地」の石碑

古今伝授の間ゆかりの地石碑

古今伝授の間ゆかりの地の石碑

現在、熊本市の水前寺成趣園にある「古今伝授の間」は、明治時代まで長岡天満宮境内に建てられていました。

「古今和歌集」の解釈についての奥義を伝える古今伝授。

「古今伝授の間」とは、細川藤孝が八条宮家初代の智仁(としひと)親王に、古今伝授を行った建物です。

二代・智忠(としただ)親王が御所近くの自邸から長岡天満宮の境内に移し、「開田御茶屋」として長く伝わってきました。

明治時代に細川家に引き取られ、大正元(1912)年に水前寺成趣園に移築復元されました。

長岡京市では、平成24(2012)年に長岡天満宮の境内に「古今伝授の間ゆかりの地」の石碑を設置しました。

石碑の「温故知新」の揮毫は、細川家当主で元首相の細川護熙氏によるもので、石碑の除幕式にもご列席いただきました。


除幕式の様子

古今伝授の間の石碑の除幕式の様子(平成24年11月5日)

古今伝授の間ゆかりの地の石碑(長岡天満宮)へのアクセス

  • 電車:阪急長岡天神駅から徒歩 約7分、阪急西山天王山駅から徒歩 約18分、JR長岡京駅から徒歩 約16分
  • :長岡京ICから約5分、大山崎ICから約8分 *コインパーキングあり
  • 住所:京都府長岡京市天神2丁目15-13 長岡天満宮境内

関連情報

寂照院

長岡京市指定文化財の仁王像

南北朝期の金剛力士立像(長岡京市指定文化財)

孟宗竹発祥之地の石碑

日本に孟宗竹が伝わったとする石碑

永禄11(1568)年9月27日、上洛した織田信長と共に足利義昭が西岡(にしのおか)制圧に際して寂照院に陣取りした記録が残っています。

寂照院は、寺伝によると弘仁10(819)年に空海十大弟子の道雄僧都が創建した、海印寺十院のうちのひとつで、仁王門には南北朝期の金剛力士立像(長岡京市指定文化財)があります。

境内入口には、道元禅師が中国から孟宗竹を持ち帰り、この地に植えたことを伝える「日本孟宗竹発祥之地」の石碑があり、境内の一角にある孟宗竹林は京都府の登録天然記念物に登録されています。

本堂北側には、再建工事の際に発見された「走田9号墳(海印寺古墳)」の一部である横穴式石室が展示されています。

寂照院へのアクセス

  • 電車:阪急バス「明神前」下車徒歩 約3分
  • :長岡京ICから約7分、大山崎ICから約10分 *駐車場あり
  • 住所:京都府長岡京市奥海印寺明神前31

関連情報

  • 寂照院
  • 寂照院の金剛力士立像が指定文化財に

お問い合わせ

長岡京市環境経済部商工観光課観光戦略担当

電話: 075-955-9515

ファクス: 075-951-5410

電話番号のかけ間違いにご注意ください!

お問い合わせフォーム